第一話 月夜の悪戯


 白い月明りの下、ごくごく薄い紫のお仕着せ姿が三人、荷の積まれた部屋の中を忍び足で進んでいた。



「ねえ、蘇奈そな……やっぱり戻りましょう。叱られるわ」

 ほっそりとした女官が言う。結った髪にはゆるふわとクセがあり、たおやかな秋桜コスモスを思わせる風情だ。


「ここまできて何言ってるのよ、璃莉りり

 返したのは、三人の真ん中で灯火石とうかせきの燭台を持つ、小柄な女官だ。


「いっつもわたしたち下っ端女官をイビってくる、あの憎たらしい欣明きんめいを見返してやりたくないの?」

「でも……」

「大丈夫、見つかりっこない。ここは宝物部屋なんだから、欣明はともかく、荷の運ばれる日以外、人の出入りはないでしょ?」

「欣明様と鉢合わせたらどうするのよ?」

「そのときはそのときよ。厠にきたけど、暗くて回廊を間違えましたとでも言えばいいわ」

「もう、蘇奈ったら……」

「ねえねえ、なんかここ、気味悪いよ」


 三人の中ではいちばんふっくらと大柄な娘が、きょろきょろしつつ言う。



「もう、南梓なんしは臆病なんだから」

「だってそこに置いてある動物みたいなお面とか、今にも動きそう……異国の物かな。不気味だよ」



 格子窓から差し込む月明かりに照らされた周囲の棚には、絹の反物、塗箱、その他細かい装飾品を入れた木箱に混ざって、異国渡りのお面などもある。

 蘇奈が、そのお面の傍に近付いた。



「ちょっと蘇奈! やめなよ、そんな気味の悪いお面に触るの」

「こういう、誰も触りそうにない物が怪しいでしょ? いかにも隠し物をしそうじゃない」


 蘇奈は、ぱっとお面を持ち上げた。


「うーん、残念。ハズレかあ」

「ねえ、やっぱりただのウワサなんじゃない? 欣明様が、異国のお菓子をネコババしてるなんて」


 欣明は凛冬殿近侍りんとうでんきんじ次官の一人だ。

 凛冬殿へ入ってくるさまざまな品物の管理をしており、厳しくてドケチで嫌味、と三拍子そろっている嫌われ者だ。


 そんな欣明が、夜中に宝物部屋でこっそり異国のお菓子を食べている――そんな噂が、近頃、凛冬殿りんとうでんの女官の間でまことしやかに囁かれていた。



 その真相を確かめに、三人は宝物部屋へやってきたのだ。



「いくら欣明様でも、冬妃様に送られてきた品を隠れて食べるなんて畏れ多いこと、しないと思うのよね」

「やあね、知らないの璃莉りり? 宝玉と甘い物は女を狂わせるって諺にもあるでしょ」

「そんな諺、あったかしら……?」


 璃莉は可憐に小首を傾げるが、蘇奈は決めつけるように畳みかける。


「とにかく! 欣明はああ見えて、甘い物に目が無いんですってよ。これは欣明にいつもお茶を運んでいく子に聞いた話だから確かな情報だわ。だったら、異国渡りの珍しいお菓子に目がくらんで、思わずネコババしてこっそり食べてても不思議じゃないでしょう?」


 すると南梓が神妙に頷いた。


「うんうん、欣明様のことは嫌いだけど、その気持ちはわかる。私も冬妃様がお菓子をくださるとき、もっとたくさんいただけたらなあ、って思うもん」

「もう、南梓ったらなんかズレてる」

「というわけで、そこにある塗箱の中とか木箱の中とかも探しましょ。封の開いたお菓子が見つかったらしめたものだわ」

「食べかけのお菓子を見つけて、どうするのよ?」

「ふふっ、あたし、もうすぐ宝物部屋のお掃除当番なんだ」


 この棟は、凛冬殿の外れにあり、普段は使わない物をしまっておく倉庫、厠などと共に、宝物部屋がある。

 ゆえに掃除は、殿舎の他の場所とは違って毎日ではなく、当番で回ってくるのだ。


「そのときに懐に隠して持っていって、宝物部屋のお掃除をしたフリをして、『ああっ、食べかけのお菓子がここに! なんでかしら!』って大騒ぎするの。欣明のやつ、きっと焦るに違いないわ!」

「そんなにうまくいくかしら……?」

「なんだか見えすいてるけど、それで欣明様をギャフンを言わせられるなら、スカっとしそう。ついでに、その食べかけのお菓子、もらいたいなあ」


 物欲しそうな南梓のふかふかした肩を蘇奈がぽんぽんと叩いた。

「はいはいわかったわよ南梓。どさくさに紛れてもらってきてあげるから、今は動かぬ証拠を早く見つけるのよ」


 三人は、しばらく棚の上の品物をひっくり返したり開けたりしていたが、


「――あれ?」

 蘇奈が、南梓と璃莉を振り返った。

 手には、一冊の本を持っている。

「ねえ、この本って」

「あっ、それ、みんなが好きな本だよね」


 蘇奈の手から本を受け取ろうとした南梓が、あれ、と言った。


「なんか、本から落ちたよ」

「――しっ、誰か来るわ」


 蘇奈と南梓のうしろで、璃莉が目を見開く。


「こっちに来るわ」

「えっ」



 蘇奈は本を抱え、南梓はオロオロとその後ろにくっつき、璃莉が本から落ちた紙を急いで拾った。



「えっ、ウソっ、足音が近付いて来るよ!」

「どうするのよ蘇奈そな! 私叱られるのイヤよ、オヤツ抜きになっちゃう」

「とにかくどこかに隠れないと」



 三人は、積まれた荷の影に隠れようとしたが――部屋の扉が開いたほうが速かった。



(まずい!)

 扉を開けた人物は、部屋の中で身を寄せ合っている三人に手燭をかざす。

 その灯りの下、三人は目の前に現れた人物を見て胸をなでおろした。


「ここで何をしている?」

 その人物の問いに、三人は顔を見合わせた。


「えっと……その、今日、函谷県かんこくけんからきた荷をお運びするのを手伝っていたとき、かんざしを落としてしまったんです。荷に紛れてないかと思って、探しにきました」


 見事なその場しのぎがスラスラと言えたのも、目の前の人物が心許せる人物だからだろう。


「なるほど。わかった。簪は見ておこう。そなたたちは、もう部屋へ戻れ」

「はい」

「それからこの部屋へは、許可無く立ち入ってはならぬと申しているはず。ちょっとした探し物でも、だ。今回は見逃すが、他の女官の手前、このことは他言無用にすること」

「はい!」

「次からはこのようなことのないように」

「申しわけございません」



 三人は深々と頭を垂れ、逃げるように部屋を後にした。



「ほらっ、見つかっちゃったじゃない」

「でも大丈夫だったでしょ」

「あんまり大丈夫じゃないわ。心臓がいくつあっても足りないわよ。早くお菓子食べてお茶飲みたいよ」

「もう、南梓ってば、食べることばっかり」



 ホッとしながら回廊をそそくさ去っていく三人の女官は、気付かなかった。

 自分たちをじっと見ている、白刃のような鋭い目があることを……。



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