第十五話 男装の麗人・姜涼霞


「ほんっとうにすみません!!!」

 花音は目の前の麗人に、深く深く頭を下げた。


 ここは凛冬殿、客間の一室。

 黒檀の落ち着いた風合いも豪奢な部屋、その仮の主である姜涼霞に椅子を勧められた花音は、たまらず深々と頭を下げた。


 あの場において、不審者は完全に花音である。

 それを涼霞が、駆けつけた女官や衛兵たちに、「不審者は見間違いだった。白司書は、わたしが本のことでお呼びだてしたのだ」と説明してくれたので、事なきを得たのだった。

「疑った上に、助けていただくなんて」


 穴があったら入りたい。穴の中でダンゴムシのようにまるまってしまいたい。


「まったく気にしてないので、どうかお顔を上げてください」


 花音がおそるおそる顔を上げると、涼霞は花開くように微笑んだ。

 漂う雰囲気や出で立ちはきりっと凛々しいのに、微笑むと女性の優美さが一気に匂いたつ。

(こんな人、初めてだわ)

 思わず見惚れてしまっている自分に、ぶるぶると首を振る。


「さ、椅子にお座りになってください」

「はあ……」

 花音は絹張りの紫檀の椅子へ、ぎくしゃくと腰かける。


「さぞ驚かれたでしょう? 不審者と思って近づいたら、不審者よばわりされてしまって……」

 涼霞は快活に笑った。

「こちらこそ、驚かせてしまって申しわけなかった。後宮で私のような者が男物の袍など着ていては、男だと思われても仕方ない。白司書は正しい反応をされたのです。お気になさらず」

「いえ、そんなことは……」

「あらためまして、私は姜涼霞きょうりょうかといいます。袁家より、後宮へ納める玉柱の護衛で遣わされている者です」


(凛冬殿の女官たちが騒ぐはずよね)


 男装の麗人とは、まさにこういう人物のことを言うのだろう。

 とても長身なので、たしかに襦裙より袍がよく似合うのだろう。意志の強そうなきりりとした眉、琥珀色の切れ長の瞳は男性的だけれど、白皙の肌に線の細い端整な目鼻立ちは、女性の優美さを兼ね備えている。


「はい、お噂はたくさん聞いています!」

「あはは、あまり良い噂ではないでしょうね」

「そんなこと! 伝説の女性将軍で、とても麗しい方だってうかがってます!」


 姜涼霞のことで凛冬殿の三人組が盛り上がっていたことを思い出す。


「私も、あなたの噂は聞いていますよ、白司書」

「あたしの噂?」

「華月堂にはさまざまな憶測が飛び交っていて、後宮における数少ない娯楽施設の一つだというのに、怖くて誰も近付けなかったそうですね。それが、白司書が配属されたとたん、たくさんの人が訪れることのできる憩いの場所になったとか。凛冬殿の女官たちがそう申しておりますよ」

「そ、そんな」

「華月堂にあったという呪本を、見つけ出して殿下に献上されたそうですね。青の皇子と赤の皇子の御英断で、呪本は無事に天へ還されたとか」

「ええ……」

「あなたは、考えようによっては、戦場においての一騎当千の働きをされた。ああ、失礼、私は軍の出身なもので、つい無骨な例えになってしまって」

「いえ、そんな」

「後宮という場所においては、見えないモノ――幽鬼や噂や不安が太りやすい。それらが太ると、いずれ事件となって表面化する。その大元を断った功績は、とても大きいと思います」

「涼霞様のような方にそんなふうに言ってもらえて、とても光栄です」


 騎兵将軍にまでなった凛々しい女性にほめられ、花音はくすぐったくも誇らしくて頬が熱くなる。


 そのとき、訪いの音がして、部屋の扉が開いた。

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