2-2 スフィアの実力
モノケロスの討伐依頼を受けて、ボクたちは森へと出発する。
しかし、街から一歩出ると、ボクはいきなり立ち止まっていた。
「フニ、頼んだよ」
今はまだ街のそばだから、モンスターと遭遇する可能性は低いが、気をつけるに越したことはないだろう。そう考えて索敵を命じると、フニはすぐに羽ばたいていった。
けれど、それでもまだボクが歩き出すことはなかった。
「ダップル?」
何故か軽く頭突きをされてしまった。なんだろうかと思わず後ろを振り返る。
その言わんとするところはすぐに分かった。
「ああ、今日は荷物が少ないから」
上に乗るように、ということだろう。
『暁の団』にいた頃は、移動や戦闘の邪魔にならないように、他のメンバーの荷物もダップルに運んでもらっていた。そのため、ダップルの背中はいつもいっぱいで、騎乗する機会はほとんどなかった。
だから、楽に移動できること以上に、久しぶりに騎乗できることがボクには嬉しかった。遠慮なく乗せてもらうことにする。
ロバだからそれほど体長が大きいわけではないが、ボク自身も小柄な方である。だから、ボクが座っても、ダップルの背中にはまだスペースがあった。
「スフィアさんも乗りますか?」
「……そうするかの」
しばらくダップルを睨んだあと、彼女はそう答えた。
スフィアさんはスフィアさんでかなり小柄である。そのため、二人乗りをしてもダップルの負担はさほど変わらないようで、愚痴をこぼすどころか元気よく歩き出すのだった。
周囲の警戒はフニがやってくれている。歩くのもダップルが替わってくれている。おかげで、ボクにはやることがなかった。
それでボクは提案するのだった。
「スフィアさん、謎掛けでもどうですか?」
「正解したら貴様を喰ってよいか?」
「それはダメですけど」
「なんじゃ、つまらん」
山道を封鎖して人々の通行を妨害していたのは、相手と命がけの勝負がしたいからだと言っていた。今更普通の勝負をする気にはならないのだろう。
「で、どんな問題なんじゃ?」
「やることはやるんですね……」
命がけの勝負をしたがっているといっても、スフィアさんが求めているのは戦闘ではなく、あくまでも謎掛けでの勝負である。だから、まず大前提として、謎掛け自体が好きなようだ。
「生後1000日のカエルは一度のジャンプで54センチ跳びます。また、生後100日のカエルは27センチ跳びます。では、生後1日のカエルは何センチ跳ぶでしょう?」
「0センチ。生後1日では、まだおたまじゃくしじゃからの」
「Aの次がBの時、Jの次はKです。では、Jの次の次がKになる時、Aの次の次はなんになるでしょう?」
「3。一つ目はアルファベット、二つ目はトランプのことじゃな」
「その場所では、秋の次に春が来ます。では、夏の次に来る季節は?」
「冬(winter)。その場所というのは辞書のことじゃろう」
謎掛けに命を賭けられるのは、勝つ自信があることの表れでもあるのだろう。ボクの出す問題に、スフィアさんは次々と正解していく。
「あなたの目の前には、三つの分かれ道があります。道の先には、ナイフと斧を持った野盗、一週間飲まず食わずの食人族、過去に三十人以上殺した毒殺魔がそれぞれいます。どの道を選べば安全に進めるでしょうか?」
「食人族」
今回も即答だった。
「一週間も何も飲んでいないからもう死んでいる、ということじゃろう?」
「正解です。さすがですね」
「当然じゃな」
そう言うわりには、スフィアさんは嬉しそうだった。口元に満足げなような自慢げなような笑みを浮かべている。
「今の問題、ボクは結構悩んだんですけどね」
「貴様が考案したものではないのか?」
「前にダンジョンで見たんですよ。宝物庫の扉を開けるための仕掛けでした。結局、大したものはなかったんですけどね」
金銭欲はないようで、話を聞いたスフィアさんは、ボクがどんな財宝を見つけたかについてはまったく興味を示さなかった。
一方、知識欲の方は強いらしく、どんなダンジョンだったのか、他に謎掛けはなかったのかなどを矢継ぎ早に尋ねてきたのだった。
「そういえば、金なら当分問題ないと前に言っておらんかったか?」
「え? ええ」
スフィンクス討伐の功績により、ボクはギルドから報酬を受け取っていた。更新制の契約しかできなかったせいで、「再びスフィンクスが人間に被害を及ぼすようになるかもしれない」と減額されてしまったものの、それでもそれなりの額にはなった。
「それなら、すぐに依頼を受ける必要があったのか?」
「あるに越したことはないですからね」
「なら、何故冒険者などやっておる? 貴様程度の実力では大した稼ぎにならんじゃろう。頭の方は少しは回るようじゃから、学者か教師にでもなった方がまだよかったのではないか?」
「僕の生まれ故郷は田舎で、学校なんてなかったですから」
読み書きを覚えるだけでも苦労したくらいである。それ以上の勉強ができる機会はほとんどないに等しかった。
「それに子供の頃、村の近くにモンスターが出没するようになったことがあったんです。それもすごく強いモンスターで、怪我人どころか死者まで出たくらいで。そのせいで、ボクの両親も……」
幼い子供にとって親の存在は大きい。世界そのものだと言ってもいいくらいである。
だから、親が死んだことによって、ボクはまったく未知の世界に放り出されたような孤独さや心細さを感じることになった。
その上、自分もいずれモンスターに殺されてしまうのではないかという恐怖もある。その憂苦は子供の頃のボクには耐えがたいものだった。
「でも、冒険者の方が討伐に来てくれたおかげで、また平和に暮らせるようになって。だから、できればボクも冒険者になって、困っている人を助けられるようになりたいと思ったんです」
それゆえ、当面の生活資金があっても、モノケロスの討伐依頼を引き受けたのだった。
それゆえ、追放されそうになった時、パーティに必死にしがみつこうとしたのだった。
それゆえ、なんとかソロでもやっていけるように、スフィンクスを仲間にしたのだった。
この告白を聞いたスフィアさんは――
「ふーん」
と至極どうでもよさそう相槌を打っていた。
「今結構いい話をしたと思ったんですが……」
「どこにでも転がっているようなつまらん話じゃろう」
確かに、「モンスターに家族や村を襲われた過去から冒険者を志した」という経歴はそれほど特別なものではない。それどころか、ありふれたものだと言っていいくらいかもしれない。
しかし、冒険者たちはそれぞれ、その志に特別な思いを抱いていて……
ボクはうじうじと心の中でそんな反論を考えていたが、スフィアさんはお構いなしだった。
「それで、次の謎掛けは?」
「そうですね……」
再びボクが問題を出す。それにスフィアさんが答える。
そんなことを繰り返しながら、森の中を進んでいく、その最中のことだった。
索敵に向かわせていたフニが、ボクの下へと戻ってきた。
「見つかったみたいですね」
フニの言葉を翻訳して、スフィアさんに伝える。モノケロスはこの先で、春草を食べているのだそうである。
「でも、群れみたいですね。五頭いるそうです」
「目撃例が増えたのはそのせいか?」
「おそらくそうでしょうね」
群れを作れば外敵に対しては強くなるが、反面必要になる食料は増える。増えた必要量を確保するには、行動範囲を広げるのが手っ取り早い。その結果、人間と接触する機会が増えたのだろう。
「ギルドに戻って、情報だけ伝えますか」
モノケロスは単体でも強力なモンスターなのである。五頭の群れともなれば、その危険度はさらに高くなってしまう。
ボクたちのパーティで、モノケロスに対抗できそうなのはスフィアさんだけだった。いくらスフィアさんが強いといっても、一人で群れを相手にするのはさすがに厳しいだろう。
ボクはそう考えて撤退を提案したのだが――
「
「あ、ちょっと」
スフィアさんは一部だけ変身を解いて、体にワシの翼を生やすと、ダップルの背中から飛び立っていった。
有益な情報をギルドに持ち帰るのも立派な仕事である。モンスターに殺されたせいで情報不足を引き起こして、新たな被害者を出してしまうよりずっといい。だから、猛スピードで飛んでいったスフィアさんを止めるために、ボクはダップルを急がせる。
しかし、ボクたちが追いついた時、戦闘はもう始まっていた。
いや、正確にはそれは違う。
戦闘はもう終わりかけていた。
ボクたちがスフィアさんの姿を見つけた時には、彼女はすでにモノケロスの群れをほとんど壊滅まで追い込んでいたのだ。
残っていたのはもう一頭だけ。とりわけ体の大きな、群れのボスである。
だが、そんなことはスフィアさんには何の関係もなかったようだ。
迫りくる巨大な角を、翼の羽ばたきで加速しながら
さらに、すれ違いざまに攻撃まで仕掛けていたらしい。
ライオンの爪で太い血管を掻き切られ、モノケロスの首から派手に血が噴き出す。
モノケロスがくずおれるまで、そう時間はかからなかった。
◇◇◇
「……スフィアさん、本当に強かったんですね」
「じゃから、そう言っとるじゃろうが」
討伐を終えて街へと戻る、その道すがらのことだった。ボクの褒め言葉を聞いて、スフィアさんはむしろ不機嫌になってしまっていた。
行きと違って、帰りは徒歩だった。死体でマジックバッグがいっぱいになってしまって、一部をそのまま荷物にしなければいけなかったので、ダップルの背中には騎乗できるだけの余裕がなかったのだ。
しかし、いくらモノケロスの体が大きくても、それだけでマジックバッグがいっぱいになってしまうということはない。実を言うと、モノケロス以外にも、発見したモンスターをスフィアさんに討伐してもらっていたのだ。
また、その中には、モノケロスより強いモンスターも混じっていた。だから、ボクはスフィアさんの強さに感心していたのである。
「おかげで、まだ冒険者としてやっていけそうです」
「ふん」
知ったことかとばかりに、スフィアさんは鼻を鳴らすだけだった。
「報酬の配分はどうしますか? 山分けにするパーティが多いみたいですけど」
「金なぞいらん。どうせ使わんからな」
「それじゃあ、必要なものがあったら、その分のお金をお渡しする感じでいいですかね。服とか、本とか食事とか」
スフィンクスの食料は、なにも人間の肉でなければいけないわけではないようだ。実際今朝も、スフィアさんはベッドで本を読みながらパンをかじっていた。
「あ、そうだ。スフィアさんがパーティに加わった記念に、何か食べにいきましょうか」
「記念……」
スフィアさんはそう繰り返すだけだった。どうやら怒るのを通り越して、呆れられてしまったようだ。
しかし、逆に言えば、スフィアさんは提案に反対することもなかったということである。
ただ街に戻ってきても、すぐに食事会を始めるわけにはいかなかった。報酬を受け取るために、先にギルドに成果を報告しなければいけなかったからである。
そうしてボクたちがギルドに到着した時、中ではとあるモンスターの話題で持ちきりになっていた。
「信じられん」
「だけど、本当みたいだぞ」
「俺らも気をつけねえとなぁ」
冒険者たちは口々に驚きや不安の声を漏らす。
「まさかヴァンパイアが出るなんてな」
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