第三十三話 純愛、そして皇子たちは真相を暴く
薄紫色の襦裙が、朱に染まっていく。
「ふははは! 一女官の推理など痛くもかゆくもない。私には強力な後ろ盾があるのでな!せいぜいここで小賢しい推理ごっこでもやっているがいい!」
黒い影が走りぬけ、開いた窓から
「しまった!」
「くそっ……」
涼霞は外と室内を交互に見て、
そして苦悶の表情を浮かべると、意を決したように短刀の柄に手をかけ、慎重に刃を引き抜いた。
そして手早く寝台の敷布を裂いて傷口を懸命に押さえる。元・武官らしい果断な応急処置だが、その麗貌は蒼白だった。
「璃莉……死なないで……!」
祈るように呟く涼霞の頬に、いくつもの涙が伝っていく。
その姿に、花音は心を打たれた。
(涼霞様も、璃莉さんのことを想っているんだ……)
涼霞の必死な様子には、璃莉への気持ちがあふれている。
その真剣さと純粋さが花音にも伝わってきて、胸が熱くなった。
「涼霞様……」
璃莉は視線をさまよわせ、涼霞に目を留めた。
「ご無事で、よかった……」
どんどん血の気を失っていく顔で、璃莉は微笑んでいる。
「この簪、うれしかったです……」
手を伸ばそうとして、璃莉は痛そうに顔を歪める。
伸ばしかけた手の先には、先端に水晶が揺れる清楚な銀の簪が揺れる。
(少し前、璃莉さんが差していた簪だわ)
あのとき、璃莉はうれしそうに頬を染めてうつむいて。涼霞はじっと簪を見つめていて。
(そっか……そういうことだったのね……)
この簪は、涼霞が璃莉に贈った品なのだろう。
それが璃莉にとてもよく似合っていたのは、涼霞もまた、璃莉のことを見つめているからだ。
(涼霞様と璃莉さんの言動が奇妙だった原因が、わかったわ)
純愛。
二人は、お互いにお互いを守りたかったのだ。
涼霞が南梓が襲われた場所に飛んできたのは璃莉を守ろうとしてのことだし、璃莉が華月堂に来て切羽詰まったように玉の密売の話をしたのも、涼霞がそれに巻きこまれていると考えたからだろう。
「璃莉、話すな!傷口が」
「私の、いちばん大切なもの……いっしょうの、たからもの、です」
「璃莉!!」
花音が支えていた璃莉の頭がぐったりした。
「璃莉!! しっかりするんだ!!」
「涼霞様、落ち着いて! 璃莉さん、まだ息がありますよ。医官がくるまでの辛抱ですから!」
「……っ。すまない、白司書。貴女も怪我人なのに」
「あたしは大丈夫です。お気になさらず」
その時、慌ただしい
「なにがあった!」
数名の医官と共に戻ってきた紅が花音に駆け寄った。
「やっぱり冥渠が蘇奈さんを殺したの! 南梓さんを襲ったのもあいつだし、今も璃莉さんを……!」
「くそっ、あの宦官め。やはり一撃入れて失神させておくべきだったか」
「それより紅、璃莉さんが」
花音が言うより早く、もう医官たちは処置に移っている。
「ていうか花音、おまえも患者なんだぞ! おい、誰かこの女官にも急ぎ処置を!」
「あたしは大丈夫だから、それよりも璃莉さんと南梓さんを――って、あれ……」
目の前がふう、と暗くなっていく。
最後に見たのは、大きく見開かれた紫色の双眸だった。
♢
冥渠は凛冬殿の奥に駆け込んだ。
(まったく、とんだ目に遭った)
白花音に言い当てられた時は正直肝が冷えた。
あの司書女官は、早くに殺しておけばよかったと悔やまれる。
「だが、あんな小娘が騒いだとて、袁家の後ろ盾の前では蟻ほどのものにもならぬ」
冥渠はほくそ笑む。
欣明が一言口添えすれば、冥渠に掛けられた嫌疑はすぐに晴れるだろう。
赤の皇子が出てきたのは計算外だったが、まだ立太子もしていない悪評高い皇子など、大貴族袁家の相手ではない。
「
いつもなら
しびれを切らした冥渠は回廊に上がると、欣明の部屋の扉をせわしなく叩いた。
「どうぞ」
中からの
部屋の中心にある円卓。それ自体は見慣れているが、いつもはそこで好物の菓子を山のように積んで食べている欣明が、今日はただ悄然とうつむいて座っているだけだ。
そして。
「奇妙なところでお会いしますな、冥渠殿」
円卓の前に立つ人物が、扇子を片手に微笑んだ。
淡い化粧をほどこした中性的な美貌、派手な衣装。
その外見に騙されるなと、亡き主・
「貴様は……
「私のことを御存じとは光栄です。ちょうどいい。私も、そして殿下も、ちょうど貴方に話が聞きたいと思っていたところでしてね」
「なっ……殿下だと?!」
欣明の向かいに座す青年に、冥渠は凍り付いた。
濃紺の上品な袍に、きちんと結われた髪。
雰囲気もまったく違うが、まったく同じ顔をした青年の元から逃げて来たばかりの冥渠にとっては戦慄するほどの衝撃だった。
「ま、まさか……青の殿下……!」
「冥渠とやら。そなたが
赤の皇子とまったく同じ顔が、静かに問うてくる。
赤の皇子のような勢いと迫力はないが、静かに威圧する冷たさに身動きができなくなるほどだ。
「と、とんでもございませんっ、わ、私がそのようなことをするはずがありませぬっ」
「ほう。では聞く。これは先ほど内侍省の最奥にある保管庫から押収した荷なのだが、そなたに指示されて保管していたと宦官たちから聞いている。これはどういう荷なのだ?」
青の皇子が言うと当時に、円卓の前に立っていた鳳伯言が慇懃に横へ退いた。
「そ、それはっ……」
伯言の背に隠れてあったのは、いくつもの箱。
函谷県からの荷札の付いた、袁家の紋章の入った箱だ。
「くっ……」
懐に冥渠が手を入れた。
刹那、鋭い鉤爪が冥渠の懐からのぞいたのと同時に、青の皇子の傍から飛燕が滑り出る。
が、しかし。
「内侍省の武官たる者が暗器まで持っていたのか。重罪だな、これは」
冥渠を背後から羽交い絞めにしたのは――
「
「うるさい。人命救助が第一だろうが」
「打ち合わせでは、おまえが冥渠をここまで連行する手はずだっただろう」
「だから! 変則的なことがあれば打ち合わせ通りなんかならないだろうが! それにほら、今取り押さえたぞ」
紅壮は羽交い絞めにしていた腕を素早く動かした。
一瞬、何が起きたかわからなかったが。
「う……うぅ」
冥渠が呻いて床に倒れこんだ。白目をむいて、完全に失神している。
「別に気を失わせる必要はないだろう」
「花音の仕返しだ」
「なんだって?! 花音に何かあったのか?!」
「おおありだが、今は医官も呼んで処置も頼んだから大丈夫だ。まったく、とんだ薬を悪用してくれたな、欣明」
紅壮の言葉に、欣明はさらに身を縮めた。
「後宮内において薬草や薬を悪用する罪の重さは知っていよう。さらに内侍省の冥渠をはじめ、暗赫の残党と手を結んで玉の密売を行っていたなど言語道断。そなたも、鉱泉の太監守であるそなたの兄も、覚悟するがいい」
藍悠が重々しく言うと、しなびた蛇のような頭が円卓の上で憐れに揺れた。
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