1-3 スフィンクスの提案、エディルの提案

「あ、あのー」


 ボクが魔物使い――モンスターを使役する危険な職業だと知っているからだろう。ギルドの受付の女性は一瞬嫌そうな表情をする。


 しかし、そこはプロである。すぐに笑顔を作って応対してくれるのだった。


「何の御用でしょうか?」


「この依頼について、詳しい話を聞かせてもらえますか」


 掲示板から剥ぎ取った依頼票をボクが差し出すと、その内容を受付の人は確認した。


「スフィンクスの討伐ですね」


 そう、それこそがボクの気になった依頼だった。


「エディルさんは、スフィンクスについてはご存じですか?」


「人間の頭とライオンの体、それからワシの翼を持つモンスター……ですよね?」


「ええ、そうです」


 討伐の成功率を高めるために、モンスターの特徴について冒険者に解説するのも受付の仕事だった。しかし、あまり長く話し込んでしまうと他の業務に支障が生じるし、かといって省略してしまうと討伐が失敗する恐れが出てくる。だから、説明の手間を省けそうなことに、受付の人はホッとしたような顔をする。


「最も有名なのは、オイディプス王の伝説に出てくるものでしょうか。

 ある時、都のそばにある山に、スフィンクスが出没するようになりました。スフィンクスは通りがかった人間に対して、自分の出す謎掛けに答えるように要求します。

 曰く、『朝は四本の足で歩き、昼は二本の足で歩き、夜は三本の足で歩くものは何か?』と」


「ええ、ええ」


「知識がある」というボクの返答が嘘ではなく、また誤った知識を持っているわけでもなかったからだろう。受付の人は嬉しそうに相槌を打っていた。


「もし謎掛けに答えられないと、罰としてスフィンクスに食べられてしまいます。しかし、正解が分かる人は一人もいませんでした。そのせいで、人々はスフィンクスを避けるために遠回りをさせられて、不便な生活を強いられることになります。

 そこで、都ではとうとう『スフィンクスの謎掛けに答えられた者を王にする』というお触れまで出されることになりました。そして、これを聞いて立ち上がったのが、旅人のオイディプスです」


 先に述べたように、この話はオイディプスの伝説である。つまり、オイディプスは正解を導き出すことができたのだ。


「オイディプスはスフィンクスの下へ行くとこう言いました。『答えは自分だ』と。

 問題文の朝や夜というのは、時間の経過を表したものだと考えられます。また、足というのは歩くのに使うものの比喩だと考えられます。

 だから、問題文が指しているのは、赤ちゃんの頃は手も使ってはいはいをし、成長してからは足だけで歩き、老人になると杖をつくようになるもの…… ゆえに答えは自分――つまり人間です。


「人間との知恵比べに敗北した悔しさから、スフィンクスは峠から身を投げて自殺しました。また、見事スフィンクスを討伐したオイディプスは、都の人々に王として迎え入れられることになったのでした」


「え、ええ」


 受付の人の顔はいつの間にか引きつっていた。


「魔物使いの方には、お尋ねするまでもないことでしたね」


「いや、えっと、すみません……」


 同じく、受付の人に説明するようなことでもないだろう。無駄な長話を聞かせてしまったことに、ボクは申し訳ないような恥ずかしいような気持ちになる。


 ただ相手はやはりプロだから、すぐに笑顔に戻って業務を再開するのだった。


「今回出没したスフィンクスも概ね伝説の通りのものですね。山道に陣取って、謎掛けを出してくるようです」


「それで間違えたら殺されるんですか?」


「代わりに、もし正解できたら自殺すると言っているそうです」


 確かにそれはオイディプス王の伝説とほぼ一致している。珍しいモンスターなので詳しいことはあまりよく分かっていないが、謎掛けでの勝負にこだわりを持つという習性があるのかもしれない。


「スフィンクスは一番山越えの楽な道に出るので、大半の方は回り道をして回避されているみたいですね。おかげで、被害が出たのはまだ一度だけです。

 ただ、そのせいで山向こうからの物流に影響が出てしまって…… だから、ギルドは討伐依頼を出すことにしたんです」


 また、受付の人は続けて、高額な報酬が出るとも説明した。なんでも商人を中心に、スフィンクスを迷惑がっている人が大勢いるのだそうだ。


 しかし、どれだけ説明されても、報酬の話は耳に入ってこなかった。その前の、さらに前にしてくれた話が気になっていたからである。


「つまり、頭を使えば討伐できるってことだね」


「はい?」


「いえ、こっちの話です」


 話の流れを無視したつもりはなかった。ただボクは帽子の下のリーンに話しかけていたのだ。


 戦って勝てなくても謎掛けを解ければいい、と。ボクでも討伐できるかもしれない、と。


「この依頼、ボクが受けます」



          ◇◇◇



 ギルドをあとにすると、ボクはそのままスフィンクスが出るという山へと向かった。


 謎掛けを解ければ、スフィンクスは自ら命を絶つという。戦闘力の低いボクでも勝ちの目はあるだろう。しかし、道中に出るモンスターはそういうわけにもいかない。


 それで、カラスのフニに周囲の索敵をしてもらって、ボクはモンスターを避けながら山道を進んでいくのだった。


 また、万が一、戦闘になった時のために、回復用のポーションをたっぷり用意して、それをロバのダップルに運んでもらう。


 こうして万全を期したおかげで、特にモンスターと遭遇することもないまま、ボクたちは情報にあった出現地点までたどり着くことができた。


 その時のことである。


「待ちくたびれたぞ、人の子よ」


「!」


 フニが知らせてくれていた通り、木の上に潜んでいたらしい。ボクの目の前に、突然が姿を現した。


 体には翼が生えていた。力強く、それでいて鋭さのあるワシの翼である。木の上にいたのも、幹を登ったのではなく空を飛んだ結果なのではないだろうか。


 だが、相手はワシではない。体は四足獣のものだったからである。鋭く伸びた爪に、引き締まった筋肉、黄褐色の毛皮…… これはライオンの体だろう。


 そして、顔はワシでもライオンでもなく、人間の女のそれだった。


「だ、誰……何者ですか?」


「なんじゃ知らんで来たのか? 貴様のようなわっぱでも、スフィンクスの名前は聞いたことがあるじゃろう?」


 相手の顔はボクよりも幼いくらいだった。せいぜい十一、二歳というところだろう。しかし、話し方はボクよりもはるかに威厳があった。


「貴様には今、三つの選択肢がある。

 一つ目は、わしの出す謎掛けに挑むことじゃ。もし貴様が正解すれば、潔く自害してやろう。この道を好きに通るがよい。

 ただし、勝負である以上、貴様にも同じリスクを背負ってもらう。もし間違った時には、貴様の肉を喰わせてもらうぞ」


 完全に人間と同じというわけではないらしい。口から覗いた彼女の歯は、どれも牙のように尖ったものだった。


「二つ目は、儂と戦うことじゃ。力の勝負なぞつまらんから儂としてはやめてほしいが、貴様がやりたいと言うのなら仕方あるまい。もっとも、そのせいで退屈しのぎに貴様をいたぶってしまうかもしれんがの」


 通常のライオンでさえ、骨格に対する筋肉の量が多く、力が非常に強いという。スフィンクスともなると、おそらくそれ以上だろう。


 また、ワシは鳥類の中でトップクラスの飛行速度を誇ると聞いたことがあった。戦って勝つのはもちろん、戦闘の途中で逃げ出すのも難しいのではないだろうか。


「三つ目は、来た道を引き返すことじゃ」


「見逃してもらえるんですか?」


「儂の目的は謎掛けをすることじゃからの。別に腹を満たしたいわけでも、人間を殺したいわけでもない」


 相手は淡々とそう言ってのけた。「スフィンクス=人喰いの化け物」という先入観のある人間が聞いたら驚くような答えだろう。


「じゃあ、どうして人を食べるんですか?」


「儂にとって、謎掛けは決闘と同じじゃ。やるからには、互いの命を懸けた真剣勝負がしたい」


 たかがなぞなぞ遊びである。そんなものに生死をかけるなんて、とてもまともな精神構造とは思えない。スフィンクスの口にした内容は、狂気じみていると言っていいだろう。


 しかし、彼女の瞳には、その顔立ちにふさわしいような、どこか子供っぽい情熱や期待が宿っているのだった。


「それに、適度に運動をさせた家畜の方が肉が美味いように、人間の脳も知恵を使っているものの方が美味いしのう」


 先程までとはうってかわって、スフィンクスは肉食獣が獲物を見るような目つきを向けてきた。


 単に生き死にの勝負がしたいだけなら、不正解の場合は殺すという条件でもいいはずである。それなのに、わざわざ肉を喰うという条件をつけるということは、人肉を多少なり美味しいと思っているのもまた事実なのだろう。


「……本当にボクが勝ったら、自殺してもらえるんですか?」


「スフィンクスの誇りに誓って、必ず守ると約束しようぞ」


 オイディプス王の伝説において、スフィンクスは人間に負けたショックから身投げをしている。つまり、「正解したら道を通す」という約束を結果的に守っているわけである。


 また、このスフィンクスは、ボクの瞳を真っ直ぐに見据えて質問に答えていた。とても嘘や誤魔化しがあるとは思えない。モンスターの言うこととはいえ、信用してもいいのではないだろうか。


 だから、ボクは言った。


「謎掛けに挑戦します」


「ほう」


 威圧的なスフィンクスの顔つきが初めて崩れた。嬉しげなような興味深げなような表情を浮かべたのだ。


「ただし、条件があります」


 相手はただの人喰いの化け物じゃない。知性と矜持を持った理知的な存在だ。だから、交渉の余地はある。恐怖と不安で口を利けなくならないように、ボクは自分で自分にそう言い聞かせる。


 そして、とうとう意を決すると、スフィンクスに提案したのだった。


「もし正解したら、ボクの仲間になってください」

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