第二十七話 着せられた濡れ衣



 次の日。

 花音は、華月堂の開室準備を終えてから凛冬殿へ向かった。


「すみません、璃莉さんはお手すきでしょうか」

 凛冬殿の玄関で訪いを入れるとすぐ、花音は数人の女官たちに囲まれた。


(な、なんかみなさん怒ってる?!)


 女官たちは明らかに敵意を持った目で花音を睨んでいる。


「あなた、よく凛冬殿へ来れるわね!」

 先頭の女官が、今にも噛みつきそうな顔で言った。


「え……」

 なんのことを言われているのかわからず、凛冬殿の女官たちの手のひらを返したような態度に花音は戸惑う。


「とぼける気?」

「なんて図々しくて怖ろしいこと」

「やっぱり試挙組なんて、品性が下劣なのよ」


 あからさまな悪意に耐えかねて、花音は言った。


「あ、あの! どういうことでしょうか。あたしが何かしたんでしょうか?」


 一瞬で女官たちが色めき立つ。

「何かしたもなにも、あなたが南梓に大ケガをさせたんでしょう!」

「ええ?!」

 花音はびっくり仰天した。

「ち、ちがいます!」

「じゃあなんで昨日、あのとき凛冬殿にいたのよ?」


 別の女官が詰め寄る。


「そ、それは」


 また別の女官が、甲高い声で叫んだ。

「蘇奈もあなたが殺したんでしょ!」

「なっ……そんな!!」


 なぜ急に凛冬殿の女官たちが花音を責めるのかわからないが、昨日までと状況が大きく変わっているのは確かだ。


「なんでそんなひどこと言うんですか?! だいたいあたしは人を殺したり暴力をふるったりしませんっ!!」

「蘇奈が死んでいた場所に華月堂の本が落ちてたって言うじゃない!」

「そ、それは」


 たしかに、蘇奈の遺体の傍には『宝玉真贋図譜』が落ちていた。それは花音も見た。


「南梓が倒れていた場所にも同じ本が落ちていたそうよ!」

「ええ?! まさか!」

 昨日、花音は南梓が倒れている場所にいた。

 気が動転してはいたが、本が落ちていなかったことは確かだと言える。

 それに。

「『宝玉真贋図譜』が南梓さんの傍にあったはずないです! だって――」


 花音はハッとして言葉をのみこんだ。


 涼霞が『宝玉真贋図譜』を内侍省から持ち出したと言っても誰も信じないだろう。

 それに、涼霞の名誉のためにも、涼霞が『宝玉真贋図譜』を持っているかもしれないことは言わないほうがいい。


「と、とにかく! 南梓さんの傍には『宝玉真贋図譜』は落ちてなかったんです!」

「まだ言い逃れするつもり?! 事件を調べている内侍省の武官がそう言っているのよ!」


(内侍省……冥渠様だわ!)


 残忍に歪む能面顔が目に浮かぶ。


(冥渠様が凛冬殿で何か言ったんだわ……!) 


 だから女官たちの態度が一変したのだろう。

 完全な濡れ衣に、足元が崩れるような感覚に襲われる。


「ちがうんです、聞いてください! これにはわけが――」

「黙りさない!」

「人殺し!」

「これ以上、凛冬殿に災いを持ち込まないでちょうだい!」


 どん、という衝撃で均衡を崩し、花音は思いきり玄関の外にしりもちをついた。


「いたた……きゃあ?!」

 無様な格好の花音の前に、ばしゃ、と水が撒かれ、泥になって花音の衣に飛散った。


「汚らしい」

「罪人にはお似合いね」

「貧乏な試挙組のくせに調子に乗らないでよね」

「二度と凛冬殿へ来ないでちょうだい!」

 口々に冷たい言葉を放って、女官たちは立ち去った。


 汚れた水色の裙が滲んで見える。鼻の奥がツンとした。

「……濡れ衣なんかで、泣いてたまるもんですか」

 ぐっと唇をかみしめ、腕をさすりつつ立ち上がり、手拭で裙の泥を払っていると、玄関から人影が走りでてきた。


「璃莉さん……」

「じっとしていてください」

 璃莉は、懸命に裙の泥を払ってくれる。

「ありがとう璃莉さん」


 璃莉は小さく微笑むが、態度がぎこちない。

 でもそれは、他の女官たちのものとは違う冷たさであり、ぎこちなさのように思えた。


「璃莉さん、きのうのことだけれど」

「――私は花音ちゃんが蘇奈を殺したとは思わない」


 璃莉の硬い表情に、花音は言葉を止めた。


「南梓を襲ったとも思ってないわ。花音ちゃんがそんなことする理由がないもの。『宝玉真贋図譜』が落ちていたのだって、花音ちゃんとは関係ないと思う。だって、あの本は――」


 言いかけてハッと璃莉は口をつぐんだ。


「と、とにかく、私は皆のように花音ちゃんを疑ってはいない。でも、花音ちゃんが推測していることは受け入れられないわ」

「涼霞様のことですか?」

「…………」


 璃莉は花音に背を向け、歩き出した。


「あたしも、涼霞様が犯人だとは思ってません!」


 一瞬、璃莉が立ち止まる。


「きっと何か事情があるんだと思うんです! 璃莉さんも一緒に涼霞様に確かめに行きませんか? あたし、そのために凛冬殿に来たんです!」

「……花音ちゃんはきっと凛冬殿には二度と入れないし、涼霞様のことより自分の心配をしたほうがいいわ」


 低い声で言うと、璃莉は玄関の中へ走っていってしまった。


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