第9話 就活
平穏な日々が続いていた。
遺跡群から帰ってくると、やはりそのあとの日常は退屈そのものだった。
ある日の午後、部活も早く終わって家に帰ってくると、
「その炭の入った袋をヨエルのお店まで届けてくれるかな?」
母親役のミシェルからお使いを頼まれた。
「はーい」
ニコラとクルトは宿題か何かで忙しいようで、マルヴィナひとりで炭の袋を持って店へ向かうことになった。
「えーと、どっちだろう」
店の場所を描いた地図の紙片を片手に歩いていく。そこは、下流区の隣の中流区の端にある花屋だった。
「あ、あった」
そのときヨエルは配達で店におらず、ほかの店員に炭袋を渡して家に帰ることにした。
「暑いなあ」
マルヴィナが汗をぬぐうと、その額のあたりと頬のあたりが黒く汚れた。炭袋が炭で汚れていたようだが、マルヴィナは顔が黒く汚れたことに気づいていない。
「あれ……」
その帰り道、繁華街の一角である建物に目が行った。
「ギルド員の募集をしているんだ」
その三階建ての建物の前に表示板があり、そこにギルド員募集の案内が貼られていた。
「影武者ギルドかあ。なんか面白そうだな」
領主、大富豪、大富豪夫人、お姫様、などなどの要人の影武者になれるギルドのようだ。
「経験者歓迎かあ。わたし、やったことあるし。ちょっとやってみたいなあ」
お姫様の影武者ならやったことがあるのだ。さらに案内を読むと、
「いつでも面接できます、なんだ。どうしよう」
たしか、ディタが就職活動をする前に学校で面接の練習をするとか言ってた。でも、わたしなら影武者得意だし、そのまま受けても大丈夫だろう。
「ちょっと入ってみよう」
建物の扉も開いており、入り口の階段を数段登って入ってみた。
「すみませーん」
入り口から覗き込むと、守衛室のようなところでおじさんが暇そうに本を読んでいた。
「あのう」
マルヴィナが話しかけると、その背が低くて頭の禿げ上がったおじさんが本から視線を外してマルヴィナのほうを見た。
「あの守衛さん、面接を受けに来たんですけど……」
「ああ、面接? ギルド面接? 面接ね、すぐにやろうか。ちょっと待ってね」
おじさんはすぐに守衛室から出て奥の部屋を確認しにいった。戻ってきて、
「そこの部屋でさっそくやりましょう」
と言ってマルヴィナを案内する。小さな部屋に机が置いてあり、おじさんは折り畳みの椅子をその机の対面にひとつづつ置いた。そこに腰掛けると、マルヴィナの顔を少し覗き込んできた。
「どうぞ座って」
マルヴィナも腰掛けた。
「ぼくはここの影武者ギルドのギルド長です」
その言葉に、マルヴィナはやや驚いた。すっかり守衛さんだと思っていたのだが、この建物の一番偉いひとのようだ。
「えっと、履歴書を出してもらおうかな?」
「履歴書?」
何かそういう名前の書類があったかもしれない。だが、もちろん今日は持っていない。
「えっと……、今日は持ってきていないんですけど……」
「履歴書持ってきてない? うーん、困ったなあ」
おじさんは少し困った顔であたりを見廻し、そして部屋を出て行った。
「このギルドは面接のときに履歴書がいるんだ。知らなかった、どうしよう……」
マルヴィナがそわそわしていると、おじさんが紙と鉛筆を持って戻ってきた。
「ちょっとメモりながらやるから、名前から教えてくれるかな」
「マルヴィナ・メイヤーです」
「マルヴィナ・メイヤーさん、と」
おじさんが紙に書き込む。
「あ、すみません、マルヴィナ・ヨナークです」
「ん? ヨナーク?」
「はい、メイヤーじゃなくてヨナーク」
おじさんがメイヤーに線を引いてヨナークと書き足した。
「マルヴィナ・ヨナークさん、と。住所は?」
「下流区の二十五番地の二号室です」
「下流区二十五番地の二号室、と。学校は?」
「ムーア学園の三年生です」
「今在学中なんだね」
「はい」
「その前は?」
「その前?」
「中学校と小学校」
「あ、えーと……、カロッサのネルリンガーです」
「カロッサって、あれか、あっちの島の?」
「はい、そうです」
「へえ、すごいね。君は帰国子女なんだね」
「お父さんの仕事の関係で……」
とっさにうまいこと繕った。
「影武者の経験はあるの?」
「はい、あります」
「どれくらいやってたの?」
「えーと、一年と少しぐらい……だったかな?」
「もう少し詳しく聞かせてもらえるかな? 何の影武者をやってたとか……」
「えーと、お姫様の影武者を……」
「ふむふむ、お姫様、と。どこの領地のかな?」
「えーと、マル……」
「マル?」
その段になって、マルヴィナはまずいことに気づいた。仕事を得るためとはいえ、ローレシア大陸でマルーシャ姫に化けていたことをこの人に話してしまって大丈夫だろうか?
「えーと、どこの領地だったかまるっと忘れてしまいました」
「まるっと忘れてしまった? うーん、それは困ったね。実務経験があるとわかりやすかったんだけど……」
おじさんは再び困った顔でマルヴィナの顔を覗き込んだ。
「影武者検定は何級持ってるの?」
おじさんはやや気持ちを立て直して尋ねた。
「影武者検定?」
そんなものは初めて聞いた。
「三級ぐらいあればなんとかなるんだけど……」
「四級しかないです……」
適当に答えてみる。
「そうかあ、ちょっと厳しいな。お姫様以外にできるものある?」
さらにおじさんが畳み掛ける。
「えーと、いっぱいサポートしてもらえばできるかもしれません」
「サポート? 影武者はむしろサポートするほうなんだが……」
おじさんは少し腕組みして考えてみて、
「今、金融ギルドでやり手の女ギルド長の影武者のオファーが来てるんだよ。試しに学校通いながらやってみる?」
「えっと、まだ部活があるんで……」
金融、という言葉と、女ギルド長という言葉から、かなりやり手じゃないと務まらない影武者に感じられた。でも、他にも自分がやれる案件が必ずあるはずだ。
「そうだよなあ。やっぱり卒業してからだよなあ。なんか特技とかある?」
「えーと、魔法と皇帝を少し……」
「マホート工程? 何の工程かな?」
「いえ、何でもないです……」
「なんでもない」
と特技欄に書き込んで、おじさんはそこであきらめたようだ。
「よし、面接はこんなもんでいいでしょう。今すぐ結果を聞きたい?」
その問いに、マルヴィナはなんとなく手応えがあった気がしていけると思ったのだが、そこで結果を聞かなくてもいいと考えた。
「いえ、大丈夫です」
「うむ、じゃああとで結果を郵送しておくから、数日で届くんじゃないかな」
ありがとうございます、と言って建物をあとにした。
その日の夕食、
うきうきしながら晩ご飯を食べていると、それにクルトが気づいたようだ。
「マルヴィナ、なんかいいことあったか?」
「うん、わたし、仕事決まったんだ」
よくぞ聞いてくれたとすぐさま答えた。
「え、もう決まったの? さすがだなあ」
クルトも何か自分のことのように嬉しそうだ。
翌日の部活でも、
「マルヴィナ、なんかいいことあったの?」
部室でうきうきしていたマルヴィナに、ディタが聞いてきた。
「わたし、仕事見つかっちゃって」
待ってましたと答える。
「え、そうなの? 早いね!」
ディタが羨ましそうな目で見てきた。
その視線をかわして、次の冒険計画の話に入っていくマルヴィナ。
だが、数日後の夜。
自分の部屋で影武者ギルドから届いた封筒をうきうきしながら開けると、
「今回は残念ながら不合格です。顔をしっかり洗って出直してください。影武者ギルド ギルド長」
と書いてあった。
「え、不合格う?」
信じられない思いで、何度も読み返す。その紙の裏側や封筒のすみずみまでチェックしてみたが、どうも不合格という事実は変わらないようだった。
「え、何が悪かったんだろう?」
とりあえずショックで何が悪かったのかまるで思いつかない。
「就職活動、どうしよう……」
ベッドに入ると、すっと涙がこぼれ落ちた。
その時から、何か途方もない、超えられない大きな壁の存在を、確かに感じ始めた。
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