3-5 死体の検証

 ミザロさんが死体で発見されるまで――ボクに冤罪がかかるまでの経緯を、マリナさんは道すがら丁寧に説明してくれた。


 そして、それが終わる頃、ちょうど事件現場に到着したようだった。


「ここだ」


 そう言って、アルスラさんは宿屋の一室の前で立ち止まる。


 憲兵が捜査に入ったものの、部屋は概ね死体発見時のままの状態だという。だから、当然ミザロさんの死体もそのままだった。


 生前の剛猛な戦士としてのイメージとは反対に、彼女は眠るようにベッドの上で亡くなっていた。


 ミザロさんとは特に親しかったわけではない。というか、モンスター嫌いの彼女には、魔物使いということで冷たい態度を取られていたし、それを理由に追放までされていた。だから、ボクの方でもミザロさんには苦手意識があった。


 しかし、それでも何年も一緒にやってきたパーティメンバーの死には、何か胸にこみ上げてくるものがあるのだった。


 とはいえ、アルスラさんにかけられた冤罪やスフィアさんの提案した勝負によって、ボクやリーンの命は危機的状況にあった。いつまでも物思いにふけっているような時間はない。そう踏ん切りをつけて、ボクは事件の調査に取りかかることにする。


 マリナさんの話によれば、死体についてはピエルトさんが調べたということだった。


「死亡推定時刻はいつ頃だったんでしょうか?」


「おそらくだが、昨日の午後十一時から今日の午前一時頃だな。一応言っておくと、これは俺だけじゃなくて、憲兵も同じ判断だ」


 であれば、ミスや偽証の線はないと考えていいだろう。


「ちなみにその時間、ボクは酒場にいたんですけど……」


「そんなのスライムだけ別行動させればいいだけだろ。むしろ、アリバイ作りで酒場に行ったんじゃないのか?」


「そうなりますよね」


 アルスラさんの推理は間違っているが、整合性は取れている。ボクはすごすごと引き下がるしかなかった。


「食事から戻ってきたのは?」


「七時過ぎだったかな」


 ピエルトさんが視線を向けると、他のメンバーたちも頷いていた。


「随分早かったんですね?」


「雰囲気が悪くて、すぐに切り上げたからな」


 この質問は藪蛇だったらしい。ヒドラ討伐の失敗を思い出したようで、アルスラさんが睨んでくるのだった。


 だから、ボクはすぐに次の質問に移った。


「宿に戻ってからは、各自部屋に入ったきりなんですよね?」


「雰囲気が悪かったからな」


 ピエルトさんがそう繰り返すと、アルスラさんの目つきはますます不機嫌そうなものになった。


「死亡推定時刻が夜遅くですから、ミザロさんが部屋に入れるとしたら、親しい相手だけだと思うんですが……」


『暁の団』がこの街を訪れたのは、今回が初めてのことだそうだから、ミザロさんと親交のある人間はおそらくいない。自ずとパーティメンバーが容疑者候補ということになるだろう。ボクはおずおずと彼らの表情を伺った。


 すると、案の定アルスラさんは怒り出すのだった。


「時間帯なんか関係ない。スライムならいつでも出入りできるんだからな」


「でも、スライムくらい、ミザロさんなら対処できるのでは?」


「寝てる時に急に来たらパニックになるだろう。野宿じゃないから、警戒もしてなかっただろうしな」


 野営中の冒険者でさえ、スライムの不意打ちを喰らって死亡することがしばしある。宿屋で予想外の襲撃を受けたら、やられるがままになってしまってもおかしくはないだろう。困ったことに、アルスラさんの推理はそれなりに筋が通ってしまっている。


「それに首に縄や指の跡がなかったんだ。スライムに殺されたに決まってる」


 スライムが体を使って鼻と口を塞いだなら、首に跡が残らなくて当然だろう。今度もアルスラさんの説は筋が通っている。しかし――


「そもそも本当に死因は窒息だったんでしょうか?」


 ボクは医学にはあまり明るくない。だが、それだけに他の可能性もあるのではないかと思えてしまうのだった。


「溢血点は急死に見られる特徴なんですよね? 窒息死とは限らないのでは?」


「溢血点が出る理由の一つは、体内の酸素が不足して、血管から血が滲みやすくなることなんだそうだ。だから、血の流れが止まった場合、要するに心臓の病気で死んだ場合にもよく出るみたいだな」


 そう説明したものの、ピエルトさんは病死説には懐疑的らしい。


「ただ……」


「あいつは体が丈夫だったんだ。風邪だって引いたことがないくらいだぞ」


 付き合いの長いアルスラさんが代わってそう証言した。これに同じく古参のルロイさんも頷く。


 残念なことに、検死は未発達の分野である。特に死体を傷つけることになる解剖は、宗教的・文化的な面から拒絶されやすいため、研究がなかなか進んでおらず、また知識や技術を持った人間も少ない。だから、ミザロさんの心臓に問題があったかどうかを確認するのは難しいのではないだろうか。


 ただピエルトさんによれば、若くて健康な人間が急死するケースはあまりないという。それなら、病死説はひとまず無視した方がいいのかもしれない。


「毒を飲んで自殺したってことはないですか?」


「そういう場合は溢血点以外にも徴候があるはずだ。口から薬物臭――たとえば青酸ならアーモンド臭がしたりな」


 ピエルトさんは首を捻る。憲兵も同様のことを言っていたらしい。


「そもそも自殺する理由がないでしょ」


 横からドロシアさんも口を挟んでくる。


「ビンや薬包紙といった毒を飲んだ痕跡もないですしね」


 マリナさんまで反論する側に回っていた。


 けれど、ピエルトさんはともかくとして、後ろの二人の疑問に関しては説明がつけられそうだった。


「飲んだあと、すぐに本人が片付けたんですよ」


「何故そんなことを?」


「ボクの犯行に見せかけるためです」


 予想外の推理だったのだろう。マリナさんだけでなく、メンバー全員が虚を突かれたような顔をする。


「追放後のパーティが上手く回っていないことから、ミザロさんはボクのことを恨めしく思った。そこで密室で毒を飲んで、ボクに殺されたように見せかけた……というのはどうでしょう?」


「ミザロはもうお前の件は済んだこととしか思ってなかったみたいだからな。自殺してまで罪を着せるとは考えにくい」


 意地になるわけでもなく、アルスラさんは理屈でもってボクの説を否定してくる。


 そういえば、マリナさんの話でも、ミザロさんは「ここにいない人間の話をしても仕方ない」「追放が失敗だったとして今更蒸し返してどうする」と言っていたとのことだった。彼女はボクのことを好いてもいないが、逆恨みもしていなかったのだろう。


 しかし、他のパーティメンバーはどうだろうか。


「じゃあ、誰かがミザロさんの食事に遅効性の毒を混ぜたというのは?」


「それにしても、やっぱり徴候の問題があるからな……」


 ピエルトさんは再び首を捻る。


 憲兵も検死を行っている以上、罪を誤魔化すために偽証をしているという可能性はまずありえないだろう。毒殺説も成立しないと考えた方がよさそうだ。


 このやりとりを聞いて、アルスラさんは得意になって自論を繰り返すのだった。


「それなら、やっぱりスライムで殺したんだろ。首に跡がないからな」


「いや、跡を残さずに絞殺する方法もある」


 そう反論したのは、疑われたボクではなくスフィアさんだった。


 もっとも、命を賭けて推理対決をしている以上、彼女に冤罪を晴らしてもらうことは、まったく喜べるようなことではないが。


「柔らかくて幅の広い布で首を絞めると、跡が残りにくいとされておる。じゃから、縄ではなくマフラーやスカーフを使えばよい」


 その単語が出たことで、視線はたった一人へと集中した。


「お、俺じゃないぞ」


 アルスラさんは慌てた様子で首元を抑える。「俺のトレードマークだから」と、彼は季節に関係なくマフラーを巻いていたのだ。


 しかし、結論を出すにはまだ早いだろう。


「マフラーを用意するだけなら誰でもできるでしょう。それに扼殺でも、力が弱ければ手の跡が残らないと聞いたことがあります。他にも、首ではなく胸を押さえつけて窒息死させるという方法もあったはずです」


 この話を知っていたから、ボクが犯人だという説に安易に賛同しなかったのだろう。確認を取るような周囲の視線に、ピエルトさんは首肯で答えた。


 このように、首に跡を残さずに窒息死させる方法は複数あるのだ。


「ですから、アルスラさんが犯人だと断定することはできないでしょう」


「それはそうじゃろうな」


 ボクに指摘されるまでもなく、最初から分かっていたらしい。スフィアさんはあっさりとそう認める。


「だっ、だよな!」


 アルスラさんはホッとしたように笑顔を浮かべていた。


「ただこのパーティで、ミザロさんに力で対抗できるのは、アルスラさんくらいですよね?」


 肺や血管内に酸素が残っているため、呼吸ができなくなってもすぐに窒息死するというわけではない。マフラーを使った絞殺に限らず、扼殺や胸部圧迫で殺す場合でも、酸素不足でもがく相手に負けないだけの力が必要になるだろう。


 しかし、ミザロさんの職業は、前線に立って武器を振るう戦士である。その腕力はパーティ随一だと言っていい。


 だから、まず後衛組――僧侶のピエルトさん、魔法使いのドロシアさん、弓使いのルロイさんでは、相手の抵抗を許してしまう可能性が高い。


 また、マリナさんは前衛もできる賢者だが、基本的には属性魔法で戦う後衛タイプのはずである。本職の戦士にはさすがに力負けするのではないか。


 そう考えていくと、ミザロさんを窒息死させることができたのは、勇者のアルスラさんだけということになるだろう。


「そうだ! あいつは酔ってたからな。だから、俺じゃなくてもできたはずだ」


「早めに切り上げたと聞いてますけど」


「あいつは飲むペースが速いからな」


 助けを求めるように、アルスラさんはパーティメンバーに視線を向ける。


「確かに酔っていたといえば酔っていたような……」


 ルロイさんは曖昧にそう証言した。他のメンバーの反応も似たり寄ったりで、どうもはっきりしない。


 だから、アルスラさんは自力で無罪を証明しようと、別の反論を繰り出してくるのだった。


「大体、仮に俺がマフラーで殺したんだとして、密室の方はどう説明するんだ?」

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