第七話 月夜の想い
「月がキレイになったなぁ」
配架の手を休め、花音は華月堂の窓から夜空をのぞき見る。
「はあ……お月見団子、また食べたいな」
故郷の
それがとても美味しくて、花音が楽しみにしている村行事の一つであった。
「そういえば……父さんに、手紙届いたかな」
少し前、花音は父・遠雷に長い手紙をつづっていた。
七夕の頃、遠雷から「帰ってこい!」という怒りの手紙が届いたからだ。
嫁入りから逃げるため、本読み放題の理想郷を叶えるため、花音は一生に一度と誓って、父に嘘をついた。
嫁入り修行のために尚食女官になるはずが、尚儀女官、しかも華月堂の司書女官になったのだ。
それを白状したところ、遠雷がカンカンになって「帰ってこい!」という手紙を送ってきた。
もちろん年季があるのですぐに帰れるはずもない。遠雷も、それは承知だろう。
それだけ怒っているということだ。
花音としては、自分でついたウソとはいえ、男手ひとつで花音を育ててくれた遠雷の気持ちを思うと、今さらながら申しわけない気持ちで胸が張り裂けそうになる。
故郷に一人残した父に申し訳ない気持ちでいっぱいで、花音は遠雷に長々と手紙をつづったのだった。
「無事に手紙が届いて、父さんの怒りがおさまっているといいんだけど……」
怒ったはずみで李家の
後宮にくる前とは違う理由で、今は嫁入りから全力で逃げたい。
――生まれて初めて、心が震える人に、出会ってしまったから。
あの人のことを考えるだけで、時間がとまる。一緒に過ごした時間を思うと、甘い痛みに胸がしめつけられる。
この気持ちを抱えたまま他の人のお嫁さんになれる気はしない。
「もうっ……紅のバカ」
花音は、はあ、とため息をつく。
――おまえを、オレの専属司書女官に任命する準備ができるまで、負けないでほしい。
七夕の夜、紅はそう言った。
『専属司書女官』の意味が、わからないほど花音も鈍感ではない。
安易に妃嬪にしたい、と言わないところが、紅らしいと思う。
紅は紅なりに、身分の差から生じる困難をどうにかしようと、必死に考えてくれているようなのだ。
だからこそ、花音もあきらめきれない。
一人で冷静に考えれば、ぜったいに結ばれない恋だとわかりきっている。
でも、紅が好きだから、信じているからこそ、七夕の夜の言葉にすがってしまう。
堂々巡りに疲れて見上げれば、澄んだ夜空には純白の大きな月が輝いている。
「初めて会ったのも、こんな月の夜だったなあ……」
明るく大きな月を背景に立つ、月神のような端麗な姿に、しばし見惚れた。
その後、あれよあれよとドタバタがあって、見惚れるどころか紅をうらめしく思ったこともあったっけ。
あれは春のこと。
今の月は、秋の月。
夏は月より、星が美しかった。鹿河村で暮らしていたときは、鹿河村の星空がいちばん!と思っていたが、龍泉の都の星空も驚くほど美しい。きっと、晶峰山に近く、標高が高いからに違いない。
あの降るような七夕の星空を、紅と眺めたのだった。
紅の言葉も、伝わった声の響きも、触れた手や逞しい背中の感触も、きのうのことのように鮮やかに覚えている。
そして……。
「や、やだやだやだ! あたしったらまだ仕事中だし!」
「何がイヤなんだ?」
声に驚いて、振り返る。
いつの間にか華月堂の扉に、人影があった。
月明かりの下、動きやすそうな細めの下衣に、紅緋の上衣。
まるで月から降り立ったような美しい立ち姿が、近付いてくる。
「紅……!」
「ん? 顔が赤いぞ。どうした? 体調でも悪いか?」
花音の額に触ろうとした手から全力でとびのく。
「だだだだ大丈夫だから! すっごく元気だから!」
まさか七夕のときのあれやこれやを思い出している今まさに、その相手が目の前に現れるとは思ってもいなかった花音だ。
(どどどうしよう、まったく心の準備がっ)
紅は花音がとびのいた勢いに少し驚きつつ、
「元気……まあ確かに元気そうだが、ねんのため――」
再び花音の額に触れようとする。
花音は持っていた本を書架に入れるフリをして、紅から遠ざかった。
「ほんっとうにだいじょうぶ!ほら!この通りもりもり仕事してるし!」
「でも赤いぞ、顔」
「く、暗いから見間違いでわ?!」
「……今宵は満月で、けっこう明るいと思うが?」
「う……とにかくまだ仕事中なんで!」
近付こうとする紅から逃げているうちに、いつの間にか蔵書室の奥の書架まで追い詰められてしまった。
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