第二十五話 あの月夜の晩、宝物庫にいたのは
花音をはじめ、その場にいた女官たちは驚いた。
繁みから突然現れたのは、男装の麗人だったのだ。
「涼霞様!」
「涼霞様が来てくださったわ!」
その場にいた女官たちは安堵の叫びを上げたが、涼霞は周囲を気にも留めず璃莉に駆け寄った。
「璃莉! 大事ないか!」
「は、はい、私は大丈夫……南梓、南梓が……」
璃莉の指す方を振り向き、涼霞はハッとしたように腰を上げる。
倒れている南梓に近付き、額や顔に血でこびりついている髪をそっとかき上げ、首筋に指を当てる。同じように、手首にも指をあてて涼霞は振り向いた。
「息がある! 誰か急ぎ殿内に知らせてください。それから医官の手配を!」
涼霞の指示に、座りこんでいた女官たちが動き出した。
涼霞は懐から手拭を出すと手早くそれを裂き、南梓の後頭部とも側頭部ともつかない場所を押さえた。見る間に血がにじむ。
「あたし、やります」
花音は涼霞の手から手拭を受け取り、同じように裂いて涼霞に渡した。
「怪我は頭だけでしょうか」
「外傷という意味なら、そのようです。後ろから殴りつけるなど卑劣極まりない……!」
涼霞はなるべく南梓の身体を動かさないように、自身が動いて南梓の様子を見ながら血糊を拭いていく。花音も布を裂き、血の付いた部分をできるだけそっと拭った。
いつも朗らかに笑っていた南梓の顔からは血の気が失せ、苦しそうな表情をしている。
「ごめんなさい、南梓さん」
花音が思わず呟くと、涼霞が気づかわしげに言った。
「白司書のせいではないですよ」
「でもあたし、予感があったんです。だから凛冬殿に来たんです。それなのに……」
「予感?」
「蘇奈さんが何者かに殺されたんだとしたら、次に狙われるのは璃莉さんと南梓さんだと思ったんです」
「それは……なぜ?」
涼霞は静かに問う。射貫くようなその視線に、花音は動けなくなる。
「そ、それは」
(凛冬殿の誰かが玉の密売をしているかもしれないってこと、今ここで涼霞様に話すべき?)
花音は戸惑った。
口ごもる花音を見て、涼霞は静かに視線を落とす。
「――もし、何かにお気付きなのだとしたら、誰にも何も言わない方がいい」
花音はハッと顔を上げた。涼霞はやはり射貫くように花音をじっと見つつ、後ろの璃莉に聞こえないくらい声を低くした。
「今はそれが最善でしょう。貴女の身を守るために。時間を稼ぐために」
それはどういう意味かと問おうとしたとき、いくつもの鎧が走る硬い音が近付いてきた。
「あちらです! あちらに女官が!」
凛冬殿の女官が先導して、内侍省の武官がやってきた。その先頭にいたのは。
「ほう、またお会いしましたなあ」
「冥渠、殿……」
「いつもいつも事件の現場におられるとは、白司書は相当なもの好きか、あるいはよもや、事件の当事者、という可能性も……」
言葉尻を意味深に大きな声で濁して、冥渠は周囲の女官たちをぐるりと見た。
「まあとにかく、その女官を太医署に運ぶことが先決ですな」
武官たちが布を広げ、南梓の身体を載せて急ぎ運び出していった。
(なぜ、涼霞様はあたしにあんなことを言ったのかしら)
花音のため、時間を稼ぐため、とは、どういうことなのか。
(涼霞様の言動は奇妙だわ……)
涼霞はさっき、真っ先に璃莉に向かった。
あの繁みからこの場に飛び出してきたら、まず気が付く異変は南梓の姿ではないだろうか。
それに、涼霞は、南梓の姿にあまり驚かなかった。
もちろん、元軍人として人が血を流して倒れている場面は見慣れているのかもしれないが、それだけではない気がした。
「そういえば涼霞さんはどこにいったのかしら」
ふと見ると、近くの木陰に璃莉の襦裙と、涼霞の姿が見える。
二人は低い声で何か話していた。
(璃莉さん、どうしたのかしら。様子がおかしいわ)
花音が思ったとき、璃莉の押し殺した声が聞こえた。
「なぜです? なぜあの月の晩、宝物部屋にいらしたのですか?」
涼霞は璃莉から顔を背けた。
「君は何も知らないほうがいい」
「そんな! 私は涼霞様のお力になりたいんです!」
「璃莉――」
「わたし涼霞様のためならどんなことになってもかまわない。なんだってします!」
璃莉の小さな悲鳴のような叫びは、回廊からの呼び声と重なった。
「璃莉、早く! 緊急招集ですって。広間に集まるようにって、欣明様が」
涼霞がすかさず手を挙げて応えた。
「私が璃莉に聞きたいことがあって呼び止めていたのだ。すまない」
「い、いえ涼霞様、とんでもございませんわ」
女官たちは頬を赤らめている。
涼霞に促され、璃莉は何か言いたそうな表情で踵を返した。
そして、回廊の近くにいた花音にハッとした。
「花音ちゃん……まさか、今の話」
「璃莉さん、宝物庫で鉢合わせた人物って、涼霞さんだったんですね」
花音がささやくと、璃莉は逃げるように回廊へ上がっていってしまった。
女官たちが回廊の向こうへ消えてしまうと、先刻までの騒然とした空気が嘘のように静寂が訪れる。
振り向けば、涼霞が南梓の倒れていた場所に膝をついていた。
地面に触れたり、何かを調べているようだ。
(なにをなさっているのかしら)
花音が近付いても涼霞は気付く様子もなく、真剣な表情で地面を見つめている。
そしてぽつりと、
「やはり、確かめよう」
立ち上がり、繁みの向こうへ足早に行ってしまった。
その後ろ姿を、花音は呆然と見送った。
「もしかして、涼霞様が犯人……? いいえ、そんなはずは」
涼霞が蘇奈を殺害。
そんなことは考えられない。考えたくない。
しかし。
璃莉たち三人が宝物庫で遭遇した人物は、姜涼霞だったのだ。
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