第38話 事前
トイレから戻ってくると、
さっそく内部の事前打ち合わせが始まった。長テーブルに影武者首相リシャール・カプレが座り、その左右にマルヴィナ、ディタ、クルト、対面にヨエル、ニコラ、ミシェル、ピエール。
「申し訳ないが、あまり時間がないのでストーリーの作成、エージェントとの交渉、和平交渉の三つの議題を同時に進行させてくれ」
秘書が三人入ってきて、それぞれの前にフルーツジュースと炭酸水とアイスコーヒーの入ったカップを置いた。
「まず、ストーリーなんだけど、どれくらいでできるのかを知っておきたいんだが」
とリシャールがクルトとディタのほうを向いてジュースのカップに口をつけた。
「一般的に、平均で一人の担当者が一日に書けるストーリーの量はだいたい三千字、ページ数にすると三ページとされているんだ。あとはどれくらい修正を追加するかだな」
というクルトの言葉にディタもまじめな表情でうなずいた。
「わかった。なるべく追加修正の量も減らす方向で進めたいんだが……」
「そうすると、一本道のストーリーにするしかないだろうな。たいていは、あらゆる事態を想定して複数のストーリーを一冊に入れ込むんだけれど、決め打ちにしておけば修正量もかなり減るよ」
とクルト。
「もちろんその場合、想定外のことが起きればまた追加修正になるというリスクもあるわ」
とディタ。
「おれがプロットを練って」
「わたしが本文を書く」
「なるほど。では、できる限り確度の高いストーリーを決め打ちで書く方向で進めよう。おおまかな流れとしては、国外の者から国を買い戻し、同時に首都防衛の準備をしつつ外国勢力との講和も進めると」
そこでリシャールがピエールのほうを向いた。炭酸水をひとくち飲む。
「ではピエール、買い戻し交渉についてだが、今のところ相場は二兆ゴンドルピー前後だと僕は考えている」
「二兆ゴンドルピー!?」
マルヴィナが一度口に含んだ炭酸水をぷわっと吹き出した。
「し、失礼しました……」
台拭きをもってきて拭く。
「どれぐらいで用意できるかな?」
「今の金の価格が一トンでだいたい一億ゴンドルピー。そうすると、二万トン。もしここまで輸送する必要があるとすると、六頭立て馬車が運べる量が十トンだから、二千回分。錬金して輸送が完了するのに、やはり二十日はほしいな」
「なるほど」
だが、とリシャール。
「当然値段交渉なので、できる限り値切ろうと思っている。仮に十分の一の二千億ゴンドルピーまで値切った場合はどうかな? しかも、どうせ渡した金塊は国外に運び出すだろうから、ムーア市の現地で彼らの輸送手段で受け取りにする、つまりここまで運ぶ必要はないとすると……」
「それならば、二千トンだから鉄屑や瓦礫を錬金所に集める時間を考慮して二日ないし三日あれば向こうで、ムーア市内の錬金所で用意できるだろう。ちなみに、今回は馬車に一トン分だけ金塊を積んできている。交渉時に見せられるし、前金として渡すこともできる」
ピエールは即座に自信満々に答えた。
よろしい、とリシャールも満足げだ。
「そこでマルヴィナ君」
リシャールがマルヴィナのほうを向きつつアイスコーヒーを一気に飲み干した。すぐに秘書が入ってきて別のコーヒーカップを置いていく。
「マルーシャ女王との講和の話についてだが、今回戦力分析の報告を見てもおそらくアショフ共和国はローレシア連合軍に負ける。したがって、早めに講和したいと思っているんだが、つまりその、講和金はどれぐらい必要になるかわかるかい? だいたい国家予算の何割かになると見ているんだが……」
「うーん、いらないんじゃないかな?」
「う……ん? 講和金がいらないだと?」
「ええ、わたしが頼めばたぶん大丈夫よ」
ふうん、大丈夫か、と半信半疑であまり納得していないリシャール。
「それともうひとつ、先ほどの値段交渉の話とも関係してくるが、裏で講和を成立させつつ、表向きは軍事的圧力が強まったほうがこちらとしては都合がいい気がするんだ」
「なるほど、そうすれば戦争に負けそうな状況を利用して値切れるってわけだな」
とクルト。
「クルト君、そのとおりだ。で、マルヴィナ君、そんな高度な駆け引きは可能だろうか?」
とリシャールが鋭い目つきでマルヴィナを見つめた。
そのとき、外から一匹の蝿が迷い込んだのだろうか、ディタのまわりをブンブン飛び回ったので、ディタが迷惑そうに手で払った。
「そうねえ、わたしが頼むまでもなく、マルーシャ女王もすでにそのつもりかもしれないよ。つまり、アショフ共和国が出資者で成り立っていることも知ったうえで、軍隊を送り込みつつも攻め込まないで済ましてくれるってこと」
「なんだと? すでに把握して先を読んでいるのか!?」
と驚きを隠せないリシャール。
「そう、影武者だったわたしと違ってマルーシャ女王はとても頭がいいし。わたしたちの行動や状況も逐一監視しているかもしれないわ」
「なるほど……、本人が有能という珍しいパターンか。それは我々共和国としては恐ろしい話だな。よし、じゃあとにかく講和は可能ということで話を進めよう」
とリシャールがあらためてクルトとディタのほうを向いた。
「そういう感じで、国外勢力との講和の話を進めつつ、その軍事的圧力を利用して出資者からできる限り国を安く買い取る、というストーリーを書いてほしい」
「わかったよ。さっそくこの会議室を使って作成を開始しよう」
とクルトとディタ。
「僕たちも手伝うよ」
と手すきのヨエルとニコラとミシェルがなにかと手伝うことになった。すると、
「ひとつ伝えておきたいことがある」
とピエールがリシャールに告げた。なんでしょうとリシャール。
「実は、正直に話すと我々も共和国の外からきた人間なんだ。君はどうやら国外の出資者から国を買い戻したいようだが、厳密にいうと我々も国外の出資者になってしまう。そこが少し気になってね」
その言葉に、それは困ったなと腕組みしたリシャール、やや考えたあとに思い切った表情になってピエールを見た。
「こんなに図々しいお願いをして申し訳ないんだが、今の出資者から買い戻したあとに、我々に自治権を認めてもらえないだろうか? いや、無理を承知でお願いしているんだがこのとおり……」
手を合わせて頼んでくるリシャールに、ピエールがマルヴィナのほうを見た。炭酸水とコーヒーを交互に飲んでいたマルヴィナ、
「自治権? わたしは別にいいけど……」
「べ、別にいい!?」
その日一番驚いた顔のリシャール。
「自治権というのは、我々に好きに政治をやっていいという権利になるのだが……、お金を出した意味があまり無くなるのはいいのかな」
と言うリシャールに、別にという顔のマルヴィナと、わたしもいくらでもお金を生み出せるから問題ないという顔のピエール。
「マルーシャ女王に確認などしなくていいのか? 君たちの資本がどこから来ているのかあまりよくわかっていないが……」
「うん、わたしが決めればたぶん大丈夫だよ」
そういうものなのか、とやはり半信半疑のリシャールだったが、
「よ、よし、では打ち合わせる内容はこれでいいでしょう。午後からはどなたかいっしょに交渉に参加してもらいたいのだが……」
「わたしが出よう。すぐムーア市に戻って錬金を進めたいのもあるが、一度交渉の場に入って状況を認識したい」
とピエール。
「わたしも出ようかしら。ストーリーのチェックもしたいところだけど」
とマルヴィナ。
「出来上がったらわたしが持っていくよ」
とディタ。
「マルーシャ女王との連絡はどうする? とりあえずぼくが早馬でムーア市に戻って、ボブが来たらすぐこちらへ来るように誰かに伝えるのがいいと思うんだが」
とニコラが立ち上がった。
「そうね、お願いできるかしら」
とマルヴィナ。リシャールがパチンと指をはじくと、若い衛兵が部屋に入ってきた。
「この方に早馬の準備を頼む。この首都で一番早いやつだ」
衛兵は返事をして、すぐにニコラといっしょに部屋を出て行った。
「では、少し早いがお昼にしましょう」
と懐中時計を取り出して見たリシャール、パンパンと手を叩くと、秘書たちが昼食をトレイに載せて部屋に入ってきた。
ストーリーの作成のために水晶器が手際よく準備されていき、午後からの打ち合わせを想像して、不安感が高まってくるマルヴィナだった。
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