4-2 仮説1・溺死説
ここに来て、意外な殺害方法が取られた可能性が出てきた。
「溺死、ですか?」
「溢血点は溺死の場合にも出ることがある……と聞いたことがある」
ボクの質問に、ピエルトさんは改めて死体のまぶたの裏を確かめていた。
発想になかっただけで知識自体はあったらしい。話を聞いて、スフィアさんが補足説明を加えた。
「溺死も窒息死の一種じゃからの。酸素不足で死ぬわけじゃから」
念のため、あとで憲兵にも確認するべきだろう。だが、親しい間柄でもない二人が、揃って証言したのだから信用していいはずである。
「でも、溺死の場合、死体が泡を吹くんじゃないんですか?」
「いや、泡を吹いていたら溺死の疑いが強いってだけだ。溺死なら必ず泡を吹くわけじゃない」
「せいぜい半々くらいだったかの」
ピエルトさんとスフィアさんは今度も同じような証言をした。だから、この話も概ね信用していいだろう。
また、二人の話を信じる理由は他にもあった。
「溺死なら、首に跡がなかったことにも説明がつきますね」
これまでは跡がつかないように、マフラーのような柔らかい布を凶器にして絞殺したと推測していた。だが、そもそも絞殺ではないという可能性もあったのだ。
そう納得するボクと違って、アルスラさんは怪訝そうな表情を浮かべていた。
「窒息死にしろ溺死にしろ同じことだろ。殺したあと、どうやって部屋を密室にしたっていうんだよ」
どうやらアルスラさんは、「水を張った桶に力づくで被害者の顔をつけて殺す」というような殺害方法を思い浮かべているらしい。
しかし、ピエルトさんが想定しているのはもっと別のやり方に違いなかった。
「外から部屋を水で満たして溺死させた、ということですよね?」
「ああ、そうだ」
ボクが確認すると、案の定彼はそう頷いた。
まったく想像もしていなかったような方法だったのだろう。話を聞いて、アルスラさんはますます怪訝げに眉根を寄せた。
「そんなことできるのか?」
「普通は無理だろう。ただ水魔法が得意なやつなら……」
確証がないからか、ピエルトさんは言葉を濁す。けれど、何を言いたいかは明らかだったせいで、彼女に視線が集まってしまう。
彼女も否定はしなかった。
「……
マリナさんはそう言って実演を始める。
部屋の代用品として、リーンの入っていた瓶を改めて取り出す。また出入口の代わりに、瓶の口を横に向けた状態にする。
そうやって左手で瓶を持つと、今度は瓶の口に対して右手の手の平を向けた。その手の平から、水の球が生み出される。
そして、マリナさんは最後に水の球を放って、瓶の中まで移動させたのだった。
「こうして水で球体を作るのと同じ要領で、部屋を満たすように水の形を保持すれば、おそらく溺死させることはできるでしょう」
彼女が言ったように、魔法によって瓶の中の水がコントロールされているということなのだろう。水は瓶の口からこぼれないどころか、中で球の形を保ち続けていたのである。
この実証実験を目にして、アルスラさんは率直に尋ねた。
「それじゃあ、お前が犯人なのか?」
「ただその場合、部屋に濡れた痕跡が残るはずです。この季節に一晩で乾ききるということは考えにくいでしょう」
季節はまだ春先である。また死亡推定時刻も夜だった。そこまで気温が上がるはずがないし、ボクも暑さで寝苦しくなった覚えはない。
「また、ご存じかと思いますが、魔法は基本的に出すことはできても消すことはできません。ですので、布団やカーペットに染み込んだ水を魔法で消すことは不可能です」
火や水といった自然現象を生み出すのが属性魔法である。出したら出しっぱなしというのが原則だった。そのため、自然現象と同様に風や電気はその内に減衰して消滅するが、水や土はその場に残り続けることになる。
「だから、そもそも大量の水の処分に困っちゃうわよね?」
「そうですね。その問題もあります」
同じ属性魔法の使い手として、ドロシアさんとマリナさんはそう言い合った。
相手を溺死させるために、部屋を満たすほどたくさんの水を発生させなくてはいけない。捨てようとすれば、どこかしらに痕跡が残ってしまうだろう。
けれど、マリナさんの言葉尻を捕まえて、アルスラさんは彼女に容疑をかける。
「でも、『基本的には』だろ。実は消すのまでできたりするんじゃないか?」
「仮にできたとしても、殺人は不可能です。ドアの隙間しか出入口がない以上、少しずつしか水を入れることはできません。そうなると、部屋を満たす前に気づかれて、部屋から出てこられてしまうでしょう。酔っていたミザロさんはともかく、ルロイさんを殺すのは無理があります」
部屋に酒瓶もなければ、死体から酒のにおいもしなかった。ルロイさんも実は酔っていたということは考えにくいだろう。
「部屋の前に犯人がいるせいで、びびって出られなかったんだろ。近接戦闘なら、マリナの方が強いからな」
「それなら、大声で助けを呼ぶなり、窓から逃げるなりすると思いますが」
これもマリナさんの意見の方が筋が通っているだろう。部屋の中には、少しずつしか水を入れられないのだ。相手に意識があれば、溺れる前に何かしら助かるための行動を取っていたはずである。
しかし、その考えをアルスラさんは逆に利用してきた。
「睡眠薬で眠らされていたのかもしれない」
「どうやって睡眠薬を盛ったとおっしゃるんですか?」
「そりゃあ、あれだ。食べ物でも差し入れしたんだろ」
「さすがに犯人がまだ判明していないのに、他人から受け取るとは考えにくいのではないでしょうか」
睡眠薬どころか毒を盛られる恐れだってあるのだ。あまりに迂闊過ぎるだろう。
「ていうかアンタ、ルロイと晩御飯を食べに行ったんでしょ? その理屈だとアンタが怪しいことになるわよ」
このドロシアさんの一言は急所に入ったらしい。アルスラさんは、「お、俺は水魔法は得意じゃないんだ」と弁解に回るしかないようだった。
「やっぱり、溺死は無理があるか」
あくまでも可能性の一つとして挙げただけだったのだろう。最初に溺死説を唱えだしたピエルトさんも、特に再反論をしようとはしなかった。
「ただ、部屋ごと水没させなくても溺死させる方法はあります」
溺死というと川や海で起こるものというイメージがあるからだろう。ボクの話にみんなが驚いたような顔をする。
見当がついたのはスフィアさんだけのようだった。
「乾性溺水か?」
「ええ、そうです」
これを聞いても、理解できたのは、死体と関わることの多いピエルトさんと水魔法が得意なマリナさんだけのようだった。アルスラさんとドロシアさんは、相変わらずピンと来ていない様子である。
「溺死には大きく分けて二種類あるんですよ。一つは湿性溺水。これは肺に水が入って、呼吸ができなくなって死ぬというものです。いわゆる溺死でイメージされるのはこの湿生溺水でしょうね。ヒドラ戦でアルスラさんが溺れかけたのもこれでしょう」
「嫌なことを思い出させるな」
よほど腹立たしかったらしい。アルスラさんはすぐにでも抗議してきた。
「もう一つは乾性溺水です。こちらは水が入ってきたショックで喉が痙攣を起こして、呼吸ができなくなって死ぬというものです。あくまでショックが原因なので、少量の水――それこそコップ一杯の水でも起こると言われています」
そのため、ちょっとした水遊びどころか、飲食中に事故が発生した例もあるとされているほどだった。
「溺死説――つまりマリナさん犯人説の最大の問題点は、リーンを預かったことに説明がつかないことです。罪を免れたいなら、どう考えても身代わりになってくれる人間がいた方が都合がいいですからね。
その点で、少量の水でも起こせる乾性溺水を利用したなら、他のメンバーでも犯行が可能だったことでしょう」
得手不得手、戦闘で使えるか否かという差があるだけで、大抵の人間は強化魔法と属性魔法の両方を扱うことができる。コップ一杯の水を出す程度なら、戦士や武闘家のような前衛職の人間でも可能なのだ。
しかし、スフィアさんは乾性溺水説についても否定的だった。
「だとしても、まだ問題はある。一体どうやって部屋の外から水を飲ませたというんじゃ? ドアの隙間から見ただけでは、中の様子はほとんど分かるまい。正確に口を狙って水魔法を撃つのは難しかろう」
宿屋のドアには窓の類はついておらず、外から中の様子を覗くことはできないようになっていた。いくら魔法で水の動きを操れても、相手の口の位置が分からなければ、水を飲ませることは確かに不可能に違いない。
「それなら、ドアの下から外を覗くように指示するというのはどうですか? そうすれば隙間からでも口の位置を把握できますよね?」
「一人目はともかく、二人目はそんな怪しい指示を聞かんじゃろう」
スフィアさんはそう一蹴する。
けれど、それはルロイさんの性格をよく知らないからだろう。『暁の団』のメンバーはそう考えたようだった。
「分からないわよ。ルロイって気が小さかったもの。よほど無理な頼みでもなきゃ聞いたんじゃないかしら」
ドロシアさんは、スフィアさんよりもボクの説を支持した。
「スライムやマフラーが凶器じゃないかって話だったからな。ドアの下から殺されるなんて考えもしなかったんじゃないか」
ピエルトさんもそう同調する。
「しかし、やはり無理があるじゃろう」
二人の話を聞いても、スフィアさんの結論は変わらなかった。
「貴様ら、普段水を飲む時に溺れたことがあるか? せいぜい少しむせて終わりじゃろう? 乾性溺水はそう簡単に起きるものではない」
「確かに、体の未熟な子供だと多少起きやすい程度だと聞いたことがあります」
マリナさんが補足するように相槌を打った。
他に、反射が衰えてきた老人も乾性溺水を起こしやすいとされている。だが、どちらにしろ、ルロイさんは該当しているとは言えない。
「かといって、二度三度と試せるような殺害方法ではないじゃろう。それとも、あやつは何度水をかけられても許すほどの間抜けじゃったのか?」
「さすがにそこまでのお人よしじゃない」
アルスラさんは首を振った。ルロイさんとは長い付き合いだけに、無茶な命令をしたり、それを断られたりした経験があるのだろう。
「それに死体の位置も疑問じゃな。死の間際に苦しみでもがいたとして、二人ともベッドに向かったというのはさすがに偶然が重なり過ぎじゃろう」
あたかも寝込みを襲われたかのように、二人の死体はベッドに横たわっていた。となると、相手をドアの前に呼び出して殺したとは確かに考えにくい。
被害者たちは本当に寝込みを襲われたか。もしくは、起きた状態で殺されて、そのあとベッドまで運ばれたかのどちらかなのではないか。
しかし、それでは犯人は部屋の中に入って犯行を行ったことになってしまう。部屋が密室だったことに説明がつかなくなってしまうだろう。
「……溢血点は窒息死全般で出ると考えていいんですよね?」
「血液中の酸素が減るのが原因の一つだからな。だから、溺死でも溢血点が出ることがあるんだろう」
ボクが確認すると、ピエルトさんはそう答えた。スフィアさんも頷いていたので、誤りはないと見ていいだろう。
このボクの行動が、アルスラさんには意味不明なようだった。
「絞殺でも溺死でもないのに、どうやって窒息死させるっていうんだ?」
「部屋を酸欠状態にするというのはどうでしょう?」
アルスラさんは苛立ったように再び尋ねてくる。
「だから、どうやって?」
「犯人は火の魔法を使ったんです」
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