これだから博士のエッセーは面白くて止められないのです。
何故って、まずお母さまの威勢の良さに感服で、博士のジャイアンぶりが凄くって(ジャイアンの形容はお嫌ですか。Xでしたら改善致します)。
そこに優しい弟さん、そして不登校から友人を救い出した妹さんですものね。
その対比が実に面白さを引き立たせています。
そして更に、極め付きは毎晩寝酒を供にさせた(これが、した、ではなくさせた、というところが「極め付き」と称したいところなのですが)お祖母さまの存在です。
もっと遡れば、豪気な叔父さまの武勇伝の数々。
まるで豪華キャストで盛りだくさんな内容の、ドラマや映画をみているよう。
残念ながら私のエッセーにはないエピソードがいっぱいです。
楽しく拝読出来て、そしてアメリカのことも教えていただけて嬉しさいっぱいです。感謝です。
作者からの返信
@88chama様、
実は、コメントをいただいたのに、お返事が遅れてしまい申し訳ありません。
我が家は確かに日本でいう変わり者が多い筋だとは思います。田舎の大将が多い血筋だったのでしょう。妹はオタになっても、今で言うオタクです。弟は三人兄弟の中では、一番普通の人間ですが、それは私と妹が変人ぽいから言えることなのかもしれません。母は、男だったら、大変なことになっていたのではないかと思う(あの叔父の様な)時もあります。脳筋だったのだと思います。そんな母ですが、息子はちゃんとひ孫を連れて会いに行ってくれました。私が祖母から受けた様に、息子は私の母の愛を受けて育ったと確信しているからだと思います。
そーば様のお話は、とても面白くて感動することも多く、いつも楽しみにしています。これからもよろしくお願いします。
妹さまも弟さまも素敵です。
毎日、不登校の子を迎えにいくって、短期間ならできますけど、ずっとは難しい。そして、ずっと恩を感じる、相手の方もいい方達で、なんだか、ほっとしました。
作者からの返信
雨 杜和さん、
コメントをありがとうございました。
妹の話を母から聞いた時は、本当に驚きました。二年以上やっていたと聞いた覚えがあります。自分の妹ながら、あっぱれでした。
妹も弟も人を実はすごい奴らだったのだと知ったのは、大人になってからでした。どちらかと言うと、子供の頃は、人に迷惑をかけてた方が多かったと思われる私は恥ずかしい限りです。
妹は、その後はたただのオタクだとしか思っていませんが、実は、もっと人を救っているのかもしれません。弟もです。ダメ兄貴は何も知らないのでしょう。
@fumiya57さま
こんにちは。
妹さん……
「自分も遅く起きた祖母が台所へ行くと、妹が出来上がって、箸を二つの手に持ち、太鼓のように、湯呑みを叩いて歌っていたのを見つけた」
これ、本当にこんなことあるんですね。飲んでみてお茶じゃないとわかっても、さらに数杯飲んだ妹さん、ただ者じゃないです。
友達とその旦那さんと二、三歳の息子と一緒にご飯を食べに行ったとき、旦那さんのビールを息子が飲みたがり、面白がった旦那さんがグラスを渡すと、くいくいと飲みはじめ、旦那さんはにこにこ、他は呆然としていたことがありました。さすがに周囲の人がすぐに止めましたが。子供はアルコールの味を嫌うと言いますが、本当に人それぞれなんですね。
小学校三年生のころから飲んでいたビール、おいしかったですか?
作者からの返信
佐藤宇佳子様、
コメントをありがとうございました。
実は、祖母と飲み出したのは小学校3年生だったとですが、もう少し前から少しづつ飲んでいたので、その時は美味しいと思える様になっていました。それよりも、暑い夏に、冷えたビールを喉の奥へ流し込むことが快感だった様に思えます。コーラに慣れるよりもビールに慣れた方が早かったと思います。
子供の頃、小学校で、ビールや酒の味がどうのこうのと話し合っていたのを思い出します。親戚の近くに住んでいた私よりも少し年上の子は、その親戚の縁側に置かれていた空のビール瓶がつまったケースの瓶を一本づつ、ひっくり返して底に残ったビールを味わっていたそうでした。そこまでしなくても、我が家に来れば、祖母がビールを出してくれただろうにと思っていました。
私はもうアルコールを飲むのをやめて10年以上になりますが、ビールなら今でも飲めると思います。ウイスキーも少しだけなら飲めるのではないかと思います。日本酒やワインとかあまり飲む気になれません。