第二十二話 『宝玉真贋図譜』はどこへ?



「『宝玉真贋図譜』が無くなったですってぇ?!」

 内侍省の取次室に伯言の絶叫が響いた。


「申しわけございませんっ」

 取次の若い宦官はひたすら床に額をつけて謝る。

「あやまって済む問題じゃないわよっ!! ていうか内侍省で保管した重要証拠品がなくなるなんて前代未聞よっ!! 職務怠慢よっ!!」

 と責めたてつつ、伯言は「ははあ」と思っていた。


(これで後宮内部に犯人がいること確定だな)

 心で冷めた目をしつつ、怒り心頭という態度で怒鳴る。

「いつ無くなったのよ?!」

「は、はい、あの、その、鳳殿が帰られたあと、ね、ねんのため保管庫を確認してから寮へ帰りましたので、終業直後まではあったのかと……」

 宦官はしどろもどろに答える。


(ということは『宝玉真贋図譜』が盗まれたのは昨日の夜から今朝にかけて。その間、後宮の各御門は固く閉ざされる。明らかに後宮で起居する者の犯行だ……ん? 待てよ?)

 伯言はまだ平伏している宦官の前にかがんだ。

「ねえ、なんで急に証拠品を確認したわけ? あたしが来たからってわけじゃないでしょ?」

 手抜き仕事大好きの内侍省宦官が、伯言が来たからと言っていちいち証拠品を確認するはずがない。

「誰かに何か、言われたのかしら?」

「そ、それは御勘弁を……」

 伯言は扇子をそっと、宦官の首根っこに当てた。

「隠さないほうがいいわよ? 本当のことを言わないなら職務怠慢の件、御史台に訴えるわ。ここがつながるか離れるかの瀬戸際ってこと、わかるわね?」


 上品ながらも凄みの効いた伯言の言葉に、宦官は半泣きで叫んだ。

「ひえええ! 後生ですから御史台にだけはっ」

「じゃあ言っておしまい!」


 さては暗赫の生き残り・冥渠に何か指図されたか、と疑った伯言だが、宦官は意外なことを言った。


「ううっ……じ、じつは、鳳殿が帰られたあとで、さる御方がこちらへいらっしゃいまして、どうしても『宝玉真贋図譜』をお借りしたいと」

「な、なんですって?! あなた、それで貸しちゃたってこと?! 殺人かもしれない事件の重要証拠を?!」

 宦官はがっくりと項垂れる。

(さてはまいないをもらったな……)

 宦官のいい加減さに呆れて言葉もない。

「……それで? 誰に貸したの?」

「それは御勘弁を……」

「御史台」

 宦官の背筋がしゃきっと伸びた。

「はいっ。凛冬殿に御逗留中の、姜涼霞様ですっ」

「なんですって?」


 伯言の脳裏に、昨日すれちがった爽やかな後ろ姿が蘇った。





 凛冬殿に急ぎながら、花音の頭の中には思考が入り乱れていた。



 璃莉の言う通り、後宮で玉の密売が行われているのだとしたら?

 そして、凛冬殿の宝物庫に、銀子100000枚分の価値があるかもしれない玉が置いてあるとしたら?


 当然、密売に関わっている人物は警戒するだろう。宝物庫を厳重に見張るのではないだろうか。

 そして、そこに璃莉、蘇奈、南梓が忍びこんできたら「密売のことに勘付かれた」と思ったとしても不思議ではない。


「そうだとすると、その人物は蘇奈さんの死に関わっている可能性が高い。でも璃莉さんは、忍びこんだ夜に遭遇したその人物のことを


 あのときは何も思わなかったが、よくよく考えればおかしい。

 言うほどでもない人物だったから? たんに言い忘れていたから?

 そうではない気がする。


「璃莉さんは、何か隠していたみたいだった。もしかして、宝物庫で遭遇した人物のことを話さなかったのだとしたら……」


 璃莉は、その人物のことをかばっているのだろうか?


 その人物のことは『宝玉真贋図譜』の貸出記録を調べれば割り出せそうだが、今は璃莉に直接、その人物のことを聞きたかった。貸出記録はその裏付けになればいい。


 それに貸出記録は逃げないし、危険にもさらされない。



 しかし、蘇奈が密売に関わっている人物に殺されたのだとしたら。

 璃莉と南梓も危険な状況におかれているのでは?



 ただの推理だ、と思っても、不安がどんどん花音の中で大きくなっていく。

 冥渠が花音を殺人犯に仕立てようとしているからだ。

 いくら内侍省とはいえ、自死を殺人と断定するのは難しいだろう。蘇奈が殺されたという確信がなければ、そもそも冤罪も作れない。


 ということは、蘇奈が殺されたことは確実。

 そして、おそらく行われているであろう玉の密売。それに関わっている人物が蘇奈を殺した可能性がある。

 そして、その人物を璃莉は庇っているかもしれないのだ。



「お願い、二人とも無事でいて……!」


 花音は唇を引き結ぶ。華月堂から凛冬殿まではそう遠くないが、道のりがもどかしい。

 そして、嫌な予感ほどよく当たるものなのだった。


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