1-4 スフィンクスの謎

 ギルドなどで収集した情報を参考にするかぎり、今回山中に出没するようになったこのスフィンクスは相当強い。ひょっとすると、ドラゴン並みの強さということもありえる。


 だから、もしそんなモンスターを使役できるようになれば、ソロでも十分にやっていけるようになるだろう。


 しかし、ボクの出した条件に、当のスフィンクスは目をすがめていた。


「貴様の手下になれ、じゃと?」


「いえ、仲間ですよ。協力してくださるだけで十分です。無茶な命令だと思ったら、断ってもらって構いません」


 相手がスフィンクスだから下手したてに出ているわけではなかった。他の仲間モンスターたちとも概ね同じ条件で契約している。「リーンたちには労働力を担ってもらい、その代わりにボクは十分な食事や安全な寝床を用意する」という風に、ボクたちは相互に利益のある対等な関係を結んでいたのだ。


 もちろん、そのような互恵関係が、ボクたちのすべてだとは思っていない。リーンたちが自分の身を犠牲にしてまでボクを守ってくれたこともある。反対に、ボクも「リーンたちを切れば、『暁の団』に残留できる」という話を突っぱねたりしている。


 しかし、だからといって、その信頼関係を利用して相手に無理を強要したことは、お互いに一度もなかった。


 けれど、そう説明されたことによって、スフィンクスはますます不快感を募らせたらしい。


「あまりわしを舐めるなよ、わっぱ。たとえどれほど簡単なものだろうと、貴様ら人間の命令を聞くなど死ぬよりも屈辱的じゃ」


 鋭く尖った爪がこちらへと向けられる。恐怖心からボクは思わず息を呑む。


 謎掛けに誤答するどころか、問題文を聞く前に殺されてしまうのではないか。そう思わされるほどにスフィンクスは殺気立っていたのだ。


「しかし、儂だけが一方的に条件を出すというのも、確かに公平性に欠けるかもしれんのう」


 先程までの剣呑な雰囲気はどこへ行ったのか。スフィンクスはあっさりと前足を引っ込めてしまう。


「じゃから、貴様の出した条件を一部取り入れてやろう。契約を更新制にするというのはどうじゃ?」


「更新制というと?」


「定期的に、儂が貴様に謎掛けを出す。あるいは謎や事件に遭遇した時に、探偵としてどちらが先に答えを出すかで勝負する。

 もし貴様が勝てば契約は延長じゃ。引き続き、手下として働いてやる。しかし、負けた時には貴様を喰わせてもらう。これでどうじゃ?」


 まさか自殺することよりも人間の仲間になることの方が耐えがたいような、高いプライドの持ち主だとは思ってもみない。そのせいで、こちらが譲歩する展開になることなど事前にまったく想定していなかった。


 だから、提案にすぐに頷くことはできなかったのだった。


「更新の際に、勝負を受けずに契約を放棄することはできますか?」


「構わぬぞ。元々この勝負でも、道を引き返すことを認めておるしの」


 一度の勝負で永続的な契約を結ぶのがベストだった。けれど、契約そのものを蹴られることに比べれば、更新制への変更はまだベターだと言えるだろう。自信がなければ、次の勝負は受けなければいいだけのことである。


 また、スフィンクスと一時的に契約しておいて、次の勝負まで(=契約が解除になるまで)にソロでやっていけるだけの実力を磨くという手もある。そう考えると、このあたりが落としどころとしては妥当なのではないだろうか。


「……分かりました。その条件で受けます」


 最終的に、ボクはそう決断を下すのだった。


「ちなみに、回答までの制限時間は?」


「ああ、それも決めねばならんかったの。まぁ、キリよく日没までというところでよいのではないか」


 太陽はすでに南中を終えて傾き始めていた。日が沈むまで、おそらくあと二~三時間というところだろう。


「それでも受けるか?」


「はい」


「問題を聞いてからやめにするのは認めぬがよいな?」


「はい」


「よかろう」


 ボクの返答に、スフィンクスは満足げに頷き返した。


「では、行くぞ」


 いよいよ生死を分ける謎掛けが出題される瞬間が来る。


 しかし、ボクはほとんど緊張していなかった。


「更新制の契約なら、自信がなければ次の勝負は受けずに解除すればいい」と、つい先程ボクはそう考えた。


 言い換えれば、今回に限っては絶対に勝負に勝つ自信があったのだ。



          ◇◇◇



 スフィンクス退治に出発する直前のことである。


 ボクは街の酒場を訪れていた。


「あのー、ウォードさんでしょうか?」


「ああ、そうだが」


 一人酒を邪魔されたのが面白くなかったのだろう。強面こわもての男はますます恐ろしげな顔つきをする。


 しかし、これからすることのためには、彼の態度にたじろぐわけにはいかなかった。


「ス、スフィンクスに仲間を殺されたと聞いたんですが」


「…………」


『スフィンクスは一番山越えの楽な道に出るので、大半の方は回り道をして回避されているみたいですね。おかげで、被害が出たのはまだ一度だけです』


 ギルドで受付の人がそう説明してくれた。今回出没したスフィンクスに関して、彼が唯一の被害者――つまり唯一の情報源だったのである。


「よかったら、詳しい話を聞かせていただけませんか」


 そう言いながら、ボクは財布から金を取り出す。それなりの額だったが、スフィンクスの討伐で手に入る報酬に比べれば大した出費でもない。


「……まぁ、座れよ」


 少し考えてから、ウォードさんは結局そう答えたのだった。


「俺はレイスってやつと組んでたんだ。俺が戦士で、あいつが魔法使い。二人だけのパーティだけど、Cランクだったんだぜ」


 ギルドがパーティの実績や信頼度に応じて認定するランクは、最低のGから始まって、Aの上に最高のSがあるという八段階評価となっている。


 ボクが所属していた『暁の団』はBランクだったが、これはあくまで六人分の力を総合したものである。たった二人だけでCランクまで昇格しているというのは、ウォードさんたちが相応の実力者だという証と考えていいだろう。


「俺たちが行く前は、まだ正式な討伐依頼は出てなかったんだよ。山にスフィンクスが出るっていうのは噂にはなってたけど、俺もあいつも大して信じちゃいなかったしな。

 ところが、山道を歩いてると、突然でかい猫みたいなモンスターが現れやがって。それがスフィンクスだったってわけだ」


 しかし、単に遭遇しただけで襲われるなら、もっと多くの被害者が出ているはずだろう。ウォードさんたちが唯一の被害者となったのには、別の理由があったはずなのだ。


「ギルドでは、引き返すか謎掛けに挑むか選べたと聞いたんですが」


「レイスは頭に自信があったから、答えられると思ったみたいだ。俺は俺で腕に自信があったから、たとえ戦闘になっても勝てると思ってたしな。でも、それが失敗だった」


 ウォードさんは自嘲的に「慢心したやつから死ぬのが冒険だって、分かってたつもりだったんだけどな」と続けた。


「スフィンクスの出す問題は、俺にはさっぱり分からなかった。それどころか、頼みの綱のあいつも悩んじまったくらいだ。

 結局、あてずっぼうで答えてみたが、当たるわけもなくてな。スフィンクスはすぐに襲いかかってきやがったんだ。しかも、それが強いのなんのって」


 Cランクのパーティが完敗を喫したくらいである。相手はBランク、ひょっとするとAランク相当の強さということも考えられる。Aランクパーティに出動が要請されるようなモンスターといえば、それこそドラゴン級ということになるだろう。


「まぁ、俺らだって冒険者歴は長いからな。いつもみたいに俺がなんとか敵を足止めして、その間にレイスのやつが魔法を一発喰らわせたよ。

 だけど、それがスフィンクスには逆効果だったみたいだ。レイスのことを邪魔だと思ったんだろうな。猫みたいな素早い動きで、俺の足止めをするりと簡単に抜けていって。それで俺が振り返った時には――」


 レイスの頭が吹き飛んでたよ。


 ウォードさんは弱々しくそう言った。


 その時に感じた、悲しさ、無力さ、腹立たしさ、情けなさ…… そういった感情を忘れるようとしているのか、彼は再び酒に手を出したのだった。


「そのあとはどうされたんですか?」


「あいつが死んでるのは明らかだったからな。二人でも無理なのに、一人じゃあ勝てるわけがないと思って逃げた。スフィンクスの追跡が甘かったのは……もうが手に入ったからなんだろうな」


 ともすると不躾ぶしつけな答えづらい質問に、ウォードさんは苦しげにしながらも答えてくれた。


 店に入ってきた時、ウォードさんは一人酒をしていた。ボクに話しかけられた時は、邪魔くさそうな反応をした。もしかしたら、レイスさんを亡くしたことに対して、ウォードさんはヤケ酒や献杯として酒を飲んでいたのかもしれない。


「スフィンクスが出るって聞いてたのに、俺はあいつを止めなかった。俺も一緒に死んでやるべきだったのかもな……」


「そんなことはないでしょう。ウォードさんだけでも生き残ってくれて喜んでいると思いますよ」


 慰めのつもりだったが、本心からの言葉でもあった。そのおかげか、ウォードさんはようやくわずかに微笑をもらす。


 ただ、ウォードさんには悪いけれど、ここまでの話はボクにとってさほど重要ではなかった。スフィンクスと戦うつもりはなかったからである。


 ボクはあくまで謎掛けを解くつもりだったのだ。


「スフィンクスが出した謎掛けというのは、どんな問題だったんですか?」


「挑む気なのか? 今の話を聞いて?」


 ウォードさんは困ったような怒ったような風に聞き返してくる。


 どうやらボクの身を案じてくれているらしい。


「やめとけよ。問題を変えないって保証はないんだぜ」


「聞くだけにしておきますから」


 ボクはもう一度、財布から金を出していた。


 パーティメンバーを失ったせいで、仕事に困っていたのか。あるいは、傷心のせいで、しばらく仕事をする気になれなかったのか。ウォードさんは考え込んだ末、最後には金を受け取ったのだった。


「……『朝から少しずつ背が縮んでいって、真昼に最も小さくなり、夕方が近づくにつれてまた背が伸び始めるものは?』だったかな」



          ◇◇◇



 ウォードさんから問題を聞いて、ボクにはすぐに答えが分かった。


 答えは『影』だ。


 謎掛けの正解が分かっている以上、危惧することはただ一つ。スフィンクスに問題を変えられてしまうことである。


 オイディプス王の伝説では、一貫して同じ問題を出し続けていたはずだから、それは杞憂とも考えられる。けれど、何もかも伝説と同じとは限らないだろう。


 そこで僕は一芝居打ったのだった。


『だ、誰……何者ですか?』


『なんじゃ知らんで来たのか?』


 スフィンクスが姿を現した時、ボクは彼女のことを知らないふりをした。あらかじめ問題を調べてきていないような態度を取ったのである。


 だから、ボクは満を持して、スフィンクスの出す謎掛けに耳を傾けるのだった。


「明け方には目を持たず、朝には二つの目を持ち、昼には三つの目を持つようになるものは?」


 ボクは思わず瞠目していた。


「なっ」


 なんで問題を変えたんですか?


 そう質問すれば、事前に問題を調べたことがバレて、機嫌を損ねた相手が襲いかかってくるかもしれない。しかし、つい声を漏らしてしまうくらい、質問したい気持ちを抑えるのは難しいことだった。


 なにしろ、謎掛けに答えることができなければ、スフィンクスに食べられることになっていたからである。


 そうして動揺するボクとは対照的に、スフィンクスは冷然と告げてきた。


「では、約束通り日没までに回答してもらおうかのう」

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