第23話 人質
週明け。
マルヴィナが出社すると、七階のフロアがやや騒然としていた。
「何かあったのかな?」
会議室のあたりにすでにひとが集まっており、マルヴィナの机の周辺も誰もいない。
人だかりに行ってみると、
「あれ、ディタがいる!」
顧客部のお偉いさんたちが座る前に、トイレモジュールの課長とディタが並んで座っていた。
「このたびは、たいへん申し訳ございません」
トイレ課長が謝罪し、ディタが両目の下に大きなクマを作って、いっぽうで体を小さくしている。
「どうしたんだろう?」
マルヴィナが見ていると、
「顧客先には、この担当者を向かわせます。顧客部からはどなたがいっしょに人質に行かれますか?」
トイレ課長が尋ねた。
それに答えたのは、すぐそばに立っていたマダコだ。
「ここはぼくが行きたいところだが、ぼくはここで修正版のチェックをやりたい。うちの担当者に行ってもらおう」
とキョロキョロと誰かを探しているようだ。そして、
「マルヴィナ君!」
マダコが叫んだのでそこに注目が集まり、マルヴィナが突然のことにドギマギした。
「君に人質に行ってもらう。さっそく準備をしてくれ。化粧は人質用化粧丙七五三の二でいこう。ショムさん、来てくれるかな?」
マルヴィナがディタの横に座らされて、ショムという女性がやってきた。手に化粧道具だ。
「おはようマルヴィナ」
二人が同時に化粧を施されながら、ディタが元気なくマルヴィナに挨拶した。元気がないうえに、前よりも痩せて見える。
「あなた、大丈夫? それより、これから何が始まるの?」
「先週出荷した業務物語三〇〇〇に問題があって、これからお客さんのところに人質として謝罪と説明に行かないといけないの」
「え、わたしも行くの?」
突然の話だが、状況的に間違いなくそのようだ。
「え、どこのお客さんなの?」
なにか確認したいことが山ほどある。人質という言葉も気になる。
「中流区にある影武者ギルドよ。わたし、顧客先なんて初めてだし、とっても不安だわ」
だが、マルヴィナは影武者ギルドと聞いてなぜか少しホッとした。
「あなた、こんな緊急事態でも落ち着いているのね」
と感心するディタに、それほどでもないわと答える。
「はい、終わったわ」
二人の化粧が完了し、ショムが手鏡を見せてきた。目の下を黒く塗って、わざと病的で具合が悪いように見せる化粧のようだ。
「これで大丈夫よ、お客さんもこっちが頑張ってると思ってくれるわ」
そう太鼓判を押した。
そして、荷物を持ってディタとともに移動する。建物の外に出ると、すでに移動用の二人乗りの人力車が待機していた。そこに急いで乗り込み、
「中流区の影武者ギルドまで飛ばしてください」
とディタが告げた。
大急ぎの人力車はあっという間に上流区から中流区の影武者ギルド建物前に到着した。
その建物に二人で飛び込むと、守衛室からおじさんが出てきた。
「やあやあ、ストーリーギルドの方かな? わたしが影武者ギルドのギルド長だ」
「このたびは誠に申し訳ございません」
とディタがさっそく謝罪した。おじさんは、奥の部屋へ通してくれた。
「ささ、座ってどうぞ」
おじさんは奥の部屋から三人分のお茶を汲んでトレイで持ってきた。そして、椅子に座ろうとして、また立ち上がって出ていき、お菓子の袋を持って戻ってきた。
「今回はどういった問題で?」
お菓子を食べながら、ディタが聞いた。
「いやあ、影武者先で影武者のひとりが問題を起こしたらしくてね。それで、業務物語の新しいやつ? それで対応を確認しようとしたら、その問題に関する記述が無かったっていうんだよ。それで立ち往生しちゃってね」
とおじさん。
「なんでも、訪問先のバスルームの中に置いてあった少し大きめの金魚鉢をひっくり返してしまったらしいんだ。だけど、その場合にどうしたらいいかのストーリーがなくて、それで影武者業務がストップしちゃったって」
そんなのその場の機転でなんとかすりゃあいいのに、と思うんだけどねとおじさんが付け加えた。
「はあ、なるほど」
とディタ。
「修正版の本が届くまではわたしたちが人質になりますので、しばらく待っていただけますか?」
というディタに、
「君たちもたいへんだね」
とおじさんも答えた。すると、
「すみません」
とギルドの建物に誰かやってきたようだ。おじさんが出ていって、もう一人おじさんを連れて入ってきた。
「ご苦労様です」
入ってきたのは、顧客部の課長のスキンヘッド眼鏡だった。
「わたしが対策本部に状況を伝えます」
どうやら連絡係をやるようだ。ディタが問題の詳細をスキンヘッド課長に伝えた。
「では至急、追加修正版を作りますのでそれまでお待ちください」
スキンヘッドは影武者ギルド長にそう伝えると、去っていった。
「じゃあ、わたしは少し仕事をしてくるから、君たちはここにいてくれたまえ。トイレはあっち」
とギルド長のおじさんも行ってしまった。
「はあ」
とため息をつくディタ。
「どれくらい時間がかかるのかしら? ポリポリ」
お菓子をポリポリ食べながら呟くマルヴィナ。
「さあ、わたしだったら三十分もあればできるかな」
「そのあと工場で印刷して完成かな?」
「そうね」
ディタは大きく伸びをして頭の後ろで手を組んだ。
「わたし……、もう辞めたい」
「え?」
と聞き返すマルヴィナ。
「なんか、思ってたのとだいぶ違うんだ。給料も期待してたより安いし」
「いくらなの?」
その金額を聞いてマルヴィナは驚いた。平日は深夜まで働き、休日も出勤しているのにほとんどマルヴィナの給料と変わらなかったからだ。
「ねえ、いっしょに仕事を辞めて、冒険者ギルドを起業しない? もちろんクルトも誘って。わたしたちなら、きっとたくさん冒険してたくさん宝物をゲットして、いっぱい稼げると思うの」
急に目をキラキラさせてディタが言ってきた。
「え、ええ、わたしはべつにかまわないわよ」
やや不安はあるものの、マルヴィナも同意した。ディタがいると魔法が使えないが、また前と同じように瞑想に行っている間になんとかすればいいだろう。
そこに、
「すみません」
またスキンヘッド課長がやってきた。ギルド長が守衛室にいなかったようで、そのままマルヴィナたちのいる部屋に入ってきた。
「対策本部から伝言です。」
と切り出した。
「ディタさん、ストーリーギルドに戻ってもらえますか? どうやらストーリーを追加修正するのに人手が足りないとのことです」
それに対しディタは不満げな顔で、
「ほらやっぱり。さっきの対策本部の会議で、わたしがいなくてもできるんですかーって聞いたら、大丈夫ですーってトイレ課長が答えたから、本当に大丈夫なのかなって思ってたんだよ」
とディタが立ち上がった。
そこに、影武者ギルド長のおじさんが入ってきた。
「やあ君たち、実はね、影武者先から、とりあえず説明できる人間を現場に寄越してほしいと連絡があってね。ちょっと申し訳ないだが、特区のここまで行ってくれるかな? そこに金融ギルド長がいるから」
と地図が書かれた紙切れを渡してきた。
「え、じゃあ、もしかしてわたし一人で行くの?」
というマルヴィナの言葉に、スキンヘッド課長が大きくうなずいて、
「移動用に馬車チケットを渡しておきましょう」
と紙の券を三枚ほど渡してきた。
「なんでもピエールさんという大富豪の家らしいよ。プール付きの大きな家だから行けばすぐわかる」
ということで、ディタとマルヴィナとスキンヘッドは影武者ギルドの建物をあとにして、それぞれの方向へ向かった。
マルヴィナは、初めての現場の、しかも特区の大富豪の家に一人で向かう、ということだったが、なんとなくなんとかなりそうな気がしていた。
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