第16話 新人研修

 二日目。


いったん職場に着いて自分の机に荷物を置いたマルヴィナは、その日すぐに研修に参加することになっていた。ギルドの新人研修だ。


「二階の別棟の会議室って言ってたわね」

ノートやペンなどの筆記用具を持って、階段を七階から降りていく。

「ほかの新入ギルド員に初めて会うのね」

そう思うと、なんだか緊張してきた。

二階に着いてウロウロしていると、それらしき会議室の前に、ひとが集まっている。

「マルヴィナ!」

呼び止められてふと見ると、


「ディタ! おはよう、あれ……」

ディタはまだムーア学園の制服を着ていた。その視線に気づいたディタ、

「あ……、これね、初任給が出るまではこれでいいって許可が降りて」

と恥ずかしそうに顔を下に向けた。

「入ろう!」

気を取り直して会議室に入りかけたとき、

「お、マルヴィナとディタじゃないか、おはよう」

と声をかけてくる者。


「あ、クルト、おはよう」

マルヴィナがあいさつを返した。朝も家で見たが、別々の時間に出勤して、職場でクルトと会うのは初めてだ。その横で、

「え? え? クルト? なんで……」

ディタがとても驚いた顔でクルトの顔をマジマジと見つめていた。

「あれ、言ってなかったっけ?」

クルトもそう答えながら微笑んだ。


「うそ、これって、運命よね」

とディタがつぶやいたとき、講師らしきひともやってきたので、三人で会議室に入って一番うしろあたりの席に座った。机にはすでに資料が置いてある。

「それでは、水晶器についての研修を開始します」

最初の研修は水晶器の説明のようだ。そして、その講師は見覚えがあった。

「面接のときにいたエンジニアのおばさんだわ」

マルヴィナも憶えていた。エンジニアをやりながら、新人研修の講師もやっているようだ。


「では、資料を開いてください」

その資料は、職場にあった水晶器の説明書よりはだいぶ薄いものだった。

「まずは水晶器の歴史からお話ししていきます。三年前にある水晶ギルドからリリースされた水晶器は、みなさんもご存知のとおり、瞬く間に大陸中の先進ギルドの業務に導入され、今やこれを導入していないギルドは負け組になる、とまで言われています」

といった感じで、彼らの研修が始まった。


 三日目。

その日は、朝から別の敷地にある建物内会議室で研修だった。ストーリーギルドの八階建ての建物から、歩いて数分の距離だ。

「へえ、そうなんだ」

すでに研修室では、マルヴィナ、クルト、ディタの三人が部屋のうしろのほうの席に座っている。まだ講師は来ていない。


「だから、もともとはこの敷地がこのギルド発祥の工場で、向こうの八階建ての建物はあとからできたんだぜ」

「ふーん」

クルトが誰から聞いてきたのか、このギルドの歴史を話してくれた。

「で、何の工場なの?」

とマルヴィナが聞く。敷地に入ってきた時に、たしかに工場っぽい雰囲気の建屋をいくつか通り過ぎたのだ。

「紙の工場だよ。最初は紙を作るところからスタートしたらしい」

「へえ、そうなんだ」


「あとで見せてやるよ」

とクルトが言ったところで、講師が入ってきた。

「では、水晶器の実器研修を始めます。資料を開いてください」

机の上には、各自一台ずつ水晶器が置いてあり、その横には研修資料の薄い冊子があった。

「本日はこの水晶器の基本操作と、よく使用する呪文について説明します」

「呪文?」

なんのことだろう、と目次からそこをめくってみた。


「呪文とは、水晶器に打ち込むある決まった文字列で、その文字列により水晶器が動作します」

たしかに、講師の説明どおり、資料にもたくさんのそれらしい文字列が並んでいた。

「ははあ、なるほど、これを打てばいいってことね」

マルヴィナも心の中で思いながら、この資料があればあの職場の分厚い説明書を開かなくても大丈夫かもしれない、と思った。

そのお昼、弁当を食べたあとにクルトが人事部の建物に連れて行ってくれた。


「ほら、ここだよ」

その建物の来客用玄関ホールに三人で入ると、何か色々なものが展示されている。

「ほら、これこれ」

クルトが指さしたのは、大きなガラスのショーケースの中の、何か巨大なやや黄ばんだ白い四角いもの。

「これが、このギルドができたときの最初に開発された紙だよ、分厚いだろう?」

それは、もはや紙というよりも何か別のものだった。まず、ぱっと見で三十センチほどの厚さがある。四方も一メートル近くありそうだ。

「これ、紙なの?」

「大きいね、こんなだったんだ」


「ほら、重さが書いてある。三十キロだって」

「へえー」

昔はたいへんだったんだね、とディタ。

「しかも、当時は手書きで文字を入れてたらしいけど、表面加工がまだ粗かったから、文字も大きく書き込むしかなかったんだ」

確かに、その紙の表面をよく見ると微細な穴がたくさんあってざらざらしてそうだ。

「へえ、つまり……」

「そう、つまり、これだけ大きいのに、大した文字数が書き込めなかったんだ」


「ふむう、なるほどう」

クルトがその横に歩を進めた。年代ごとにいくつもサンプルが置いてあり、その順に紙が薄く小さくなっていく。

「それが、ほらごらん。この二十年で、紙が飛躍的に薄くなっていって、冊子のかたちになっていくんだ」

小さくなっていく紙に年号の表示があり、それが厚紙を束ねた冊子からさらに本のかたちになっていく。

「そして最終的にこれ、これが最新型のストーリーだ」

現在見るような、薄い紙で作られた分厚く大きな本がそこにあった。背表紙に業務物語二〇〇〇と書かれている。


「今は業務物語三〇〇〇の開発をやっているんだけどね」

と言うクルトに、

「そうよ」

とディタも合わせた。

「え? ディタもストーリーの設計をしているの?」

と聞くマルヴィナ。

「そうよ。わたしはモジュール部なの」

そうなんだ、とマルヴィナがディタとクルトを交互に見ると、

「おれのカーネル部は六階、ディタのモジュール部は四階にあるんだぜ」

とクルトが教えてくれた。同じ設計でも階が違うようだ。


「二階は顧客部の試験室、三階は設計者の試験室。五階はストーリーではなく、本、つまりハードウェアを設計する部署が入っているんだぜ」

とさらにクルトが教えてくれた。

「へえ、そうなんだ」

二階に自分が所属する顧客部の試験室があるとは思わなかった。

「お、そろそろ時間だな」

午後からは、水晶器を使って簡易なストーリーをグループで作成することで開発手法などを学ぶ実習だ。


 四日目。

その日も、工場敷地の研修室で財務諸表の研修だった。

「これで基本的な財務諸表の作り方の説明は終わりです」

講師は、ギルドの外部から呼ばれたひとのようで、メガネをかけて頭が良さそうだった。講義も終わりかけで、目が覚めてきたマルヴィナはなんとなく考え事をしながらその話を聞いていた。

「財務諸表に関しては、ぜひみなさんの目で各ギルドの公表されているものを見てください」

講師が淡々と続ける。


「そうすると、お金の流れがよくわかります。この国のほとんどのギルドは、国からの補助金で成り立っており、まともな経営ができていないことがわかります。これは、公表されている事実ですが、ほとんどのひとは財務諸表を見ないので知りません」

「ふうん」

「つまり、ほとんどのギルドは国がコントロールしている、ということです」

さらには、と単調な声で講師が続けた。

「さらには、この国自体が実はギルドです。それは、財務諸表の中身を見ればわかります。これは公表されています。この国のみなさんはほとんどそれを見ないようですが」


「ふうん」

研修室の窓の外を見ながら聞いていたマルヴィナ。研修室内のほとんどの新人たちは寝ていて興味が無いようだが、話している内容は何かとんでもないことを言っているようにも思えた。

「つまり、国がギルドということは何を意味しているかというと、それに出資している一部の人間にコントロールされている、ということです。この国に選挙がありますが、それはほとんど機能しておらず、出資者がコントロールしている、ということです」

「そうか」

「出資されている限りコントロールされるのは当然のことであり、それは財務諸表を見れば一目瞭然なのです」

ふと見ると、クルトは起きていて、鋭い目でその話を聴きながらメモをとっていた。


 五日目。

そろそろ新人の状況が掴めてきた。

その日はストーリー開発の歴史の講義が工場敷地の研修室であり、それが終わって直行直帰で帰る準備をしていた。


「さあ、帰るかあ」

クルトが言いうと、マルヴィナが研修室を出ていく新人を見てふと気づいた。

「いつもあの十人ぐらいがまとまっているよね……」

「ああ、大学卒の連中だよ」

「へえ、そうなんだ」

「新人が二十人いるだろ? そのうちの十人が大学卒で、あとはおれたちと同じ高卒さ」

クルトがどこで調べたのか、そんなことを話してくれた。


「へえ、たしかに、なんとなくお金持ちそうだもんね」

とディタ。

「ああ、大卒の連中はおれたちと同じムーア学園を卒業してから進学して、ここに入ってきてるのもいるらしいぜ。先輩後輩の関係のはずなのに、なんか空気の違いを感じるけどな」

「ふうん」

たしかに、この数日で仲良くなったのは年齢も近い高卒メンバーのような気がする。こちらの思い込みかもしれないが、大学卒メンバーにはこちらを寄せ付けないような空気があるのかもしれない。


「やっぱり、大学を出ておいたほうがよかったのかな……」

と気にするマルヴィナ。

「出世にも多少影響があるかもしれないけどね。ま、あんま気にしてもしょうがない」

クルトの言葉に元気付けられるように、ディタとマルヴィナが立ち上がった。

「よし、来週から、工場実習だわ!」

ディタが元気に歩き出した。

そうだった、実習って、何をやるんだろう?

とマルヴィナの気持ちは不安でやや重くなるのだった。

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