3-4 『暁の団』の崩壊
冒険者は依頼に成功しても失敗しても、そのことをギルドに報告する義務がある。どんな風にモンスターを倒したのか、あるいは倒されたのかという情報を共有することによって、他の冒険者が依頼を受ける時の参考にしてもらうためである。
しかし、そのせいで、『暁の団』がヒドラから敗走したという話も、すぐに他の冒険者たちの間で知れ渡ってしまったのだった。
「『暁の団』のやつら、また失敗したってよ」
「いくら相手がヒドラだからってなぁ」
「仲間を追放してからいいとこなしじゃねえか」
街の酒場では、そこかしこで『暁の団』の失敗談が話題に上がっていた。本人たちは憂さ晴らしのために飲みにきたつもりだったはずなのに、これでは逆に針のむしろに飛び込んだようなものである。
「やっぱりパーティは馴染みのメンバーが一番だな」
その言葉で、アルスラの怒りはとうとう我慢の限界を超えたようだった。
「エディルの追放と今回の失敗は何の関係もない。エディルがいたって戦闘の役には立たないんだからな。そうだろ?」
ヴラス伯爵から、「リーダーなのに人を見る目がない」と言われたことが、未だに引っかかっていたらしい。アルスラは意地になって、エディルを追放したことを正当化しようとする。
だが、その考え方にはマリナは同意できなかった。
「それはどうでしょうか? エディルさんはスフィンクスを仲間にされたという話ですから、戦闘面も強化されていると考えるべきでは?」
「そ、そんなの実際に戦ってみないと分からないだろ」
しかし、スフィンクスがCランクパーティの冒険者を倒したとか、モノケロスの群れを討伐したとかいう話が伝わってきている。以前よりも、エディルの戦闘能力が向上したことは明白だろう。
だから、思案の末にマリナは提案する。
「……エディルさんに戻ってきていただくことはできないのでしょうか?」
「俺たちはあいつを追放したんだ。無理に決まってるだろ」
考えるそぶりも見せずに、アルスラはすぐに首を振った。
けれど、エディルに不義理を働いてしまったことを反省しているわけではないらしい。
「それとも、あいつに頭を下げろって言うのか?」
「復帰に必要なら、そうするべきではありませんか?」
「うるさい!」
アルスラは感情的になって、テーブルを拳で叩いた。
「エディルが戻ってくるはずがない」というのは、追放を反省しているからではなく、追放が失敗だったと認めたくないがゆえの発言だったようだ。
しかし、それを指摘されたくないからだろう。論点をすり替えるべく、アルスラはマリナを非難し始めるのだった。
「そもそも今回の失敗は、お前が簡単に分断されたせいだろ」
「それは……」
あながち難癖とは言えない。あの分断によって、いきなり事前に立てた作戦をふいにしてしまった。また、そのせいでメンバーを精神的に動揺させてしまった。
そうして黙り込むマリナに代わって、ドロシアが口を開いた。
「エディルや伯爵はともかく、仲間に当たるのはやめなさいよ。大体アンタもぶっ倒れて、足引っ張ってたでしょうが」
「なっ」
アルスラは顔を真っ赤にする。
ミザロと違って、溺水したアルスラは心肺停止状態からなかなか回復しなかった。もしあの時すぐに意識を取り戻していたら、そのままヒドラとの戦闘を継続することになったはずだろう。そう考えると、撤退することになった最大の要因はアルスラにあるとも言える。
本人にもその自覚はあったらしい。だからこそ、これ以上自身に批判が向かないように、アルスラは矛先をドロシアへと逸らそうとするのだった。
「そんなこと言ったら、お前だって大して役に立ってなかっただろ。首を焼き尽くすくらいの魔法を使えないのか?」
「使えたらもっと上のパーティに移ってるわよ」
暗に、というかほぼ直接的に、『暁の団』のレベルが低いと言ったようなものである。アルスラはますます顔を紅潮させた。
「ドロシア、今のはさすがに言い過ぎだ。反論するにしても言い方があるだろ」
「そうでやすよ」
彼女をなだめようと、ピエルトとルロイが口を挟む。
だが、ドロシアはまったく聞く耳を持たなかった。
「どうせ二人も同じ考えでしょ。ピエルトは金にしか興味ないし、ルロイはアルスラにビビってるだけだし」
ピエルトが合理主義者で拝金主義者だということは、新人のマリナですら把握している。『暁の団』に所属しているのも、単に条件がいいからというだけなのだろう。
しかし、ルロイに関しては、自分を慕って『暁の団』にいるのだと思っていたらしい。アルスラは疑念と憤怒の入り混じった目つきを向ける。
「ルロイ、お前」
「違いやす、違いやす。ドロシアさんが勝手に言ってるだけでやすよ」
ルロイは泡を喰ったように弁解した。それが逆に、アルスラを恐れて従っているという話を裏付けているようにも見えてしまうが。
「まったく、下らんな」
呆れたようにミザロはそう漏らす。例のごとく、「終わったことを蒸し返してどうする」と、メンバーたちの言い争いを冷めた目で見ているのだろう。
そして、その態度がアルスラの神経を逆なでしたようだった。
「なに自分は関係ないみたいな顔してるんだ。お前だって今日の戦いでいいところがなかっただろうが」
「なんだと?」
モンスター嫌いのミザロは、ヒドラを倒せなかったことに内心苛立っていたのだろう。その上、討伐失敗の責任まで押しつけられて、とうとう我慢ならなくなってしまったようだ。
「『暁の団』はもう終わりだな」
酒場のどこかからそう呟く声が聞こえてきた。
◇◇◇
翌朝、『暁の団』のメンバーたちは、宿屋のアルスラの部屋に集合していた。今後の活動について、話し合いをする予定になっていたからである。
まだ全員が揃ったわけではなかったものの、待ちきれなかったようだ。アルスラが先走って方針を発表する。
「ヒドラに再挑戦するぞ」
失敗したばかりなのに懲りていない……というわけではないらしい。一応、彼なりに根拠はあるようだった。
「昨日の戦いで、相手の出方は分かった。今度こそ上手くいくはずだ」
「あっしも同感でやす」
昨夜、「ルロイは恐怖心から従っているに過ぎない」という疑惑が持ち上がったのをもう忘れてしまったらしい。彼が盲従するような態度を見せると、アルスラは満足げな表情を浮かべた。
しかし、その表情はすぐに歪むことになった。
「反対です」
マリナの意見に、アルスラは不愉快そうに眉根を寄せていた。
「もっとレベルの低いモンスターの討伐をしましょう。それで連携の確認をすべきです」
「まだ言ってるのか」
アルスラは呆れ顔をする。前回も同じような話題が出たが、「新人じゃないから必要ない」「依頼を横取りされるかもしれない」ということで、全会一致で練習は不要だという結論になったからだろう。
だが、今回は全会一致とはいかなかった。
「あたしはマリナに一票。同じこと繰り返したってしょうがないでしょ」
「俺もだ。空気も悪いし、一度雑魚でも倒してはずみをつけた方がいいんじゃないか?」
ドロシアとピエルトが反対する側に回ったのである。
「お前らまで……」
これで再挑戦に賛成が二、反対が三。いくらリーダーとはいえ、過半数の意見を無視して討伐を強行するわけにはいかない。アルスラとしてはもう一票確保して、最悪でも五分五分にしたいところだろう。
けれど、最後の一人はこの場にいなかった。
「ミザロはまだか?」
「呼んできやす」
アルスラが言い出す前から、ルロイは使いっ走りを買って出る。
だが、部屋に戻ってきた時、彼はまたもや一人だった。
「どうしたんだ?」
「それがどれだけ声を掛けても返事一つないもんで」
「何?」
ミザロはいつも時間よりかなり早く集合場所に来ているというのが、マリナの印象だった。アルスラたちの不思議がるような反応を見るに、その印象は間違っていないのだろう。
ピエルトは昨夜彼女が酒を飲んでいたことを思い出したようだった。
「二日酔いか?」
「いや、嫌な予感がする」
スフィンクスの件から始まって、最近はずっと不運な出来事が続いていた。そのせいか、アルスラはまた何かよくないことが起きたのではないかと考えたようだ。
ルロイに対して、「お前は合鍵をもらってこい」と命令する。また、アルスラ自身はミザロの部屋へと走った。
鍵を取りに行くだけのことに、何人も向かう必要はないだろう。マリナたちも目線で会話をすると、揃ってアルスラのあとを追ったのだった。
先に到着したアルスラは、ミザロに声を掛けたり、部屋のドアをノックしたりする。
しかし、相手からの返事はない。すると、掛け声は大きくなり、またノックする力は激しくなった。
「ミザロ! 返事をしろ!」
ついには、ほとんど叫んだり殴ったりという状態にまでなってしまう。
だが、結局ドアが開くよりも先にルロイが戻ってきた。
「アルスラさん、鍵です」
「遅い!」
ひったくるように合鍵を受け取ると、アルスラはすぐに鍵穴に突っ込む。
部屋に入ると、マリナの目に真っ先に飛び込んできたのは、中央にあるテーブルだった。荷物などの他に、この部屋の鍵も置かれているのが見えた。
次に部屋の隅にあるベッドが目についた。
その上では、ミザロが横になっていた。一見ただ寝ているようにも見える。
けれど、マリナたちがばたばたと部屋に踏み込んできたというのに、起き上がる気配はまったくない。それどころか、身じろぎさえしなかった。
さらに、ミザロの肌は奇妙なくらい青白くなっていた。
まさか。
ありえない。
だって、こんなことが本当に……
マリナには目の前の事態が到底信じられなかった。
それは他のメンバーも同じだったらしい。アルスラはすぐにベッドへと駆け寄る。
「おい、どうしたんだ! しっかりしろ!」
大声で呼びかけながら、ミザロの体を揺さぶる。しかし、彼女からは何の反応も返ってこない。
脈を取るためだろう。ピエルトはミザロの手首に指を当てる。
だが、体の冷たさですぐに察したようだった。
「ダメだ。もう死んでる」
その一言に、一同は揃って沈痛な面持ちを浮かべた。
しかし、いつまでもミザロの死体の前で立ち尽くしているばかりではなかった。
人の死を目にするのは、冒険者にとってはそう珍しいことではない。不運にもモンスターに遭遇した一般人の死体を見つけたり、援護が間に合わずに同業者がモンスターに殺される瞬間に立ち会ったり…… 時には冒険の最中に、大切な仲間を失ってしまうことだってある。
そのため、一行の関心はいつからか、ミザロの死そのものから彼女の死の原因へと移っていた。
「何故亡くなったんです? ヒドラの毒でやすか?」
「でも、解毒はしたでしょ」
ルロイの疑問に、ドロシアはすぐにそう答えた。
ミザロとアルスラは、ヒドラの吐いた水によって溺れてしまった。成分は単なる湖の水のはずだが、蛇毒が混じっている可能性も否定できない。そのため、二人は撤退後に解毒剤を飲んでいたのである。
ルロイたちのやりとりを聞いて、ピエルトは死体を調べ始める。そして、まぶたをめくったところで目を尖らせた。
「正確なことは言えないが……溢血点があるな」
「いっけつてん?」
「要は細い血管が破れた跡のことだ。急死に多い特徴だな」
見れば、確かにまぶたの裏には、小さな赤い斑点のようなものがいくつも浮かんでいた。
ピエルトの説明を聞いて、アルスラは続けて質問する。
「急死って何だよ?」
「典型的なのは窒息死だな」
これを聞いた瞬間にも、アルスラは怪訝がるような苛立ったような顔つきをする。
不幸な仲間の死が、事件性を帯びてきたからだろう。
「窒息? 誰かに絞め殺されたってことか?」
「ただ絞殺だとすると、首に縄の跡がないのが気になるな」
ピエルトは不審げにミザロの首に触れる。
さらにそのあと、彼は視線を死体から移した。
「それに鍵は部屋の中にあったからな。密室だったってことになる……」
ミザロの部屋の鍵は、テーブルの上に置かれていた。それはマリナも部屋に入る時に確認している。
アルスラは今度はテーブルに駆け寄ると、鍵を引っ掴んでいた。
「本物か……」
何度か施錠と解錠を繰り返したあと、彼はそう結論づける。
しかし、ドアを見ている内にはたと閃いたようだった。
「いや、密室じゃないぞ。下に隙間がある」
かがんでみると、確かにアルスラの言う通りだった。試しに紙を差し込んでみたところ、向こう側まで問題なく通せることが分かった。
だが、隙間といっても、せいぜい数ミリという小さなものである。
「さすがに小さ過ぎるでしょう。それでは、外から鍵を入れるのは無理ですよ」
「スライムなら入れるだろ」
マリナの反論に、アルスラはすぐにそう再反論を繰り出してきた。
彼の中では、もう密室トリックだけでなく、犯人の正体まで推理し終わっているようだった。
「エディルのやつが、スライムに殺させたんだ」
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