4-6 エディルの推理
スフィアさんは背伸びをし、肩に手をつき、口を開いて、今にもボクの頭に噛みつこうとしていた。
しかし、ボクが「謎が解けた」と言ったのを聞くや否や、すぐさまボクの体から離れる。ボクの話を聞く態勢を取ったのである。
「まずはスフィアさんの説に対する反論から始めようと思います」
「よかろう」
ボクの言葉に、スフィアさんはそう頷く。
その顔には、攻撃的とも無邪気とも取れる笑みが浮かんでいた。
「マリナさんの話によると、第一の事件の時、部屋に入ったアルスラさんは、最初にベッドに駆け寄ったということでした。皆さん、それは間違いありませんか?」
「ええ、そうよ」
「確かにそうだったぞ」
ドロシアさんとピエルトさんは口々にそう証言する。
しかし、スフィアさんはまったく意に介した様子がなかった。
「で、それが?」
「問題は家具の配置です。この宿屋では、ベッドとテーブルは離れた位置に置かれています。つまり、アルスラさんがベッドのそばにいる間に、誰かが先にテーブルの偽物の鍵を使ってしまう恐れがあるということです。
偽物の鍵はベッドサイドに置いておいた方が安全だったはずなんですよ。何故アルスラさんはそうしなかったんですか?」
ルロイさんに関しては、付き合いの長いミザロさんの死体から離れたがらないという予想を立てられたかもしれない。しかし、他の三人、特に新参のマリナさんについては、必ずしも死者を悼んでくれるとは限らないのではないか。
「それはベッドサイドでは露骨過ぎて、すぐにトリックや犯人に気づかれてしまうリスクがあるからじゃろう。
テーブルに置けば確かに偽物とバレる可能性が生じるが、偽物だとバレてもトリックが不発に終わるだけで済むからの」
「トリックに気づかれて、身体検査をすることになったら、本物の鍵を見つけられてしまいます。そのリスクの方がよほど大きいと思いますが」
「誰かが偽物の鍵に触れたら、その時点で部屋に本物を捨てればよい。さすれば、部屋に入った人間の中に犯人がいるということしか分からなくなるじゃろう」
ボクの批判に対して、スフィアさんはよどみなく言い返してくる。
先程、アルスラさんが真っ先にベッドに駆け寄ったことを確認した時、スフィアさんは少しも動じていなかった。それはボクの反論を予想できなかったからではなく、予想した上ですでに再反論まで組み立てていたからだったようだ。
「確かに、やや不自然な点が残るというのは認めよう。じゃが、決定的な破綻とまでは言えないと思うが?」
「そうですね」
スフィアさんの説を完全に否定できるほどの強い理屈とは言えないだろう。その点に関しては頷かざるを得ない。
「ただスフィアさんの説の根拠はあくまでも消去法ということでしたよね?」
「他に説があるというのか?」
「もしかしたら、証拠も示せるかもしれません」
「ほう」
やはり勝負すること自体を愉しんでいるのだろう。自身のもの以上の推理が存在するかもしれないことに、スフィアさんは興奮を滲ませていた。
「第二の事件に関しては、スフィアさんの言う通りだと思います。犯人は部屋に入ったあとで、こっそりと床に鍵を置いたのでしょう。
第一の事件も、考え方はスフィアさんと同じです。犯人は別のトリックで密室殺人を行いました。それによって、第一、第二の事件が補完し合って、ボクたちには真相が見えづらくなってしまったんです」
そういう意味では、真相にたどりつけたのは、スフィアさんが先に推理を話してくれたおかげでもある。
「ボクの推測では、第一の事件は犯人にとっても予想外のものでした。頭の片隅にはあったのかもしれませんが、完璧に狙っていたわけではなかったと思います。あくまでも幸運な偶然が起きたので、それを利用して第二の事件を起こしたんじゃないかと」
犯人だと指摘された身からすれば、早く自分の潔白を証明してほしいのだろう。抽象的な言い方をするボクに対して、アルスラさんは続きを急かしてきた。
「その幸運な偶然っていうのは何なんだ?」
「皆さんと酒場で食事をしたあと、部屋まで戻ってくると、ミザロさんはドアに鍵をかけました。そして、それ以降、部屋の鍵は一度も開くことはありませんでした」
「やっぱり、外から窒息させたのか?」
「いえ、違います」
既出の説を改めて却下して、ボクはまったくの新説を唱える。
「ミザロさんは部屋に入る前からすでに死んでいたんです」
これには、次々に反対意見が上がった。
「死体を操ったって言うわけ?」
ドロシアさんは疑うというよりもほとんど否定してきた。
「死霊術の使い手はほとんど確認されていないはずですが」
マリナさんは困惑しているような諭してくるような言い方をした。
「仮に使えても、死亡推定時刻は誤魔化せないぞ。その推理なら、部屋に入る前に死んだことになっていないとおかしいだろう」
検死をしたピエルトさんは、それを批判の根拠にしていた。
しかし、これだけの反論を受けてもボクは動じなかった。
「死んでいたというか、死ぬ運命だったと言った方が正しいでしょうか」
今度は誰からも反対意見は上がらない。けれど、それはそもそもボクが何を言いたいのか分からなかったからのようだ。一同は不可解そうな顔つきをしていた。
ただ、かろうじてピエルトさんには大意が伝わったようだった。
「遅効性の毒を飲ませたってことか?」
「いえ、毒ではありません。また病気でもないです。それに近いものだとは言えるかもしれませんが」
このやりとりを聞いて、苛立ちが頂点に達したらしい。アルスラさんは再び続きを急かしてくる。
「まだるっこしいな。さっさと説明しろよ」
「皆さん、溺死の原因には主に二種類あるという話を覚えていますか?」
『一つは湿性溺水。これは肺に水が入って、呼吸ができなくなって死ぬというものです』
『もう一つは乾性溺水です。こちらは水が入ってきたショックで喉が痙攣を起こして、呼吸ができなくなって死ぬというものです』
溺死でも溢血点が出ることがあるという話題になった時、ボクは溺死させる方法としてこの二つを挙げた。そのことはアルスラさんも覚えていたようだ。
「湿性溺水と乾性溺水?とかってやつだろ? それがどうしたんだよ?」
「実は溺死の原因にはもう一種類あります。それが二次溺水です。
二次溺水というのは名前の通り、一度溺れたあと、数時間から数日経ったのちに、再び溺れてしまう現象のことです。
これは最初に溺れた時に取り込んだ水が肺に残ったままになっていると、その影響で体液が少しずつしみ出して肺に溜まっていって、最終的に呼吸ができなくなることが原因で起こるんだそうです」
そして、第一の事件では、この二次溺水が起こる条件が整っていた。
「ミザロさんはヒドラ戦で溺れたんだそうですね」
「あっ!」
当時のことを思い出して、誰からともなく驚愕の声が上がった。
火が弱点のヒドラは、消火用に体内に水を溜めており、時折それを使って攻撃をすることもある。ミザロさんはその被害に遭ってしまったという話だった。
「同じく溺れたアルスラさんが無事なことから分かるように、二次溺水は絶対に起こる現象というわけではありません。というより、稀にしか起こらないもののようです。一応、肺の小さな子供はなりやすいという傾向はあるみたいですけどね。
また、ミザロさんは酔っていたせいもあって無視してしまったのでしょうが、初期症状として
ですから、犯人も期待はしていたかもしれませんが、ミザロさんが確実に死ぬとまでは考えていなかったんじゃないかと思います」
だから、死体を発見した時、犯人は他のメンバーたちに合わせて、驚く演技をしたというわけではなかったのではないだろうか。
まさか本当に二次溺水が起こるとは思わず、犯人も心の底から驚いていたのだ。
「なら、ミザロが死んだのはただの事故で、それを利用して犯人はルロイを殺したってことか?」
「その可能性はあると思います」
質問にボクが頷いたのを見て、アルスラさんは続けて推理を進めていった。
「第二の事件は、部屋に入ってから鍵を置いたんだよな? だから、置くところを見られないように、犯人は最後に部屋に入ったんだったな?」
「ええ、それはまず間違いないでしょう」
「そいつは具体的に誰なんだ?」
「分かりません」
「はぁ?」
あの時、部屋の鍵が本当にかかっているか確かめているところに、ちょうど合鍵が届いたので、ボクはそのまま先頭に立って部屋に入ったのだった。だから、最後尾のことまではさすがに把握しきれていなかったのである。それに――
「それに、そもそもミザロさんの件は、本当に事故だったんでしょうか?」
ボクの推理では、真相は別のところにあった。
「先程スフィアさんは、アルスラさんが犯人だと推理しました。これはそれなりに筋の通ったものだったと思います。言い換えれば、真犯人はアルスラさんに冤罪を着せるような形で、第二の事件を起こしたと言えるのではないでしょうか。
ここでもう一度思い出してほしいのはヒドラ戦のことです。あの時水流を受けて溺れたのは、ミザロさんだけでなく、アルスラさんもでした。
真犯人のターゲットは、ミザロさんとルロイさんだけでなく、アルスラさんまで含めた古参の三人組だったのではないでしょうか」
ミザロさんが二次溺水が死んだことを受けて、犯人はルロイさんを絞殺し、さらに冤罪による処刑でアルスラさんを殺そうとした。しかし、それ以前に、まず水流でアルスラさんを殺そうとしていたのだ。
「てことは、あの水流はヒドラじゃなくて……」
「ええ、水魔法だったのでしょう」
そこまで説明すると、ボクは真犯人に向き直った。
「そうですよね、マリナさん?」
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