第三十話 男装の麗人は想い人のために
凛冬殿、客間の一室。
涼やかな麗貌に焦燥を浮かべ、涼霞は部屋中の抽斗や少ない私物をひっくり返していた。
内侍省から苦労して持ち出した『宝玉真贋図譜』が見当たらないのだ。
あの本は、今回の事件とあの件を解くカギだと思った。
だから内侍省の宦官に
書き物机の抽斗か、寝台の枕の下。
涼霞は『宝玉真贋図譜』をそこに隠していた。それが無くなっていたのだ。
「誰かが持ち去ったのかもしれない」
凛冬殿の奥にあるこの部屋に入れる者は限られている。掃除の女官や、お茶やお菓子を運んでくれる女官くらいだ。
あるいは、強硬な手段でここまで入ってこられる者。
「そちらの可能性が高いな。だってまさか、璃莉がそんなことをするはずがない……」
このところ、お茶運びは璃莉であることが多かった。
「璃莉……」
たおやかな秋桜のような姿が、脳裏に浮かぶ。
璃莉が、他の女官に交渉してお茶運びに立候補してくれていることを涼霞は知っていた。
璃莉が自分を見る目に、熱を帯びていることも気付いている。
そんな璃莉を可愛らしいと思う反面、璃莉にそんな気持ちを抱くことに後ろめたさも感じた。
「どうかしている、私は……こんなふうに想ってはいけないのに」
涼霞は、袁家での護衛の任期を終えれば、嫁に行くことが決まっている。
地元の長・袁家と実家が取り決めた政略結婚ゆえ、断ることは許されなかった。
なのに璃莉がうれしそうに話しかけてくれるほど、璃莉に惹かれてしまう。
だからなるべく、接しないようにした。
けれど、どうしても気持ちを押さえられず、北からの土産にと、簪を渡してしまったのだ。
璃莉はとても喜んで、すぐにその簪を付けてくれた。
そんなところがいじらしく可愛らしく、涼霞の中で璃莉の存在がどんどん大きくなってしまっている。
そしてそんな璃莉の身を、涼霞は案じていた。
「璃莉……まさか、あの夜できなかったことをやろうと思っているのでは……」
璃莉たち三人は『宝玉真贋図譜』で、あの件の真偽を確かめようとしている――。
あの月夜の晩、宝物庫に璃莉たち三人がいたのを見て涼霞は焦った。
蘇奈が『宝玉真贋図譜』を抱えていたのが決定的だった。
しかし、あの件が涼霞の想像通りだとしたら三人の命が危うい。
そう危惧しているところで、蘇奈が殺された。
即座に涼霞は、璃莉を守らなくてはと思った。
だから危険を冒して内侍省から『宝玉真贋図譜』を持ち去り、調べたうえであの御方への切り札にしようと考えていた。
なぜだか自分を気に入っているらしいあの御方に頼みこみ、璃莉の命を救う交渉をするつもりだったのだ。
運んでくる荷の中身を知っている涼霞は、その切り札になり得る証拠を『宝玉真贋図譜』からすでに読み取っていた。
あとは交渉、と思っていた矢先、南梓が襲われた。
しかも、蘇奈と南梓を襲った犯人が、華月堂の司書女官、白花音ということになっていた。冥渠という内侍省の武官がそう言ったのだと、女官たちから聞いていた。
「白司書に申し訳ない……」
なぜだか、冥渠は花音に罪を着せようとしている。
冥渠はしばしばこの凛冬殿で見かける、あの御方とつながりがあると以前より涼霞が目を付けていた宦官だ。
元・武官である涼霞でさえ、ゾッとするような殺気を常に隠しもっている。
身のこなしも普通の宦官ではない。
もし『暗赫』の一員だったのだとすれば、暗赫解体につながった事件を解決したという白花音を目の仇にしているのかもしれない。
昨日、あの草むらで振り向いたときも、尋常ではない様子だった。
冥渠の前に倒れ込んでいた南梓を見たとき、冥渠がやったのだと涼霞は直感した。だから追ったが、見失ってしまった。
『宝玉真贋図譜』を持ち出したのも、おそらく――。
「南梓にそれを、確かめなくては」
涼霞は太医署へ向かった。
♢
「やけに静かね……」
花音は、南梓が収容されている部屋へ向かっていた。
いくつもの棟が連なる太医署は後宮の北に当たり、後宮の中心部からは遠い。
周囲には薬草園があるばかりで、用事がなければわざわざ足を運ぶ者もいない。
それにしても静かすぎた。
花音は以前、伯言のお使いで薬草園には行ったことがあり(二日酔いに効く柿の葉茶を取りに行かされたのだった)、太医署で薬草園のことを訊ねたこともあったが、そのときにはここまで静かではなかった。
もちろん、怪我人や病人が収容されたり薬を作ったりする場所なので、後宮とは思えない静寂はある。が、しかし、以前に来たときは白衣姿の医官や薬師が行き交っていたし、荷を運んでくる人足や薬草園に向かう役人など、人通りはそれなりにあった。
この静けさは、まるで意図的に人払いされているかのような静けさだ。
「まさか。気のせいよね」
しん、とした廊下を歩く。沓音がやけに響いた。
見れば、開いた扉の向こうには寝台に横たわる人影がぽつぽつとある。時折、苦しそうなうめき声や荒い息遣いが聞こえてきた。
花音は、できるだけ沓音を立てないように歩いた。
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