3-3 『暁の団』の敗走

 冒険に出発する直前のことである。


 宿屋のアルスラの部屋に集まって、『暁の団』は作戦会議を開いていた。


「ヒドラは複数の首を持つ蛇系のモンスターです」


 パーティメンバーたちに対して、マリナは今回の討伐対象の説明を始める。


「首の数は合わせて九つあり、それぞれが独立して攻撃を仕掛けてきます。そのため、目の前の首以外にも注意する必要があります。前衛の方は特に気をつけてください」


 前衛のアルスラはこれに頷く。


 また、同じく前衛のミザロは確認を取ってきた。


「ヒドラは毒蛇だったな?」


「ええ、その通りです。また噛んで注入するだけでなく、吐いて毒を飛ばすことも可能なようです。後衛の方は主にこちらに注意してください」


 この話に反応したのはピエルトだった。ただし、それは彼が後衛だからではなく、僧侶だからだったようだ。


「蛇毒なら解毒できるが……首が九つか」


「魔法が追いつかない恐れがあるので、解毒剤も用意すべきでしょうね」


 極端な話、六つの首から同時に攻撃を受けて、六人全員が同時に毒に侵されてしまうということもないとは言い切れない。


「ただ毒については、最上位のモンスターに比べればそれほど強いものではありません。ヒドラで最も警戒すべき点は再生力にあると言えるでしょう。首を切られても、その場で新しく生えてくるほどですから」


 そのため、ほとんど不死身だと言ってもいい。蛇系のモンスターは生命力が高いものが多いが、その中ではヒドラは間違いなくトップクラスだろう。


 今度もミザロが質問してきた。


「なら、どうやって倒すんだ?」


「有効なのは火だとされています。火傷を負うと再生力が落ちることが確認されていますから。そのため、首を切ったあと火で炙って、すべての首を切り落として殺す……というのがセオリーのようですね」


 最も有名な伝承でも、一人が棍棒を、もう一人が松明を持って、ヒドラと戦ったとされていた。


 自身の得意分野が話題に上がったのを受けて、ドロシアが口を開く。


「じゃあ、前衛が首を切ったところに、私が火魔法を使う感じ?」


「ただ、やはり首が九つもあるので、タイミングによってはドロシアさんの援護を受けられない場面も出てくるかと思います。ですから、こちらも魔法だけに頼らず、火炎瓶も持っていった方が得策でしょう」


 戦闘で使えるレベルではないというだけで、火打石の代わりになる程度の火魔法なら、大抵の冒険者が習得しているものである。火炎瓶を取り出して着火するくらいのことは、戦士のミザロにも十分可能なのだ。


「では、あっしも火矢を用意しやすね」


「そうですね。お願いします」


 ルロイの提案に、マリナはそう頷く。相手の首が多い以上、こちらの火攻撃の手段も多い方がいいに違いなかった。


「今回もそうですが、ヒドラは水辺を好みます。これは一つには、体内に溜めた水を吐くことで、消火を行うためのようです。

 ですから、首を焼く時には、他の首が邪魔をしないように気を配らなくてはいけません。周囲との連携を取って対処してください」


 火が弱点であるものの、相手はそれに対する対策も持っている。だから、こちらはその対策への対策をしなくてはならない。ヒドラはそれだけの難敵なのだ。


「また、アルスラさんとミザロさんだけですと手数が足りなくなると思うので、わたくしも前に出て戦うつもりです」


 賢者は魔法剣士の一種である。下手な前衛職よりも、近接戦闘は得意だと自負していた。


「そうだな。それがいいだろうな」


「マリナが得意なのは水魔法だしね」


 ピエルトとドロシアがそう同意する。他のメンバーたちも頷いていた。


「ただわたくしはパーティに加わってまだ日が浅いですから、別のモンスターで一度連携を試した方がいいのではないでしょうか?」


「いや、その必要はない」


 マリナの慎重論を、アルスラが即座に却下した。


「新人じゃないんだ。いちいち練習なんかいらないだろ」


「それはそうかもしれませんが……」


 事実、スフィンクスやヴァンパイアの件で山や森へ出向いた時に、他のモンスターと遭遇したことがあったが、特に連携に不備が出たことはなかった。


「さっさと倒しにいかないと、他のパーティに手柄を横取りされるかもしれない。そうなったら、『ヒドラから逃げた』とか言われて、また俺たちの評判が落ちるんだぞ」


 マリナの考えの方がより正しい(と思われる)というだけで、アルスラの考えも全否定できるほどおかしなものではない。それに発言したのが、新参者とリーダーという立場の違いもある。


 だから、今回も最終的にはアルスラの意見の方が通ったのだった。



          ◇◇◇



 食性や弱点対策のためだろう。ヒドラの目撃情報は、森にある湖の近辺に集中していた。


 湖が存在するのは森の中でも奥地の方である。冒険者でもなければ、訪れる機会はほとんどないだろう。そのため、討伐の緊急性は高くなかった。


 しかし、いずれ奥地から出てきて、街のそばを通る人間を襲うようになる可能性は否定できなかった。その場合、ヒドラの強さを考えると、被害は甚大なものになりかねない。ギルドはそれを憂慮して、討伐報酬を高額に設定していたのである。


『暁の団』が汚名をそそぐのに、絶好の依頼だと言えるだろう。


「いやしたよ」


 森の中を進み、湖へと近づいていく途中で、ルロイがそう囁いた。


 彼の視線の先には、大蛇がいた。


 人間くらい楽々と飲み込めそうなほど大きく太い体。その体の一端は、徐々に細くすぼまっていって、通常のそれと同じように尾をなしている。


 しかし、もう一端はただの蛇とは違った。木の枝やシカの角のように、途中で体が九つに分かれて、それぞれが頭部を形成していたのだ。


 あれがヒドラで間違いないだろう。


「作戦通りに行くぞ」


「了解」


 リーダーの指示で、メンバーが動き出す。


 アルスラの――というかマリナの立てた方針は以下のようなものだった。


 前衛組、つまりアルスラとミザロ、そしてマリナの三人がまずヒドラの首を落とす。次に後衛のドロシアの火魔法やルロイの火矢によって、首が再生しないように傷跡を焼き払う。


 ただし、ヒドラは体内に溜めた水を吐いて、火を消そうとする場合がある。そこで消火されるのを防ぐために、傷跡を焼いている間は前衛組が他の首の対処を行うことになった。


 また、特に前衛組は固まって戦うことになっていた。そうすれば、たとえ一人が目の前の首に集中し過ぎて、他の首への対処を失念してしまったとしても、他のメンバーが助けに入りやすいからである。


 しかし――


「おい、何やってるんだ!!」


 戦闘が始まった直後にも、アルスラは怒声を上げていた。


 噛みつきに頭突き、毒の吐息ブレス…… 多頭を活かして、ヒドラは怒涛の連続攻撃を仕掛けてくる。


 腐ってもBランクパーティだから、メンバーたちはその連続攻撃をさばくこと自体はできた。しかし、その過程で、マリナは前衛組の一団から離れてしまっていた。事前に話し合った作戦に反して、いきなり分断されてしまったのである。


 ヒドラと正面から対峙するアルスラたちに対して、マリナは側面側に回って戦うことになる。すると案の定、手数が足りなくなって、先程よりもさらに防戦一方を強いられることになった。


 かといって、アルスラたちとマリナが合流しようすれば、ヒドラは多頭や巨体を使って邪魔をしてきた。合流するどころか、お互いの姿を視認することさえ難しかったくらいである。


 しかし、それでもアルスラとミザロが攻撃をまともに喰らったのは見えた。


 大量の水が二人を飲み込んだのだ。


「攻撃にも……!」


 マリナはそう大声で叫ぶ。


 作戦会議では、体内の水を消火に使うという話をしただけだった。また、どうしても目の前の首に意識がいってしまって、他から攻撃が仕掛けられる瞬間を見逃してしまったらしい。そのせいで、アルスラたち前衛組は対処ができず、後衛組も自分たちが回避するのがせいいっぱいで、指示までは出せなかったようだ。


 船を攫う高波のように、激流がアルスラとミザロを押し流す。


 勢いよく流れたため、水流は比較的短時間で収まった。けれど、水が引いても、二人は倒れたまま立ち上がろうとしなかった。


 流水の衝撃で気絶してしまったのか、もしくは水を飲んだせいで呼吸が止まってしまったのだろう。


「ドロシア、引きつけとけ」


 ピエルトはそう指示を出すと、すぐにアルスラたちの下へと駆け寄る。


 彼をサポートするため、ドロシアは指示通り弱点の火魔法を使って、ヒドラの注意を自身に向けさせる。また、ルロイもそれにならって火矢を放った。


 自分も囮役をやるべきか迷ったが、マリナは結局ピエルトの方へと向かうことにした。アルスラたちを治療をしている間に、彼が無防備になってしまうことを懸念したためである。


 ピエルトが魔法で治せるのは、外傷や一部の病気・中毒だけだという。そのため、彼は一般的な溺水者への救命を試みていた。ミザロを仰向けに寝かせ、顎を少し上げて気道を確保すると、手動の呼吸器で酸素を送り込む。


 ほどなくして、彼女は咳き込む様子を見せた。


「大丈夫か?」


「あ、ああ」


 そうは言うものの、ミザロの顔色はまだ蒼白だった。溺水のダメージは大きいようだ。


 けれど、ミザロにばかりかまけてもいられないからだろう。ピエルトは様子を見るのをマリナに任せると、同じようにアルスラの救命に取りかかる。


 しかし、結果まで同じとはいかなかった。


 呼吸器を使い、心臓マッサージまで行っても、彼はなかなか意識を取り戻さなかったのだ。


「ダメだ。起きないな」


 ピエルトはそう呟くと、アルスラから視線を上げる。


 その先には、ヒドラと戦うドロシアとルロイの姿があった。


 後衛の二人は防御や回避が不得手だからだろう。ヒドラに対して、攻撃しつつ後退して、一定の距離を保つという戦法を取っていた。


 だが、九つの首に対して、二人だけではやはり手数が足りないようだ。ヒドラに徐々に追いつかれ始めてしまっている。あれではいずれ攻撃につかまってしまうだろう。


 また、もし囮役の二人がやられれば、ヒドラは取りも直さずこちらへの攻撃に転じるはずである。


「仕方ない。撤退するぞ」


 ピエルトはそう宣言した。


 瞬間、マリナは目を尖らせる。


「本気ですか?」


「ここじゃあ治療に集中できないからな」


「あとでお怒りになられないでしょうか?」


「死ぬよりはマシだろう」


 いくらアルスラでも名誉よりは命を取るはずだと、そうピエルトは判断したようだった。


「私も安全を優先すべきだと思う」


 大分調子を取り戻してきたらしい。ミザロは気絶中のアルスラを担ぎ上げる。もはや完全に撤退する気でいるようだ。


「それとも、お前には何か勝算でもあるのか?」


 ピエルトの質問に、マリナは答えられなかった。


 半死半生のアルスラを放置して、残った全員で戦えば、ヒドラに勝つ見込みはあるだろう。しかし、犠牲を出しかねない作戦にピエルトが賛成するとは思えない。


 かといって、この場でアルスラの治療を終わらせるというのも難しいだろう。その場合、今度は囮役のドロシアたちが犠牲になってしまう恐れがある。どう考えても、真っ当な意味での勝算はないのだ。


「じゃあ、戻るぞ。いいな?」


「……分かりました」


 最終確認に、マリナは不承不承頷く。


 結局、今回も何の成果も上げることができなかった。無念だと言うほかない。

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