第2話 午後の授業
お昼休み。
昼食は、マルヴィナ、クルト、ニコラの三人で教室で弁当を食べた。そのとき教室は三人しかおらず、生徒のほとんどが校内の食堂に行き、弁当の生徒もどこか他の場所で食べているようだった。
「あーおいしかった」
三人とも、大きな弁当をしまう。マルヴィナは、食堂で大勢で食べる昼食が苦手だったので、弁当を三人で食べることができて助かっていた。
「グラネロ砦の食堂ならまだいいんだけど……」
まわりがほとんど知り合いならまだいいのだが、知らないひとがたくさんいる場所はなおさら苦手なのだ。クルトやニコラがいない状態で食堂で昼食など、もうそれだけで死んでしまうかもしれない。
「ふう。なんとかやれそうだな」
クルトが椅子にもたれかかって伸びをした。
「そうだな。すべての科目を一通り受けてみないとわからないが……」
ニコラが言うとおり、どんな先生でどんな授業なのかが肝心なのだ。
「一見、ふつうの学校とそんなに変わらないけどな」
とクルトは言うが、ローレシア大陸の学校と、このゴンドワナ大陸の中央にある学園を比較してのことだ。
「そうねえ」
マルヴィナの不安が消えないのは、彼女が出身のバーナー島の小さな学校しか行ったことがないからかもしれない。
「まあ、少なくとも数日すれば慣れるさ」
そういうニコラはまったく落ち着いていて、その神経の太さがマルヴィナには羨ましかった。
そのうち徐々に教室に生徒が戻り始め、そして午後の授業がはじまった。
「規律、礼!」
午後の最初の授業は、数学だ。
「えー、それでは数学の授業をはじめますう」
その初老の男性教師は、少し口先を歪めて声を出す少し粘っこい独特の話し方をした。
「じゃあ二次方程式の微分の公式を」
「この公式の導き方は各自で家で教科書を確認するように」
「定番問題集を開いて、この問題を解いてください」
マルヴィナは、満腹感と少しの安堵感からかとても眠くなってきた。教師の声が頭のうえをすり抜けていき、耳の中には入ってこない。話し方が単調なのがダメなのだ、と心のどこかで非難したが、それでも眠気は去らなかった。
「君はこんなものもわからないのか、この公式は常識だから覚えておくように」
「きみたちはこの定番問題集だけやっていればいいから」
「こんなものは中学で習う常識だ」
所々その教師が話す言葉が聞こえてくる。マルヴィナが卓越しているのは、どれだけうつらうつらしていても、それが傍目にはちゃんと聞いているように見えることだ。いや、それ以上に、そこに座っているのに存在感を消していることかもしれない。
「きみたちはとにかく、他人に迷惑をかけないように、常識で行動することだ」
「いい大学に入って、いいギルドに就職していい給料をもらって、いい相手と結婚して、ローンでいい家を建てて、二人の子どもを持つ。これが常識だ」
「そのためには、公式をちゃんと暗記して、人から言われたことは守って、他人に認められる人間になる。こうれが常識だ」
マルヴィナが気づいたときには、クルトも眠そうに目をこすり、ニコラも腕を組んで深く瞑想している。教師の話題が数学から少し逸れているようだ。
「とにかく現代は数学をもとにした仮学万能の時代だから、すべて常識で判断しないといけないちゅうことだ」
「とにかく君たちの人生は数学の公式でもう決まっとる。給料から家のローンまで計算されとるちゅうことだ。その常識にとにかくしたがってだな」
教師の話が続いていたそのとき、
「そんな常識、気にする必要があるのかね……」
その教師があまりに常識常識とうるさいので、マルヴィナも目が覚めてきて思わず口の中で呟いた。少なくとも、グラネロ砦で防衛ギルドを立ち上げて、そしてそのあと形式上は皇帝になっているマルヴィナの常識とは少し違っていた。
「なんだと?」
マルヴィナはあくまでも口の中で呟いたつもりだったが、教室がそのタイミングで一瞬静寂となったためか、思ったよりもその言葉が響いてしまったようだ。その数学教師がジロリとそっちを睨みつけ、起きていた数人の生徒がうしろを振り返った。
「この数学万能、仮学万能の時代に常識を気にせんかったらどうなるかわかっとるちゅうのか?」
少し唾が飛んだ。マルヴィナは思わず下を向いて小さくなる。
「お金が稼げないとたいへんなことになるぞ。きみたちのような人間は、とにかくエリートの上流階級をめざして必死にやらんと」
そのとき、
「お金の稼ぎ方なんていくらでもあるだろうし、最悪お金がなくてもなんとかなるよ」
横から助け舟を出したのはクルト。
「なんだと?」
そちらをギロリと睨む。
「なんちゅうことを言うとるばかもんが。ほかにお金を稼ぐ方法などありゃせん。ぜったい失敗するぞ。なんちゅうことを言うとる」
数学教師もやや激昂しはじめた。
「例えば、錬金術なんかがあるじゃないか」
クルトも反撃する。
「そんな魔法みたいなもん、この仮学万能の時代にありゃせん。いい加減目を覚ましたらどうだ、最近の若いもんはまったく。とにかーく、きみたちには無理だろうが、エリートのように若いうちにいっぱいお金を稼いで資産を作って早期リタイヤすることを目ざすちゅうことだ」
「早期リタイヤして何すんの?」
「そら海沿いのリゾート地に家を借りて趣味三昧で暮らす、そんなの当たり前だろ」
「別にお金を稼がなくても趣味三昧で暮らせばいいだろう。すでにそうして暮らしているひとも実際いるだろうし」
「なんだと? そんなことをしたらどうなるかわかっとるのか? 老後資金がなくなって、恐ろしいことになるぞ? 最悪死ぬぞ? わかっとるんか? 常識から外れたら死ぬんだぞ?」
口をさらに歪めていっぱいまくしたてたところで、チャイムが鳴った。
途中からニコラも目を覚まして、クルトと数学教師の問答をニヤニヤしながら見ていた。
そのあと、
現代史の授業を受けたが、教師も授業の内容もとても印象が薄く、マルヴィナは授業中ほぼ完全に意識がなかった。
担任のピエールがやってきて終礼をすると、思ったよりあっさりとその日の課程がすべて終わった。
「さあ、帰ろうかな」
教室から生徒がいなくなり、持って帰るもの、置いていくものを確認し終わると、マルヴィナとクルトとニコラは、鞄を持って下校する段になった。そのとき、
「あ、あの……」
ひとりの女子生徒が話しかけてきた。ウェーブのかかった黒髪にやや褐色の肌、分厚い眼鏡。
「ぶ、ぶぶ、部活動ってもう決めました?」
「部活? おれたちはまだ決めてないけど」
クルトが受け答えする。
「あ、あの、もしよかったら……」
そのとき、マルヴィナが気づいた。
「あ!? あなたは、体育の授業でわたしより走り高跳びが下手だった子ね?」
「あ、そ、そうです!」
その子は、自分を認識してもらっていたことがうれしかったようで、ぱっと明るい笑顔になって眼鏡の位置をなおした。
「わたしはディタ・ドピタ。あの、ぜひ冒険部に入部しませんか?」
「冒険部!?」
放課後の、部活の勧誘が始まった。
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