第二十六話 犯人は誰だ?
凛冬殿、大広間。
緊急招集をかけられた女官や宮女たちが集まり、不安そうに顔を寄せ合っていた。
開け放された扉の向こう、回廊の外からは、内侍省の武官たちが動き回る物々しい鎧の音が不気味な虫の音のように響き、それが女官や宮女たちをさらに不安にさせている。
広間にさざめく話し声は不安げに揺れていた。
「こんなに次々と事件が」
「次はだれが襲われるのかしら」
「凛冬殿は呪われているんだわ」
「おそろしい、もうここで働くのは怖いわ」
「お
そんな声がそこかしこから聞こえてくる。
しかし、欣明が入ってくるとざわめきは収まり、その後ろから来た人物に女官たちはさらに黙り込んだ。
絡繰り人形のような無表情の宦官――冥渠だ。
冥渠はゆっくりと広間を見渡し、大声で言った。
「凛冬殿の皆さま、御心配にはおよびません。怪我をした女官は、命には別状ないとのこと。ですが!」
広間は水を打ったように静かになった。冥渠は言う。
「こう次々と女官が襲われては皆さまご心配でしょう。一刻も早く犯人を捕まえなくてはいけませんなあ」
冥渠と欣明が目配せをし、欣明が頷く。
絡繰り人形のような顔に薄い嗤いがにじんだ。
「ご安心ください。犯人の目星はついております」
驚きがさざ波のように広がった。
「皆、怖がることはない。これは呪いなどではない!」
欣明の言葉に、再び広間が静まった。
「蘇奈の遺体の傍にも、南梓が倒れていた場所にも、これが落ちておったそうな」
欣明は一冊の本を高く掲げた。
「『宝玉真贋図譜』という本じゃ。両方の事件の現場に落ちていたのだから、これが犯人の手がかりであることは疑いようがない。そうじゃな?」
女官たちは顔を見合わせて頷き合っている。
女官の一人が、手を挙げた。
「欣明様。その本は、数日前、華月堂で借りられなかった本ですわ。白司書に訊ねたのですが、返却されたはずなのに見当たらないとのことでした」
「ほう。ではこう考えられるのう。『宝玉真贋図譜』は、見当たらないのではなく白司書が持っていた、とな」
広間に動揺とも興奮ともつかないざわめきが広がる中、璃莉は一人、硬い表情で『宝玉真贋図譜』を見上げている。欣明が畳みかけるように叫んだ。
「返却されたが、誰も借りていない本。それを持っている者がいるとしたら、それは誰じゃ? 書架にも無い本を持っている者があるとすればそれは誰じゃ? もっとも華月堂の本に近い人物は誰じゃ?」
女官の中から誰ともなく声が上がる。
「華月堂の本に近い人物……鳳司書長官と、白司書だわ」
「そうじゃ。だが、鳳長官は蘇奈が殺された晩、袁鵬様が屋敷で催された月見の宴に御出席されておる」
「え……」
「じゃあ、犯人って……」
女官たちのざわめきを見て、欣明は満足そうにうなずいた。
「そう。犯人は、華月堂の司書女官、白花音じゃ!」
♢
ひとまず華月堂に戻ると、驚いたことに伯言が待っていた。
すでに終業の時間は過ぎている。この時間に伯言が華月堂に残っているのは異例だった。明日は槍が降るかもしれない。
「璃莉さんと南梓さんには会えた? 凛冬殿の方がまた騒がしいようだけど」
「そ、それが……」
花音は、南梓が襲われたことを話した。
伯言は険しく目を細めた。
「そう。南梓さんが。一歩遅かったかしらね」
「南梓さんまであんな……止められたはずなのに……!」
「そうね。南梓さんは気の毒だけれど、命に別状はなさそうよ」
「え?! ほんとうですか?!」
「ええ。被害に遭った女官の命は助かったと、内侍省で武官たちが話しているのを小耳にはさんだわ」
「あっ、そうでした。伯言様には内侍省に行ってもらっていたんでした! 『宝玉真贋図譜』をもう一度見たら、密売の証拠の裏付けになりますよね!」
「『宝玉真贋図譜』は持ち去られていたわ」
「え?!」
「内侍省のボンクラ宦官によれば、持ち去ったのは姜涼霞殿らしいの」
「ええ?!」
意外な人物の名に花音は動揺するが、同時に凛冬殿での出来事が頭の中をめぐる。
「そうだ……伯言様。璃莉さんたちが宝物庫で遭遇したのは、涼霞様だったんです!」
「なんですって?」
「加えて『宝玉真贋図譜』を持ち去ったのが涼霞様なら……涼霞様が事件に関わっているのは否定できません。でも」
「わかってる。あの御方が女官を殺したり、玉の密売に関わる人物には見えない、でしょ?」
「はい……」
「でもね、花音。人は誰でも、周囲には見えない秘密を身の内に持っているものよ。そしてそれが、意外な人物の意外な行動を引き起こすの」
伯言の言っていることはわかる。
しかし、花音にはどうしても涼霞が蘇奈を殺したとは思えなかったし、清廉そのものに見える涼霞が玉の密売するなど、信じられない。
「姜涼霞殿が事件の犯人と決めつけるのは早いわよ」
花音が黙りこんだからか、伯言が珍しく気遣わし気に言った。
「けれど、何かを知っているのはまちがいないわ」
「あたし、明日、涼霞様にお会いして聞いてみます。『宝玉真贋図譜』のことも含めて」
――凛冬殿に不穏な空気が広がっていることを、このときの花音はまだ知らなかった。
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