第十一話 暗赫の亡霊


「ようこそ、白司書。お久しぶり、というべきかな」


 内侍省の取調室で花音を待っていたのは、若い男だった。

 一筋だけ落ちる前髪を丹念になでつける仕草が、奇怪な絡繰り人形を思わせる。

 薄暗い部屋に浮かび上がるその白いおもてを見た瞬間、花音の背筋に冷たいものが走った。


蠟蜂ろうほう様……」

「ほう、我が主の名を貴女あなたの口から聞くのは光栄でもあり、悲しくもある」


(この人、蠟蜂様の部下だったんだ……!)

 楽面がくめん顔の中、細い双眸だけが鋭利な刃物のように鋭く光る。

 その冷ややかな視線を見て、花音は悟った。

 

(この人は、あたしを恨んでいるんだ)


 蠟蜂は『花草子』をめぐる清秋殿せいしゅうでんの陰謀に加担して、皇宮追放となった。身から出た錆である。

 しかし、暗赫あんかくの者たちはそう思っていないだろう。

 おそらく、蠟蜂の追放と暗赫の解体は、花音が元凶だと思っているに違いない。


「どうぞ、お座りになられよ。私は貴女の取り調べ責任者、冥渠めいきょと申す」


 冥渠が片手を上げると、立っていた補佐官が机の上に荷物を置いて、冊子を開き、日付を書く。取り調べを記録するようだ。

 花音は補佐官に促され、小さな椅子に座った。金属でできているからか、座るとひやりと冷たい。



「では、はじめる。貴女は、華月堂の司書女官、白花音殿で相違ないか?」

「はい」

「昨夜、凛冬殿りんとうでんにて蘇奈そなという女官が遺体で発見された。状況から、自死と殺人と両方の線で調べている――と表向きにはそうなっているが、我々は殺人だと思っている。そして貴女は、現在もっとも有力な容疑者である」

「そんな! どうしてあたしが蘇奈さんを殺さなくちゃいけないんですか?!」


 わかりきったことだが、花音はつい大きな声を出してしまう。

「あたし、そんなひどいことしてません!」


 しかし冥渠めいきょは、微塵も表情を変えずに淡々と言葉を続ける。


「白司書は日頃から、蘇奈と面識があったそうですな。きのうも、華月堂へ来た蘇奈と話をしていたと、周囲の女官から聞いている。何の話をされたのですかな」

「本の話を……蘇奈さんが書架から選んだ本のことで、話しをしました」

「ほう、それは、この本ですかな?」


 冥渠は、補佐官に合図する。補佐官が机の上に置いた布包みを広げた。

 花音はそれを見て、思わず声を上げる。


「『宝玉真贋図譜ほうぎょくしんがんずふ』!」

「これは華月堂の本だとか?」

「はい。まちがいなく華月堂の本です。紛失していたので、探していたんです。お返しいただけますか?」

 冥渠が鼻で笑った。

「あいにくですが、重要な物的証拠なのでお返ししかねますな」

「そんな! 華月堂の本なんですよ? もちろん事情はわかっていますが、その本を読みたい人がたくさん待っているんです。だから返してください!」

「紛失していたと言うが、貴女が隠し持っていたのでは?」

「なっ……」


 冥渠の突拍子もない言い草に、花音は言葉を失う。


「医官の話では、蘇奈の死亡推定時刻は酉の初刻から戌の正刻あたり。つまり、終業の鐘が鳴った直後。その時間、貴女はどこにおられた? 女官寮には帰っていないようだが?」


(どうしてもあたしを犯人にしたいのね……!)

 花音は唇をかむ。

 蘇奈があんな風に亡くなっていたことにとても衝撃を受けたし、とても悲しい。

 それなのに、自分が疑われるなんて。

(でも……ぜったい負けない!)

 身に覚えがないのだから、堂々と事実を話せばいい。花音は毅然と顔を上げた。


「華月堂に残って、仕事をしていました」

「内侍省が後宮に通達している規則では、終業の鐘が鳴り次第、近侍女官と尚食女官をのぞき、女官はすみやか女官寮へ帰るべし、となっているはずだが?」

「上司からのめいで、残っていました」

「なるほど、上司からの命、ねえ」


 細い月のような目の中で、きらりと眼光が動く。


「白司書が上司の命通りに、華月堂で残って仕事をしていたことを、証明できる人物はおられるか?」

「しょ、証明って」

「おられるのかな?」

 繊月のような細い目が、花音をじいっと見据えた。


(いるけど……いるけどっ)

 ここで、紅のことを言う訳にはいかない。

 紅に迷惑がかかることは絶対に避けたい。



「そ、それは」

「おられないのですな?」

「は、い……」

「ということは、犯行時刻の白司書の行動を、誰も証明できない、ということですな」


 冥渠は勝ち誇ったように口の端を少しだけ上げた。


「では、このまま事件の調査を進めていきます。犯人が確定するまで、白司書も容疑者のひとりとして扱いますれば、ご承知おきを」

「そっ、そんな! むちゃくちゃです、どうしてあたしが……あたしの他にも、夜に後宮内での行動を証明できない人なんて、たくさんいるはず――」


「ひとつ!貴殿は蘇奈と交流があった!」


 突然、冥渠が声を張り上げた。


「ふたつ! 遺体のそばに華月堂の本が落ちていた。みっつ! 蘇奈の死亡推定時刻の貴殿の行動を裏付ける者は存在しない。そして! 遺体が発見された直後、貴殿は遺体のそばにいた!後宮内に容疑者たる条件をこれだけ持つ者は他におらぬ!」

「…………!」

 たしかに、冥渠の言っていることはすべて事実だ。


(でも……でも!)

 じれったく思いながらも反論できない花音に、冥渠は勝ち誇ったように言った。

「今日のところは、お引き取りを。


 補佐官に促され、花音はよろよろと立ち上がった。

(どうしよう、あたしが罪人に……?)

 途方に暮れる花音の背中に、冥渠の囁きがそっと突き刺さった。


「――必ず、償わせてやりますよ。蠟蜂様を追放に追いやった、その罪を」


 花音は思わず振り返る。

 ゾッとするほど蠟蜂に酷似した楽面のような顔が、にたり、とわらった。

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