第二十四話 第二の事件


「すいませんっ!!」


 凛冬殿の玄関で肩で息をしている花音を、女官たちがぎょっとして出迎えた。

「こ、これは……たしか、華月堂の司書女官殿では。どうなされた、そのように急いで……」


 髪ふり乱し、襦裙もめくれあがっている花音に女官たちは目を白黒させる。走ることがそもそも行儀悪いとされる高位女官たちにとって呆れてものも言えない有様だ。

 しかし今の花音はそんな白い目を気にしている余裕はなかった。


「はいっ、華月堂の司書女官、白花音はくかのんですっ。あのっ、お忙しい時間にすみませんが、璃莉さんと南梓さんに御取次を――」

「花音ちゃん? どうしたの、そんなに息を切らして」


 回廊の奥から、前掛けをした璃莉りりが他の女官と共に通りかかった。

 夕餉の支度をしているらしい。

 四季殿には専用の厨があり、後宮厨で作られた料理を運び、ここでさらにまた調理をして、毒見をしたのちに貴妃へ供する。


「璃莉さん! 無事でよかった……!」

「やだ、どうしたの花音ちゃんたら」


 璃莉は玄関に下りてきて、周囲をうかがいつつ花音にささやいた。


「もしかして、昼間に話したことで何か進展が?」

「進展というか、貸出記録を調べる前に璃莉さんに聞きたいことがあるんです」


 真剣な花音に璃莉は何かを察したらしく、花音の手を引いて庭院にわに出た。


「聞きたいことって?」

「璃莉さんたち三人が、宝物部屋に忍びこんだって話です」

「……あのことが、何か?」

「そのとき宝物部屋で鉢合わせた人って、誰ですか?」



 小さく、ほんとうに小さく、璃莉が息を呑んだのがわかった。



「誰ですか?」

「……………」



 璃莉は、視線をそらして黙っている。



(やっぱり、隠したいんだ。そのとき宝物部屋にい人物が誰だったのかを)


「璃莉さん、あの書付が示す通り、凛冬殿で玉の密売が行われているのだとしたら、玉が保管してある宝物部屋はきっと、さりげなく見張られているはずですよね。だってあの書付の内容が本当だとしたら、銀子十万枚分の玉が宝物部屋に置いてあるってことですもの」



 璃莉はハッと顔を上げる。



「そうだとすると、そのとき遭遇した人物は玉の密売に関わっている可能性が高いですよね。玉を見張っていたと考えられますもの。そしてもし、そのときのことで密売人に目を付けられ、蘇奈さんが殺されたのだとしたら……蘇奈さんを殺したのは、その人物かもしれないですよね?」

「ち、ちがう……ちがうわ!」



 璃莉が悲鳴に近い声を上げた。



「そんなはずない! あの御方がそんなことをするはずないわ!」

 言ってからハッと手で口を押さえる。

「わ、私、その……」

「璃莉さんお願い! 誰だったのかを話して! そうじゃないと、璃莉さんと南梓さんも――」


 そのとき、回廊の向こうから、璃莉と同じ年頃の女官が数人、急ぎ足でやってきた。



「あ、璃莉がいたわ。ねえ、南梓を知らない?」

 璃莉はホッとしたように女官たちの方へ近付いていく。

「南梓? お昼を一緒に食べてから姿を見てないわ」

 女官たちは顔を見合わせた。

「璃莉も知らないとなると、どこに行ったのかしら」

「どうしたの? 南梓に何か用なの?」

「あたしたち、今日は冬妃様に御膳をお運びする当番が一緒なのよ」

 ああ、と納得したように璃莉がうなずく。

「そういえばお昼の時も、今日の御膳運びを楽しみにしていたわ」

「でしょ? でもあの子、玄関で待ち合わせしていたのに、約束の時間になっても来ないの。花摘みに一緒に行った子たちも知らないって言うし。もう行かなくちゃいけない時間なのに」


 璃莉が眉をひそめる。


「おかしいわ」

「どうしたんですか?」


 振り返った璃莉の顔は不安に雲っていた。


「南梓は冬妃様への御膳運びの当番が回ってくるのを、とても楽しみにしているの。南梓にかぎらず、凛冬殿の女官は皆そうだわ。冬妃様の御美しい御姿を拝見できるし、当番の女官たちには、冬妃様から異国渡りの珍しいお菓子をいただけるの。南梓は、甘い物が特に好きだから」

「南梓さん……!」


 心臓の音が大きくなる。

 押さえようとしても、胸のざわつきがどんどん大きくなる。


 陽は、もう暮れかけている。昼間はまだ残暑があるが、この時刻になるとセミではなくコオロギや鈴虫が鳴くようになった。

 そんな秋の気配を、金切声がかき消した。


「南梓は見つかったのか!」


 回廊の向こうからやってきたのは、欣明きんめいだ。女官たちはあわてて拱手する。

「そ、それがまだでして」

「誰か代わりの者を立てて早く後宮厨へ行け! 冬妃様に御膳を差し上げる時間が遅れてはならぬ! 何をしておるのじゃ!」

「も、申しわけございません、欣明様」


 甲高い声で居丈高に怒鳴り散らし、欣明は行こうとして――ふと立ち止まった。


「そなた、華月堂の司書女官じゃな」

「は、はい」

 まさかこの場で声を掛けられるとは思わず、花音はどきりとした。

「ここで何をしておる」

「は、はあ、その、華月堂の本が紛失しまして……凛冬殿の皆さまに人気の本でしたので、お心当たりはないか、皆さまに聞いておりました」


 璃莉を巻きこまないようにうまく言い訳したつもりだったが、欣明は眉を吊り上げた。


「なに? それはこの凛冬殿の誰かが華月堂の本を盗んだと疑っておるのか!」

「え?! い、いいえそのようなことは決して!」

 無数の蛇が結われたようなたぶさの下で、細い三日月のような目が花音を睨んだ。

「ふん、まあよい。誰かを疑うより、自分の疑いを晴らした方がよいのではないか、司書女官殿」


 濃紫の裾を大きく翻し、欣明は女官たちを引き連れて行ってしまった。


「花音ちゃん、疑いって」

 花音は溜息をついた。

「あたし、疑われているんです。蘇奈さんを殺害したんじゃないかって」

「ええ?!」

「蘇奈さんの遺体のそばに、華月堂の本……『宝玉真贋図譜ほうぎょくしんがんずふ』が落ちていたので」

「そうだったのね……」


 璃莉は何かをかみしめるように花音を見つめ、言った。


「ごめんなさい」

「そんな。璃莉さんが謝ることないわ。それより南梓さんを捜しましょう」

「でも、もう終業の鐘が鳴っているわ。花音ちゃんは暗くなる前に女官寮へもどったほうがいい」


 遠く皇城から、一日の終わりを告げる鐘の音が響いてくる。


「ありがとう。でも南梓さんの無事な姿を見ないと、あたしもご飯を美味しく食べられそうにないから」

 わざとおどけてみせると璃莉は泣きそうな顔になった。

「ありがとう花音ちゃん……」

「だいじょうぶよ。南梓さん、どこかでお茶でも飲んでいるのかも」


 そんな可能性はかぎりなく低いとわかっていても、気休めを口にせずにはいられないかった。

 胸のざわつきがどんどん大きくなっているから。


(どうか気のせいであって……!)


 璃莉といっしょに、薄暗くなってきた庭院の奥へ進む。それを見ていた他の女官たちも数人、庭院に下りてきて一緒に南梓を捜した。


 皆で南梓の名を呼びながら植栽をかき分けていると、誰かがひっ、と短く息を飲んだ。


 花音と璃莉が急いで行くと、女官が一人、地面に座りこんでいる。

「あ、あそこ……」

 女官の細い指の差す先。

「南梓さん?!」


 秋薔薇の繁みの影に、ごくごく薄い紫色の襦裙姿が倒れている。

 髪を長くほどき、その白い額からは赤黒い筋が幾筋も垂れていた。


「いやあああ!」

 璃莉が悲鳴を上げる。

「どうした!」

 そのとき、向こうの繁みから誰かが走ってくる音がした。



「あれは……姜涼霞きょうりょうか様?!」

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