2-6 ヴァンパイアに関する実験

 調べ物が済むと、街の図書館をあとにする。


 けれど、ボクの足取りは決して軽くなかった。


「こっちも空振りでしたね」


「ヴァンパイアなぞ、何百年と生きておるわしでも見たことがないくらいじゃからのう」


 情報不足を嘆くボクと違って、スフィアさんは愉快そうな表情を浮かべていた。未知のものに触れられるかもしれないことに期待を募らせているのだろう。


 図書館の次はギルドへと向かった。何か新しい情報が入ってきていないか確かめるためである。


「ヴァンパイアの件はどうなりましたか?」


「そのことですか……」


 用件を聞いた瞬間、受付の人はますます疲れたような顔をした。


「――という風に、『暁の団』さんは依頼に失敗されたようです」


「そうでしたか」


 森でスーツを着ていることからヴァンパイアと誤解して、アルスラさんは危うく本物の貴族のヴラス伯爵に斬りかかるところだったそうである。


 誰であれ事件を解決してくれるのならそれが一番だと、『暁の団』の失敗を祈るような真似はしないようにしていた。だが、彼らは失敗どころか大失敗を犯してしまったらしい。


「また、他のパーティもまだヴァンパイアを発見できていません。よろしければ、エディルさんたちも捜索に参加していただけないでしょうか」


 フニがいれば索敵が捗るし、スフィアさんがいれば討伐さえも期待できるからだろう。受付の人が懇願するような目で見てくる。


 さらに彼女は小声でこうも続けた。


「実を言うと、管理責任ということで、伯爵は『暁の団』さんだけではなく、ギルドにもお怒りのようでして……」


 伯爵がギルドマスターを叱責し、それを受けてギルドマスターが職員たちを叱責した、ということだろう。だから、この人は疲れた顔をしていたのだ。


 その上、彼女は情に訴えてくるばかりではなかった。「討伐に成功した冒険者には、ギルドから内々に謝礼を出す予定になっている」という話も教えてくれたのである。


「分かりました。調べてみます」


「森へ行っていただけるんですか?」


 よほどギルドマスターに詰められていたらしい。ボクの返事を聞いて、受付の人の表情が明るくなる。


 しかし、そういうつもりで言ったわけではなかった。


「いえ、行くのは被害者の家です」



          ◇◇◇



 相変わらず、ヴァンパイア化の症状は治まっていないらしい。


 今日もカーテンを閉め切った薄暗い寝室で、ドランさんは横になっていた。


 そんな彼に、ボクは今回の訪問の目的を告げる。


「ヴァンパイアを捜索する前に、改めてお話を聞かせていただけないかと思いまして」


「それは構わないが、一体何を聞きたいんだ?」


 治る可能性があるのなら、若輩者の魔物使いだろうとすがりたいのだろう。彼は鷹揚にそう尋ね返してきた。


「ドランさんはヴァンパイア化されてるんですよね? それなら、ドランさんの体で、伝承が事実かどうか確かめることができるんじゃないかと。もし正確な弱点が分かれば、討伐も簡単になるので――」


「兄さんで人体実験するっていうのか!」


 肉親が危険に晒されるのを予感したようで、ルーサーさんは声を荒げていた。


「私も反対だわ」


 血の繋がりはなくても深い仲だということだろう。幼馴染のカミラさんも険しい目つきをした。


 賛成したのはただ一人、ドランさん本人だけである。


「……命にかかわるようなことまではしないよな?」


「もちろん安全には十分配慮します」


「じゃあ、やってくれ」


 ボクの一言で、ドランさんは覚悟を決めたようにそう頷いた。


 反対派のルーサーさんとカミラさんは、すぐにまた「兄さん!」「やめましょうよ」などと騒ぎ始める。


 二人の優しさや不安は、ドランさんも重々理解しているだろう。けれど、それでも彼は、やはり治る可能性を――また三人で冒険に行けるようになる可能性を追いたいようだった。


「で、何をするんだ?」


「まずは日光が本当に弱点なのか確認させてください」


 浴びた瞬間に、灰になってしまうわけではないからだろう。ドランさんは提案に応じてくれた。


 ベッドから起き上がると、左足のすそをまくり上げる。それから、窓際まで行って、足だけに日光が当たるようにカーテンをわずかに開けた。


 伝承通り一瞬とは言わないまでも、一時間と経たない内に結果は出た。


「この通りだ」


 ドランさんの左足は日焼けで赤くなっていたのである。


 さらに、ドランさんは右足の方のすそもまくる。すると、そちらにも日焼けの跡が残っていた。


「偶然かもしれないし、もう治ってるかもしれないとも思って、前にも一度試したんだ。でも、ダメだった」


 やはりヴァンパイアが日光に弱いというのは、正しい情報と考えていいのかもしれない。


「ヴァンパイアは日光と同じく、火も弱点だと言われておるな」


 先の実験結果を受けて、スフィアさんが口を挟んできた。


「そやつを火炙ひあぶりにして、灰になるかどうか確かめるというのはどうじゃ?」


「そんなの人間だってなるよ」


「まさか本気じゃないわよね?」


 ルーサーさんとカミラさんが即座に反対の声を上げる。


 しかし、ヴァンパイアについて知るいい機会くらいにしか思っていないのだろう。スフィアさんは嬉々として続けていた。


「また、心臓を杭で打たれると死ぬという話もある」


「だから、人間も死ぬって」


 ルーサーさんは今度も当然反対した。


 マッドサイエンティストじみたスフィアさんの知的好奇心のせいで、実験が中止になっては困る。だから、ボクはもっと穏当なものを提案することにした。


「ヴァンパイアは再生力が高いものの、銀でついた傷は治りにくいと言われています。なので、指先で試すというのはどうでしょうか?」


 ボクはバッグから二本のナイフを取り出す。銀製のナイフと鉄製のナイフである。


「これはいいだろ?」


「それくらいなら……」


 ドランさんが乗り気ということもあってか、カミラさんは渋々ながらも了承する。


「…………」


 一方、少しの怪我もしてほしくないようで、ルーサーさんの顔つきは不服げだった。もっとも、それはさすがに過保護だという自覚があるせいか、中止を訴えることまではなかったが。


 銀製のナイフの先端を使って、ドランさんの右手の親指を刺す。間を置かず、鉄製のもので左手に同じことをする。


 どちらの傷からも、うっすらと赤い血が滲み――


「どっちも変わらないな」


 ドランさんの言う通り、どちらの傷も血が止まるまでの速さには、ほとんど違いがなかったのだった。


「ヴァンパイアが銀に弱いというのは嘘だった……ということでしょうか?」


「そこまでヴァンパイア化が進行していないだけとも考えられるな」


 実験の結果を見て、ボクとスフィアさんはそんなことを話し合う。多くの伝承が銀が弱点だと伝え残していること、また日焼けするまでにそれなりに時間がかかったことを考えると、スフィアさんの推測の方が的確かもしれない。


 けれど、スフィアさんは安易に自身の考えを信じ込むような真似はしなかった。


「ただ調べる箇所が少ないからの。違う場所でも実験してみたいのう」


「それはまずいでしょう」


「では、もっと大きな傷で実験するのはどうじゃ?」


「それはもっとまずいです」


 またもやマッドサイエンティストじみたことを言い出したスフィアさんを、ボクは慌てて制止する。ドランさんたちもドン引きしていた。


 結局、スフィアさんの意見は多数決で却下されて、実験は次に移ることになった。


「ニンニクに弱いので、ヴァンパイア除けとして家に飾りつけることがあるようです」


「別に平気だけどな」


 実際、ボクがニンニクを近づけても、ドランさんはまったく苦しむような様子を見せなかった。においに一瞬顔をしかめたが、この程度の反応はヴァンパイアでなくてもするだろう。弱点とまでは言えない。


「食べると毒になるという話もあるぞ」


「げっ」


 スフィアさんの提案に、ドランさんは不満げな声を漏らした。


 あくまでもヴァンパイア化を治療するという目的から、実験台になることを承諾したのである。死ぬ恐れのあるような実験にまで付き合うつもりはないのだ。


 ――というわけではないらしい。


「ドランは子供の頃からニンニクが苦手なの。タマネギなんかもそうね」


 カミラさんがからかうようにそう説明した。


「嫌いなだけで、食えないことはないよ」


「それはルーサーが料理してくれるからでしょ?」


「うるさいな」


 ドランさんは恥ずかしさを打ち消すように大声になる。その様子を見て、カミラさんはますます口元を緩めるのだった。


「…………」


 しかし、当のルーサーさんはまったく笑っていなかった。兄を危険に晒すようなスフィアさんの発言が許せなかったのだろうか。


 実験の正確性と被験者の安全性とを天秤にかけて、ボクたちは最終的にパッチテストをするという結論に落ち着いた。パッチテストとは、対象物を腕や唇などに当てて、その後不調が起きるかどうかで毒性の有無を調べるという手法のことである。


 だが、ニンニクの欠片を肌に当てても、ドランさんの体には特に目立った変化は起こらなかった。もちろん、パッチテストを行えば、必ず毒を検出できるというわけではないが……


「次は鏡に姿が映らないという話を試してみましょう」


 伝承では、ヴァンパイアが出没した時に、鏡を使って見分けたことがあったとされている。


 けれど、ボクの取り出した鏡に、ドランさんは普通に映っていた。映った姿がぼやけているようなこともなかった。


 ドランさんによると、「身だしなみに毎朝一回は必ず見ているが、ヴァンパイア化してからも鏡に映らなかったことはない」とのことである。やはりスフィアさんの睨んだ通り、ヴァンパイア化はさほど進行していないのかもしれない。


 次にボクが挙げた弱点は流水だった。ヴァンパイアは川や海などの流れている水の上を渡れないという説があるのだ。


 しかし、流水に関する実験は結局取りやめになった。「太陽光に当たると日焼けをしてしまうので外出は控えたい」という申し出があったからである。ドランさんは以前、ヴァンパイア化したせいで処刑されることを心配していたら、人前に出るのが恐ろしいという気持ちもあったのかもしれない。


 ただ流水に関しては、聞き取り調査で情報を得ることができた。森からの帰路の途中で、橋を渡ったことがあったそうである。


 また、ヴァンパイアには招かれないと人の家に入れないという弱点も言い伝えられている。


 これも聞き取り調査を行った結果、特に該当していないことが判明した。街に帰ってきたあと、ヴァンパイア化のことをギルドに報告したり、医者に相談したりしたが、その時は普通に建物の中に入れたのだという。


 他に、ヴァンパイアと遭遇した時は、地面に豆などを撒くとよいとされている。ヴァンパイアは細かいものを数えたがるという習性があるので、その間に逃げ出すことができるからである。


 だが、皿に盛った豆を見せても、ドランさんは無反応だった。それどころか、「ニンニクだけじゃなくて豆にも弱いのか?」とずれたことを言い出す始末だった。


 こうして、ヴァンパイアの弱点を確認する実験はあらかた終了した。


 その結果を受けて、ボクは結論を出す。


「スフィアさん、やっぱりこれって……」


「そういうことじゃろうな」


 ボクたちのやりとりを聞いて、治る可能性が出てきたと思ったのだろう。ドランさんは色めき立っていた。


「何か分かったのか?」


「はい」


 ヴァンパイアの特徴の内、ドランさんに該当するのは、日光で日焼けを起こすことである。


 一方、該当しないのは、銀で再生力が落ちること、ニンニクをひどく嫌うこと、鏡に姿が映らないこと、流水の上を渡れないこと、招かれないと他人の家に入れないこと、細かいものを数えたがること……


 このことから言えるのは――


「ドランさんはヴァンパイア化しているわけじゃないと思います」

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