第三十八話 華月堂での月見では➀


 かくして事件は一件落着、華月堂にはまた、本を愛する人々がたくさん来るようになりましたとさ。

「めでたしめでたし……ってめでたくなーいっ」


 花音は配架本が満載の台車を移動させつつ叫ぶ。


「いいの。事件も解決したし、華月堂に人がたくさん来てくれて、本をたくさん読んでもらえて。司書冥利に尽きるってもんよ。最高だわ。だがしかし! これじゃああたしの読書時間が無くなる! もちろん配架も好きだけどあたしは本が読みたいのよーっ」


 配架本満載の台車はあと三つ。

 終業の鐘が鳴ってからもせっせと配架を続け、やっとここまでこぎつけた。

 秋の夜は涼しいが、動いているので汗をかく。

 手拭で汗をふいて見上げれば、大きな檸檬のような月が高窓から見えた。


「うわあ、伯言様の言ったとおり艶やかで美しい月……じゃなくて! またやられたわ! あの鬼上司め~~~!」




 伯言はもちろん、さっさと帰宅していた。

「月の美しい季節は宴がたくさん、この美しさで宴に花を添えるあたしは宴のお誘いが多くて困っちゃうわ~」

「そんなこと言って伯言様、また仕事やらずに帰る気ですね? 配架だけなんですからやってください!」

「あらいやあね、あたしが宴に参加するのは華月堂のためなのよ? 有力な貴族に働きかけて朝議で華月堂に予算を回してもらうようにするためよ? これって仕事よね?」

「えっ。ええ、まあそういうことなら仕事と言えなくもないですけど……」

「宴続きだとお肌に悪いから本当はとぉーっても嫌なのよ。でも! 華月堂存続のためと思ってがんばるから!」

「はあ」

「今夜は待宵月。満月よりも艶やかで美しいって言うじゃない? 待宵月を見上げると良いことあるっていうし。だからあたしは外で、花音は華月堂で月見をしましょ。というわけで残った仕事をちゃちゃっとやっちゃってね~」

 そう言い残して、いつもより二倍ほどひらひらした衣装をひらめかせ去って行ったのだ。




「……よく考えれば宴が仕事ってそんなことあるかっ。だいたい伯言様お酒大好きだし! 単なるお楽しみじゃない!」

「おお、なんか怒ってんな」

「当たり前でしょ! これが怒らずにいられるかって……って、えっ?」


 おそるおそる振り返った、そこには。

 華月堂に差しこむ明るい月明りの中、紅い上衣を羽織った長身の人影がいつの間にか立っていた。


「紅!」

「ははっ、また伯言に仕事押しつけられたのか。こりないな、おまえも」

「こ、こりないっていうか! 伯言様がいつものらりくらりと旨いこと言うから!」

「まあしょうがないな。伯言のほうが一枚も二枚も上手うわてだ」


 愉快そうに笑いながら、紅は花音に一歩近づいた。


「元気そうでよかった」


 今度は笑みに、優しさをたたえている。

 その眼差しに花音の鼓動は一気に高まり、

「こ、この間は、ありがとう。紅のおかげで助かったわ」

 ちゃんと目をみて言わなければと思うのに、視線がさまよってしまう。


 紅の顔を真っすぐに見れないのは、思わず溜息が出そうな端麗な顔立ちのせいだけじゃなくて。


「ほんとだよ。伯言に聞いたら一人で太医署に向かったっていうからさすがに慌てたぞ。冥渠は南梓という女官の息の根を必ず止めに行くと思ってたからな」

「えっ、冥渠が犯人だってわかってたの?」

 思わず花音は、紅を見上げた。

「まあな。だいたいの予想はついていた。もっとも、事件の容疑者としてまず辿り着いたのは欣明の方だが」


 紅壮は閲覧空間の椅子のひとつにくつろいだ様子で座り、長い足を組んだ。

 そこに高窓からの月光が差しこみ、紅の白い袍と紅い上衣に落ちる。花音を見つめる双眸の紫色が月明かりの下の宝玉のようにはっきりと見えるほど、月光は明るい。


「あの夜、蘇奈という女官が亡くなっていた場所に残っていた匂い、気付いたか?」

「うん。この前、冥渠が南梓さんとあたしに嗅がせた匂いね?」

「そうだ。あの匂いは曼荼羅華という薬草の匂いで、後宮の薬草園で栽培されている。あの時、オレはもしかしたらと思い、柊にすぐに調べさせた。そうしたらごく最近、太医署から曼荼羅華で作られた睡眠薬を極秘に持ち帰った者がいることがわかった」

「もしかして……欣明様?」

「当たり。曼荼羅華は睡眠薬や麻酔薬に使用される重宝なものだが、使い方を誤ると命に係わる。だから太医署でも厳重に扱っていて、扱う者も限られるし外へ持ち出すことはできない。だが、貴妃付きの女官次官から貴妃の不眠解消のためにと懇願されれば医官も断りにくい」

「欣明様が、冬妃様の不眠解消のために秘密で曼荼羅華を処方してもらったの?」

「いや、冬妃は不眠じゃない」


 言い切った紅に花音は息を呑んだ。


(不眠じゃないことを知っているって……朝まで冬妃様とその……寝台で御一緒だったことがあるってことで……きゃーっ、もう冬妃様とそ、そそそんな仲に……で、でもっ、そうよね、だって紅は皇子で冬妃様はそのお妃様なんだから! そ、そういうことがあるのは自然なことよね!)


「……花音?」

「へ?!」

「聞いてるか?」

「う、うんうんもちろん聞いてるよ!」


 花音は必死に動揺を隠して引きつった笑みを作った。

 そのうろたえぶりに眉を寄せつつも、紅は続ける。


「だから欣明が蘇奈を殺すつもりで曼荼羅華を手に入れたのだとすぐにわかった。だが、理由がわからん。立場的に、気に入らないなら欣明は蘇奈を凛冬殿から追放できる。それなのに危険を冒してまで殺したのはなぜか?」

「それはきっと、蘇奈さんたちが宝物庫にいたからだと思う」

「宝物庫?」

「宝物庫は立入禁止の場所で、でも蘇奈さん、南梓さん、璃莉さんの三人はちょっとした悪戯のために忍びこんだことがあったんですって。そこで鉢合わせたしまった涼霞様は三人を見逃したけれど、きっと欣明様も三人を見かけたんだと思うわ。だってそのとき、『宝玉真贋図譜』が宝物庫に落ちていたらしいの。後で調べたら、『宝玉真贋図譜』を最後に借りていたのは欣明様の雑用をやっている宮女だったのよ」


 貸出記録に名が残っていた宮女は、よくよく見ればかなりの回数『宝玉真贋図譜』を借りている。欣明が頻回に『宝玉真贋図譜』を読んでいた証拠だ。


「欣明様はきっと、『宝玉真贋図譜』を宝物庫に忘れたことに気付いて取りに行き、三人が忍びこんでいるのを見かけた。で、『宝玉真贋図譜』を回収した後、中に挟んであった書付が無くなっていることに気付いた。これなんだけど」


 花音が懐から出した小さな紙を紅が受け取る。 

 書付に目を走らせ、紅は呟いた。


「これは……碧雷というのは金剛と並ぶ貴石と言われる玉だ。燐灰石の名があるが……確かに、碧雷の外見は燐灰石に似ているな。ん? まてよ、この矢印は……そうか! そういうことか」

「そう。燐灰石だと思われている屑玉が碧雷だとすると、銀子換算でいくらになるか、という計算の書付よ。それを蘇奈さんたちが発見し、玉の密売のことに気付いたと勘違いして、欣明様は蘇奈さんたちを殺そうと思ったんじゃないかしら」


 紅は唸った。


「なるほどな。さすが花音、冴えてる。オレが目を付けていた袁家の荷の件の裏付けにもなっているしな」

「袁家の……荷?」

「ああ。前から、袁家の荷はあやしいと思っていた。袁家から荷が届くといつも冬妃のところへ礼を言いに行くんだが、いくらなんでも荷の数が多すぎる。秘かに聞けば、荷は女官たちにも下賜されるという。屑玉とはいえ、玉を女官たち全員に下賜するなど度が過ぎている。女官にやるのだから宦官にもと、東宮へ渡るために保管する荷と一緒に宦官用の荷もかなり内侍省に運ばれていた。袁鵬は鷹揚な性格で、下々の者への気配りも厚いことで有名だが、それにしてもやり過ぎだし、調べてみたら北の鉱泉の太監守は欣明の兄だった。

 それで今回、欣明がなんらかの理由で女官を殺すなら荷が関係していて、内侍省にも内通する共犯者がいるだろうと直感した。そこで目を付けたのが冥渠だ。奴は暗赫の残党だから武術にも長けているし、欣明と冥渠が密売の首魁なら、協力して蘇奈を殺したのではと考えた。その矢先に、南梓という女官が襲われた」


 紅は身を乗り出し、突然、花音の手を強く握った。


「しかも!あの冥渠とかいう野郎、その罪を花音に全部被せようとしていただろう!」

「えっ、う、うん」

「だからオレはもう我慢できなくなった。柊になんと言われようと、欣明と冥渠をすぐにでも捕らえて凶行を止め、奴らの罪を暴いてやろうと思った。そうしたら花音が太医署に行ったと聞いて……気が気じゃなかった。冥渠は、元・暗赫の者たちは人を傷付け殺すことを簡単にやる。本当に! オレは生まれて初めてなんだぞ! あんなに焦ったのは!」


 紅は本気で怒っている……ように見える。




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