4-8 解決されなかった問題

 マリナさんが左手を掲げる。


 その瞬間、手の平から水で形作られた槍が放たれた。


 槍は加速しながら、一直線にアルスラさんへと向かっていく。


 マリナさんが自白を始めたので、もう観念したものだと思い込んでいたのだろう。あるいは、自分の過去の罪を暴露されて、動揺していたのかもしれない。彼女からの攻撃に対して、アルスラさんの対処は完全に遅れてしまっていた。


 しかし、アルスラさんの防御よりも、マリナさんの水の槍よりも、ボクの声の方が速かった。


「リーン!」


 槍がアルスラさんの体を貫く寸前で、リーンは半固形の体でそれを受け止めたのである。


 恐怖で腰を抜かしたらしく、アルスラさんはへなへなとその場にへたり込んでしまう。だから、ボクはそんな彼の前に立つと、主兵装である鞭を手に取るのだった。


 この様子を見て、マリナさんは表情をこわばらせる。


「偽のヒントは、スフィアさんではなく、エディルさんに謎を解いてもらうつもりで出したんですよ。無関係な方はなるべく巻き込みたくなかったですからね」


 ボクを敵に回したくないから、聞こえのいいことを言っている……というわけではないだろう。


 偽のヒントのことはもちろん、逮捕を遅らせてくれたり、リーンを預かってくれたり、彼女はしばしばボクの冤罪を晴らすような立ち回りをしていた。今だって、あくまでもアルスラさんにしか攻撃していない。彼女は本当に姉の死と無関係な人間を傷つけたくないと思っているのだ。


「しかし、邪魔をするというなら容赦はしません」


 アルスラさんを守ろうと、杖を構えていたからだろう。マリナさんは、まずドロシアさんとピエルトさんの排除を行った。


 ただ、やはり被害は最小限に抑えたいらしい。アルスラさんの時のように、水の槍を作ったわけではなかった。ただ高圧の水流を放って、二人を部屋の壁に激しく打ちつけるだけに留める。


 そうしてドロシアさんたちの動きが止まっても、マリナさんはとどめを刺すような真似はしない。その代わりに、剣を抜いてボクに斬りかかってきた。


 はっきり言って、ボクはソロではやっていけないほど近接戦闘に関しては弱い。一方、マリナさんは賢者のため剣術の心得もある。普通に戦っていたら、瞬殺されていたことだろう。


 しかし――


「やはりヒドラ相手には手を抜いておったのだな」


 しかし、ボクの代わりに、スフィアさんが剣を防いでくれたのだった。


 もっとも、こうなることはマリナさんも計算済みだったようである。眉一つ動かすことなく、淡々とスフィアさんに次の攻撃を加え始めていた。


 スフィアさんは爪で、マリナさんは剣で、お互いに何度も斬り結ぶ。


 あまりに激しい攻防で、ボクには目が追いつかないくらいだったが、どうやらスフィアさんの方に分があるようだった。


「人間にしてはやる方じゃが……しかし、所詮は人間じゃな」


「くっ」


 スフィアさんが繰り出した貫手ぬきてを、マリナさんは後ろに跳びすさって回避する。だが、完全にはかわしきれなかったようで、彼女の服は血で赤く染まってしまっていた。


 しかし、マリナさんの一番の目的は、攻撃を回避することではなく、相手から距離を取ることだったようだ。


 追撃することよりもボクを守ることを優先して、スフィアさんは離れた距離を詰めようとしない。その隙を突いて、マリナさんは魔法を使ったのである。


 彼女の手から水流が放たれる。


 それも大洪水を思わせるような、部屋中を満たすほどの大量の水だった。


 水流に体を取られて、ボクはまともに動けない。勢いのままに窓を割って、部屋の外に押し流されてしまう。


 二階の窓から出たあとは、地面に叩きつけられるような形で着地する。受け身を取り損ねたせいで、体を思いきり打ってしまった。


 ただ広い場所に出たおかげで、水が引いたことだけは助かった。飲んだ水を吐き出そうと、ボクは地面に倒れたまま咳き込む。


 しかし、次の瞬間、後襟を掴まれて強引に立たされてしまった。


「形勢逆転ですね」


 背後からマリナさんの声が聞こえてくる。


 首には冷ややかな彼女の剣の感触が触れていた。


 そして、ボクの前方には、すでに臨戦態勢を取っているスフィアさんの姿があった。


「動かないでください。あなたが動いた瞬間、エディルさんの首を掻き切ります」


 本気であることを示すように、マリナさんが刃を喰い込ませてくる。すると、肌がわずかに斬れて、首から血が流れ出た。


 これを見て、スフィアさんは構えを解くのだった。


「人質として成立するか正直不安だったのですけれどね。喰う喰うとおっしゃっていましたが、あれは本心ではなかったということでしょうか?」


「馬鹿馬鹿しい。単にそういう契約というだけじゃ」


 どこか微笑ましげに尋ねるマリナさんに対して、スフィアさんはあくまでもそう否定した。推理対決で負けたから、仲間になるのを継続しているだけだ、と。


「では、わたくしとも契約を結びましょう。今すぐアルスラさんを殺してください。そうすれば、エディルさんは解放して差し上げます」


 おそらくだが、マリナさんは駆け引きをしているわけではない。アルスラさんを殺したら、本当にボクのことを解放してくれるだろう。彼女の望みはあくまでも復讐することだからである。


 マリナさんの言葉をそう受け取ったのは、ボクだけではなかったようだ。


「なんじゃ、そんなことでよいのか」


 スフィアさんはいとも容易く契約の締結を――殺人を了承していた。まるで「ケチャップを取ってくれ」と頼まれでもしたかのような気楽さだった。


「何考えてんだ! バカ! やめろ!」


 地面に叩きつけられたせいで、まともに足腰が立たなくなってしまったのだろう。アルスラさんはそう声を上げるのがせいいっぱいのようだった。


 かといって、その声で誰かに助けを求めることはできなかった。ドロシアさんもピエルトさんも、同じようにダメージを受けて地面に伏せていたからである。


 だから、アルスラさんは命乞いに走るのだった。


「お、俺が悪かった。あの時は助かりたい一心だったんだよ。頼む! 殺さないでくれ!」


 しかし、もうとっくに心は決まっていたのだろう。アルスラさんの言葉を、マリナさんは一切聞き入れようとしない。むしろ、この期に及んで助かろうとする浅ましさに、不快感を覚えているようだった。


 スフィアさんも同様である。命乞いに何も気持ちを動かされないかのように、ただ淡々とアルスラさんとの距離を詰めていく。


「ダメですよ、スフィアさん」


 ボクの言葉に、彼女はようやく立ち止まった。


「殺しちゃダメです。ボクなら大丈夫ですから」


「…………」


「スフィアさんは動かないで。ボクにはまだ知性があるので、それで解決してみせます」


 あくまでも人質を取られて、殺人を命じられただけである。スフィアさんがアルスラさんを殺しても、緊急事態のこととして不問になるかもしれない。


 だが、たとえ罪に問われないとしても、スフィアさんが人を殺すところは見たくなかった。


 仲間には手を汚して欲しくなかった。


「エディルの命令が最優先じゃ。悪いが、貴様との契約は不成立じゃな」


 アルスラさんの下へ向かうのをやめて、スフィアさんは再びマリナさんの方に向き直る。


 ボクの言う『解決』をたのしみにしているのだろう。彼女の口元には期待のこもったような笑みが浮かんでいた。


「そうですか。では、エディルさん、今すぐ命令を取り消してください」


 マリナさんの指示に、ボクは何も答えない。


 すると、彼女は首に剣を喰い込ませてきた。


「取り消しなさい」


 傷口の痛みが増す。流血が激しくなる。無関係な人間は傷つけないという方針である以上、このまま首をねられても不思議はない。


 しかし、そう思った瞬間、空からボクたちの眼前に何かが降ってきた。


『ボクにはまだ知性があるので、それで解決してみせます』


 先程スフィアさんを制止させたこの言葉は、「頭を使って解決する」という意味ではなかった。


『それから目は知性の比喩でもあるね』


 最初にスフィアさんと出会った時、出題された謎掛けを解く最中に、ボクはそんなことを言った。世間一般でも、ボクたちの間でも、知性と目は関連づけられているのである。


 また、謎掛けを解く際に、ボクはこうも言った。


『謎掛けに正解した場合は、スフィンクスさんが仲間になるという約束でした。その意味で、スフィンクスさんの分の目が増えると言えるかもしれません』


 このように、世間ではともかく、ボクたちの間では、目は仲間のモンスターたちと関連付けられていた。


 つまり、ボクたちの間では、知性=目=仲間たちのことだった。「まだある知性で解決する」というボクの言葉は、「他の仲間モンスターの力を借りて解決する」という意味だったのである。


 マリナさんの元に降ってきたのは、フニの落とした石だった。


 目の前に小石が落ちてきたからといって、どうというものではない。ただ一瞬、隙ができたというだけのことである。


 そして、その隙を見逃さず、ダップルが後ろから突進を喰らわせたのだった。


 驚愕と苦痛にマリナさんの拘束が緩む。それでボクは彼女の下から逃げ出すことができた。


 人質さえいなければ、勝負は実力通りの結果にしかならなかった。


 自由を取り戻したスフィアさんは、あっさりとマリナさんをねじ伏せたのだった。


「スフィアさんなら分かってくれると思ってました」


 水流の音を聞いて飛んできたフニは、ボクが人質に取られているのを発見した。だから、救出のための援軍として、馬小屋までダップルを繋ぐ縄を解きに戻った。その様子が見えたから、ボクはマリナさんに分からないように、フニの行動を符丁を使ってスフィアさんに伝えたのである。


「当然じゃな」


 そう言いつつ、スフィアさんは嬉しそうな誇らしそうな笑みを浮かべていた。符丁を使ったやりとりも、一種の謎掛けのようなものだからだろう。


「よ、よし、よくやった、エディル。お前もたまには役に立つじゃないか」


 命の危機を脱した安心感から、すっかり元通りに戻ってしまったらしい。アルスラさんは上から目線で調子のいいことを言い始める。先程反省したようなそぶりを見せたのは、単に命乞いのためでしかなかったようだ。


「……こんな人間に救う価値があると本気で思うんですか?」


 戦闘のダメージに膝をつきながら、マリナさんが問いかけてくる。その瞳には、アルスラさんだけでなく、彼を助けたボクへの怒りもこもっていた。


「助けたつもりはないですよ」


「は?」


 ボクの答えに、アルスラさんは間の抜けた声をもらしていた。


「ドロシアさん、ピエルトさん、さっきアルスラさんが自白したのを聞きましたよね?」


「え? ああ、そうね」


「確かに言ってたな」


 二人は口々にそう認めた。


『お、俺が悪かった。あの時は助かりたい一心だったんだよ。頼む! 殺さないでくれ!』


 これだけ証人がいれば、おそらく裁判でも証拠として採用されることだろう。


「アルスラさんには、きちんと法の裁きを受けてもらいます」


 そう告げた瞬間、アルスラさんの顔からは血の気が引いていた。


 対照的に、マリナさんは微笑をもらしていた。



          ◇◇◇



 事件後――


 もう夜遅いことを勘案してくれたのだろう。犯人であるマリナさん、そしてアルスラさんと違って、ボクやドロシアさんたち関係者については、憲兵隊は一旦事情聴取から解放してくれた。


 だから、ボクとスフィアさんは、宿屋の自室へと戻ったのだった。


「で、あの二人はどうなるんじゃ?」


「マリナさんは二人殺したとはいえ、相手が相手ですからね。情状酌量の余地はあるので、死刑になることはないでしょう」


 あくまでも彼女の目的は姉の敵討ちをすることだった。加えて、今回の事件の中で、姉が殺されたという話が証明されていたから、誤解や逆恨みによる犯行というわけでもなかった。もしかしたら、死刑どころか、終身刑にもならないかもしれない。


「逆にアルスラさんは殺し方が悪質なので、一人とはいえ死刑の可能性もありますね」


 ギルドやメンバーの忠告を無視して無茶な依頼を受けた挙句、そのメンバーを囮にしてモンスターから逃げ出すというのは、あまりにも非人道的だと言わざるを得ない。


 それに、アルスラさんの性格を考えると、発覚していないだけで他にも余罪があることも考えられる。ボクからも頼んでおいたので、憲兵隊はそのあたりの調査もしてくれることだろう。


「仮に助かったとしても、冒険者として最低の行為をしでかしたわけですから。もう冒険者を続けていくのは無理でしょうね」


 パーティメンバーを見捨てたことが知れ渡れば、今後は誰もアルスラさんとは組もうとしなくなるだろう。また、ギルドも彼のような信頼できない冒険者には、まともな依頼を任せないはずである。


 二人が受けるはずの刑罰を聞いて、彼らの罪状を思い出したのだろう。スフィアさんは皮肉げな口調になっていた。


「自分が助かるために仲間を捨て駒にしたり、復讐のために罪を被せて死刑にかけようとしたり、人間は恐ろしいのう」


「そうですね」


 アルスラさんには手ひどい形で追放されていたから、もともとあまり信用していなかった。しかし、ボクの知らないところでは、パーティメンバーに対してもっと残酷な態度を取っていたらしい。


 マリナさんはリーンを預かるなど、ボクの冤罪を晴らすためにいろいろ行動してくれていたから、かなり信頼してしまっていた。だが、あれは単に復讐に無関係な人間を巻き込みたくなかったからというだけだったようだ。


 いや、それならまだいい。実際には、他に犯人候補がいるせいで、アルスラさんに罪を被せられなくなってしまうことを危惧したからだったのではないか。


 だから、人間は恐ろしいという話に、ボクは「本当にそうだ」と心の底から相槌を打っていた。


「スフィアさんの方がよっぽど信用できます」


 返答まで一拍間があった。


「……それは人間が下等過ぎるだけじゃろう」


 スフィアさんは呆れたような顔つきをする。


 はたして本心なのか、照れ隠しなのか。ボクは後者だと信じたかった。


 これまでの冒険や事件を通じて、スフィアさんと仲良くなれたと思いたかった――というわけではない。


 もちろん、そういう気持ちがないとは言わない。けれど、それよりも単純に「人間は下等過ぎる」という言葉が嘘だと信じたかったのである。


「人間も捨てたものではない」と、「悪い人間ばかりじゃない」と、誰かにそう言ってほしかったのである。


 そんなことを願ってしまうほどに、最近はいろいろなことがあり過ぎた。


 ふと窓の外に目をやると、街には夜の闇が延々と広がっていた。




(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔物使いの事件簿~スライム殺人事件~ 蟹場たらば @kanibataraba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ