4-3 仮説2・火魔法説

「なんで火で窒息するんだよ?」


 ボクの話を聞いて、アルスラさんはすぐにそう問い詰めてきた。


「火を燃やして、部屋中の酸素を消費させたということです」


「?」


 仮説を批判していたわけではなく、単純に理解できなかっただけらしい。アルスラさんはさらに怪訝そうな表情を浮かべるのだった。


「たき火は空気を送るとよく燃えるようになりますよね? あれの逆です」


「なるほどな?」


 表情を見るに、おそらくまだ原理を理解していないのだろう。


 しかし、誰が犯人候補になるかは、アルスラさんにも分かったようだった。


「てことは、怪しいのは火魔法の得意なドロシアか」


「はぁ?」


「夜、ミザロたちが鍵をかけてベッドで寝る。その時に、ドアの隙間から火を撃って窒息死させたんだろ」


 ボクが言いたかったのも、概ねそういうことだった。


 けれど、ドロシアさんはすぐに反論してくる。


「そんなことしたら、息苦しくなって途中で目を覚ますわよ」


「む……」


 すっかり失念していたらしい。アルスラさんは言い返せなくなって、渋い表情をするばかりだった。


 だから、結局ボクが説明することになった。


「いえ、そうとも限りません。酸素濃度が極端に低い状況では、一呼吸しただけで気絶したり死亡したりすることがあるそうですから」


 得意な属性に関係することとはいえ、ドロシアさんもそこまで詳しいことは知らなかったらしい。


「そうなの?」


「大雑把に言うと、体の中にある濃い酸素が、呼吸で取り入れた薄い酸素の方に吸い寄せられて、一気に体内の酸素濃度が下がってしまうんだそうです。

 ですから、高火力の火魔法で、瞬時に極度の酸欠空気を作り出すことができれば、逃げる隙を与えずに相手を殺すことができたはずです」


 そこまで極端なものでなくても、ある程度低濃度の酸欠空気を吸っただけで、意識の混濁等による行動不能状態に陥ってしまうと言われている。被害者を逃げられないようにして殺すことは十分可能なのだ。


 理屈はともかく、被害者を起こさない殺害方法があることは理解したようで、アルスラさんは早速糾弾を再開していた。


「ほら見ろ。やっぱりお前が犯人なんだろ」


「ドアの隙間からじゃあ、そんな大きな炎を撃てないわよ。というか、普通レベルの魔法でも焦げ跡が残るわ。それとも、どこかに跡があるわけ?」


 ドアの隙間はほんの数ミリに過ぎない。マッチよりもさらに小さな火でもなければ、ドアやドア枠まで燃やしてしまう。しかし、そんな小さな火では、酸欠空気を一瞬で作るのは到底不可能だろう。


 このドロシアさんの反論を受けて、ボクたちはすぐにドアの調査を始める。念のために、隙間のある下部だけでなく、ドア枠全体もチェックする。


 けれど、ドロシアさんの言う通り、焦げ跡はどこにもなかった。


「だから言ったじゃない」


 ドロシアさんを始めとする魔法使いは、武器として杖を持つことが多い。ただし、これは属性魔法を強化する補助的なものであって、魔法を放つのはあくまでも術者自身の体からだった。そのため、ドアの隙間から細い杖を部屋の中まで通して、杖の先から巨大な炎を出す……といった方法も取ることはできない。


 それでも酸欠説に説得力を感じているのか、あるいは単純にドロシアさんの言い方が気に喰わなかったのか。アルスラさんはまだ食い下がるのだった。


「そんなの上手くやっただけの話かもしれないだろ」


「そんなに凄腕なら、もっとレベルの高いパーティに入れてもらってるわよ」


「なんだと?」


『暁の団』を貶されて、アルスラさんはそういきり立つ。ドロシアさんも負けじと「何よ」と睨み返す。見かねたように、ピエルトさんは「関係ないことで揉めるなよ」と仲裁に入った。


 しかし、二人の言い争いは、別の要因のせいでさらにヒートアップすることになった。


「そもそも火が燃えるのに必要な酸素濃度は、致死レベルの酸欠空気に比べればかなり高いはずじゃからの。酸欠空気を作る前に、火が燃えなくなるだけではないか?」


「そういえば、そうでしたね……」


 諸条件によっても変化するが、多くの場合火が燃えなくなる程度の酸素濃度では、人体への影響はほとんどないとされている。せいぜい呼吸や脈拍の回数が増えるくらいだという。


 溺死説の時と同様、スフィアさんの指摘は今回も正鵠を射ているだろう。ボクは火魔法説を撤回するしかなかった。


 また、このやりとりを聞いて、アルスラさんは悔しそうに顔を歪め、反対にドロシアさんは勝ち誇ったように笑みを浮かべる。


 けれど、それでもまだ、犯人扱いされたことに対する彼女の怒りは収まらなかったようだ。


「ていうか、部屋の酸素をなくすなら、もっと単純に風魔法でいいんじゃないの?」


「隙間から酸素を吸い出したってことですか?」


「そうそう。これならドアに跡も残らないでしょ?」


 ボクが確認を取ると、ドロシアさんは自慢げに頷いた。


 風魔法をトリックに使ったと聞いて、すぐにピンときたらしい。風はアルスラさんの得意な属性なのである。


「俺が犯人って言いたいのか?」


「そうよ」


 アルスラさんの詰問に、ドロシアさんは悪びれもせずにそう答える。やはり犯人扱いを根に持っていたようだ。


 二人が本格的に言い争いを始めたら、事情聴取に滞りが出てしまうだろう。だから、その前にボクは風魔法説の検討を始めていた。


 ボクは属性魔法が苦手なので断定はできないが、持っている知識の範囲で判断すると……


「実際には無理ですよね?」


「水や風を生み出して、それを操るのが属性魔法ですからね。逆に言えば、自分で作ったもの以外の操作はほとんど不可能です。それができるなら、たとえば相手の体内の水分や酸素を操って殺すような魔法が普及しているはずでしょう」


 同じ理屈で、部屋の空気を操って酸素だけを吸い出すこともできない。マリナさんはそう言いたいらしかった。


「仮にできたとしても、この部屋は完全に密閉されておるわけではないからの。他の隙間から空気が入ってきて、どのみち失敗するとしか思えんのう」


 スフィアさんも風魔法説には否定的なようだった。


 一応、他から空気が入ってくる以上のスピードで、酸素を吸い出すという手も考えられなくはない。しかし、それを実行するには、ドアの下の隙間は小さ過ぎるだろう。


「エディル、何かないの?」


 さっきはあたしのことを疑ったんだから、同じくらいアルスラのことも疑いなさいよ。ドロシアさんはそう言わんばかりだった。


「属性魔法は生み出すことしかできないというなら、逆に風魔法で酸欠空気を生み出して送り込む、という手が考えられますが……」


 この方法なら、送り込んだ酸欠空気をたった一度吸わせるだけで、相手を死に至らしめることができる。ドアの隙間から時間をかけて部屋中の酸素を吸い出す方法と違って、他から空気が入ってきても問題にはならないだろう。


「でも、そんな魔法がありますか?」


「……たとえば水魔法で生み出せる水は、不純物のほぼ含まれない純水だけです。硫酸のような特殊な液体はおろか、水に別の物体が溶けた水溶液――たとえば食塩水すら作ることはできません。その点は風魔法も同様のはずです」


 そのため、マリナさんによれば、風魔法で生み出せる風の成分は、大気(普通の空気)とほとんど変わらないのだという。


 かといって、ボクたちが酸欠空気を生み出す魔法の存在を知らないだけということもなさそうだった。


「吸わせるだけで相手を殺せるなら、攻撃手段としてかなり有効じゃからな。実在するならとっくに広まっとるじゃろう」


 にもかかわらず、誰も知らないのだから、存在しないものと考えても問題ない。スフィアさんはそう今度の説も却下してきたのだった。


 もっとも、自分でもかなり無理のある理屈だという自覚はあった。だから、ボクは「そうですよね」と大人しく引き下がる。


 また、ピエルトさんも、別の観点から風魔法説全般を否定してきた。


「大体アルスラには酸素濃度だの酸欠空気だのなんて知識はないだろ」


「なっ」


 怒りに顔を赤くしたが、アルスラさんはすぐに考え直したようだった。


「そ、そうだ。俺は頭が悪いんだ」


 早々にプライドよりも無罪の方を選んだのである。


 この主張を聞いて、犯人扱いされたことに対する溜飲を下げたらしい。ドロシアさんもそれ以上風魔法説を唱えることはなかった。……アルスラさんの言葉に納得しただけかもしれないが。


 代わりに、ドロシアさんは別の説の検討を始めていた。


「他に酸欠にする方法はないの?」


「大量の金属がある場所で、事故が起きた例があると聞いたことがあります」


「?」


「錆ですよ。錆というのは金属に酸素が結びついてできるものですから」


 そのため、古い金属製の建造物の中に入ったら、錆のせいで酸欠空気が発生していて、酸欠を起こしてしまった……という事例があるのだという。


「でも、数時間で錆びるような金属はないはずですからね。今回の事件には関係ないでしょう」


「仮に存在したとしても、隙間から出し入れできる程度の量では、減らせる酸素もたかが知れておるじゃろうしの」


 スフィアさんが補足してくれた通りだろう。他の隙間から空気が入ってきてしまうのだから、少量の金属で部屋の酸素を少し減らしたくらいでは何の意味もない。


「他には?」


「植物の呼吸で事故が起こった例もあるそうです」


 植物は通常、「光と水と二酸化炭素を取り入れて、酸素と有機物を作り出す『光合成』」と「酸素を取り入れて、二酸化炭素を作り出す『呼吸』」の二つを行っている。


 しかし、家人が閉め切った暗い部屋に植物を置いたために、光合成が行われず呼吸だけが延々と行われることになった。その結果、最終的に部屋中の酸素が消費し尽くされて、酸欠空気が発生してしまった……という事例もあったとされている。


「でも、それも隙間からじゃあ無理ってことね」


「ええ」


 先の事故に関しても、部屋に大量の植物を置いたことが原因のようだった。隙間から出し入れできる程度の量では到底足りないだろう。


「それなら補助魔法はどうだ?」


 そう言ったのは、アルスラさんだった。


「マリナ、ドロシア、俺と来たんだ。ピエルトが酸欠にする方法はないのか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る