マルヴィナ戦記3 赤熱の大地と錬金術師
黒龍院如水
プロローグ
風景がすべてを与えてくれた。
町はずれの大きな川の河川敷。週末、遠出ができないときはそこにやってきて、人気のない場所でその景色を眺めた。
「実は時間などは存在せず、すべてが同時にそこにあるの……」
自分にそう言い聞かせて、分厚い眼鏡を外して目をつぶる。視覚ではなくべつの感覚で周囲を見る。
そうすると、自分の周囲にまったく違う風景が浮かびあがってくるのだ。
季節は半袖でも少し寒く、雲たちは地平線の彼方に退いていて、風は大河を前にしてもなお乾燥していた。
「次の連休はどこに行こうかしら」
行く場所はだいたい決まっているのだ。船で大河を上るか下るかして、そこに点在する遺跡群へ。
「白竜が住まう塔。鳳凰の大岩。虹色トンネル。黒い大鎌の沼。古代テクノロジーの廃墟」
人工の堤防のうえに座り、数え上げていく。
彼女の心は瞬時にそこへ移動し、赤や青や黄色、時に眩しく時に完全に漆黒となり、黄金や白銀に輝くこともあるそれらの景色が、周囲にぱっと広がる。
しかしそれらは、実際に視覚で見えるものではなく、彼女が目をつぶると見えてくるものだ。だから、目を開くと、一瞬にして消える。
「そういえば、わたし、美術部に入ろうとしてたわね」
高校に入学した当初、様々な、言葉で説明しづらい期待を抱えつつ見学した美術部。
しかし、残念ながら、そこでは彼女が期待したような、空想上の景色が描かれることはないと知った。
「ふふ。それがよかったのかな」
そのあと破れかぶれになって入った冒険部が、意外とよかったのだ。
「美術部に落胆したんじゃなくて、自分に落胆したの。入学当時、描けるほどの景色が、自分の中に無かったんだわ」
それはなるべく認めたくない、しかし、深層に眠る認識だった。
でも、今はそんなことはどうでもよかった。冒険部に入って、遺跡を訪れることで、意識の中に景色がコレクションされていった。
「お母さんも手伝ってくれたし」
左手に障害を持った母は、しかしそれでも冒険部で使う装備を縫ってくれた。そうやってできた布の鞄や服のところどころを自分で縫い直して補強して、部活に出かけた。
「本当は買ってほしかったんだけど……」
卒業していった上級生が残してくれた装備もあった。だから、そんなに不満はなかった。
「そうだ」
そこでいつもその話を思い出す。誕生日はいつも母親の手作りのプレゼントだった。
「昔は、とても貧しかった」
いや、今でも貧困に苦しんでいる。しかし、小学校の途中の学年あたりで、自分が貧しい家庭にいることにやっと気づいたのだ。
「ふつうはみんな買ってもらうんだから」
今ではもうそんなに腹が立つわけではないが、当時、それに気づいたとき、もらったプレゼントを一度ゴミ箱に捨てたものだ。厚紙や余った布で作られたそれは、簡単にくしゃくしゃになった。
あとで思い返してゴミ箱から拾いなおしたのだが。
「ふふ。友達もみんな服が汚れていたし」
風が吹いて草がそよぎ、そこでなぜか可笑しくなって笑った。学校ではみんな一緒になって遊ぶのだが、放課後は自分と同じように服が汚い子としか遊ばなかった。そして、思えばいつもお腹を空かせていた。
そういったことが、成長するにつれ、大人になるにつれ、客観的に理解できてきた。もう、バーゼルフォン支援資金を母親が毎月貰っていることも誰にも話さない。多少勉強ができたとはいえ、必要以上に学費の高い高校に入ってしまったことも、気にしないようにした。
当時、具体的な学費も知らないでそこを受験したいと母に告げたとき、母は一瞬だけ顔を曇らせたが、そのあとすぐに同意して、励ましてくれた。学園に入って、他の生徒と自分を比較して、愕然とした。
そしてあるとき、悟った。
「そんなものは、実は存在しないんだ」
そう思い込むようになってきた。
貧困とは、相対的なものであって、幻想であって、むしろ自己満足であって、実は存在しない。
「ほんとうに、次はどこに行こうかしら」
気に入った場所に加えて、行っていない遺跡群がまだ無数にある。
悲しい幻想を捨てて、想像の中の華やかで美しい幻想を求める。その逃避行が正しい行いであるのかどうかは自分ではわからない。
「それでも……」
彼女の景色を求める冒険は続く。
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