第31話 誤解

 その夜、


ゾンビのボブは、ムーア市へ向かっていた。


「ふう、やっと北門が見えてきた。海路は貨物室に乗れるとしても、そこから大陸を徒歩で横断しないといけないのはやはりつらい、はあはあ」


旅装を汗まみれにしながら、マルーシャ女王の書簡を脇に抱えつつ歩き続ける。

「ふう、ひと安心」

広大な自然の荒野から人工物の大きな門をくぐると、自分がゾンビとはいえ少し安心できる。


「ここの特区はとても広くて大きくて特徴的な建物が多いけれど、あまり親近感を抱ける雰囲気の場所ではないな」

むしろ人を寄せ付けない、ボブが旅装で埃まみれの汗まみれでなく、仮に正装していたとしてもだ。綺麗すぎるのだ。むしろ、ボブにとっては特区や上流区よりもごみごみした下流区や困窮区のほうがかえって気分が落ち着く。

さらに南下していると、特区にめずらしくなにやら騒がしい。


「ふむ、強盗でも出たのだろうか?」

どこか遠くのほうから人が騒いでいるような声が聞こえてきた。珍しく嫌な予感がしてボブが急ぎ足になると、

「人が襲われている!?」

覆面を付け、棍棒のような武器を持った十数人が誰かを取り囲んでいるように見えた。それも夜とはいえふつうの路上だ。

「いかん……」

さらに近づいていったボブは、襲われているのが自分の尋ね先の人物のように遠目に見えたのだ。


「待て! 誤解だ、話を聞いてくれ……」

「逃げられないように足をやれ!」

「そっちだ、回りこめ!」

ぼごおと棒で殴打するような音が数度聞こえてくる。

「いかんいかん……」

ボブは咄嗟に判断して、すぐそこに見えた細い路地に隠れた。

「アーウームー、冥界神ニュンケに所望する、深淵の深霧、間に合ってくれ、ディープフォグ!」

なるべく小さな声で素早く唱えると、どこからか濃い霧が噴き出してきてどんどんあたりを覆っていく。


同時に道路に出て、

「傭兵隊が近づいているぞー!」

と大声で叫んだ。そして濃い霧の中に突っ込んでいく。

「逃げろ! 傭兵隊が来たぞ!」

というボブの声に、動揺する暴漢たち、

「逃げろ!」

「引き上げだ!」

ボブの声につられてそういう声が聞こえてきた。

「どん!」

走り込んできたボブはそこで三人ほどを巨体で弾き飛ばし、その人物を担ぎあげようとしていた覆面の男の肩をがっと掴んで引き剥がしてぶん投げた。背中から落ちたのか、ぐうと低いうめき声。


「身辺警護の傭兵隊がきたぞ!」

さらにもう一度叫んで、そのぐったりした人物を担ぎ上げた。左足が膝から変な角度にぶらんぶらんと揺れ、

「いかん、これはいかんぞ……」

人物は頭部を棒で殴られたのか、出血しているようでぐったり脱力してまったく動かない。

カランと音を立てて何かが石畳に転がった。ボブはその赤銅色のステッキを拾い、書簡と一緒に脇に挟むと、人物を担いだまま細い路地に走り込んだ。


「はあはあ、どうする? いったん屋敷に運び込むか……」

行き先を思案する。

十数分すると、すっかり濃かった霧も晴れて、街はさきほどの場所に黒い血溜まりがある以外はしんと元の静寂に戻っていた。


 その同じころ、マルヴィナたちの家。

「えー!?」

マルヴィナが自分の部屋で悲鳴をあげた。


「ちょ、なにこれ……」

郵便で届いた封筒から取り出した紙を眺めて口を開けている。

「えー!?」

もういちど悲鳴が響いた。さらにもういちど悲鳴が響き、三枚の紙を持って青い顔をしたマルヴィナがリビングへリビングデッドのように歩いていく。

「どうしたの?」

リビングのソファで新聞を広げていたヨエルがさっそく気づいてマルヴィナに声をかけた。


「これ……」

マルヴィナが三枚の紙をヨエルに渡す。

マルヴィナの悲鳴を聞きつけたのか、クルトとニコラとミシェルもリビングにやってきた。

「ふむ、支払い請求書だね。市民税に健康保険に年金か。うわ、たしかにすごい金額……」

「どうしよう」

すでに払える自信がまったくなさそうなマルヴィナの表情。

「クルト、君にも来たのか?」

とニコラがクルトに聞いた。


「ああ、おれはもう一括で払ったけど、それでせっかく貯めた貯金を使い果たしてしまったよ」

とその三枚の紙を受け取ってさっと目を通す。

「おれは残業代を貯金してたから支払えたけど、この請求金額は異常だよな。ギルドを中途で辞めた人間には不利になる税制度ということなんだろうけど……」

「払わないとどうなるのかしら……」

とマルヴィナ。


「おそらく国が差し押さえに来るだろうな。住居や、お金になるような資産を」

とニコラが腕組みする。

「とりあえず、うちにあるお金で支払うしかないね。役所に行って分割払いができないかも確認したほうがいいかもだけど」

とミシェル。

そこでマルヴィナが、何かを思いついた。

「そうだ、これもピエールに頼めばいいんじゃないかしら!」

急に明るい顔になる。


そこへ、誰かがどんどんとドアを叩く音。

「おーい! 開けてくれー!」

なんだ、騒がしいなとミシェルが玄関へ向かう。入ってきたのは、旅装を汗まみれにしたボブだった。

「あら、また何か悪い知らせかしら……」

そこにいたメンバーの顔が嫌な予感に曇った。

「はあはあ、み、水をくれ」

一杯の水をミシェルがボブに渡す。立ったままボブがそれを飲み干すと、ヨエルがどいた場所にどっかと座った。


「うわ! 血がついているよ、大丈夫か?」

ミシェル驚いてキッチンへ向かう。

「うわ、ほんとだ」

ボブが自分の首あたりを触り、その手にべっとりと赤黒い血がついた。ミシェルの持ってきたタオルで首元を拭くボブは、まさにゾンビのような青い形相でまだ息を切らしている。

「……聞いてくれ、たいへんなことになった」

やはり悪い知らせか、とみんなが身構えた。


「ピエールが襲われたぐふ」

そこでボブがまた咳き込んだので、ミシェルがもう一杯水を汲みに走る。

「どうなったの!?」

水を飲み終わるボブをみんなが見守った。

「だめだ……、彼は死んだ」

必死に息を吐き出した。

「ええ!?」

呆然とするマルヴィナたち。


「ど、どど、どうすんの?」

声を出せずに口をぱくぱくさせるマルヴィナの横で、ヨエルがなんとか口を聞いた。

「と、とりあえずわたしが彼の体を取り返して豪邸に運んだんだ。今はお手伝いさんが見てくれているが……」

さて、どうするか、とボブも途方にくれて天井を見た。

「ピエールを襲った連中の狙いはなんだ?」

と厳しい表情で立ったまま腕を組むニコラ。

「そのとおりだ。相手の狙い次第だけど、その特区の豪邸のほうは安全なのか?」

肩をぐるぐるまわし出すクルト。


「とりあえず完全武装して行くか。途中で何か言われたら冒険ギルドがこれから冒険にいくとでも言えばいいよ」

とミシェル。すぐに準備が始まった。

「しかし、行って何ができる?」

息が少し整ってきたボブもそう尋ねながら立ち上がる。

「わたしがなんとかするわ」

すでに灰色のマントを着て、屍道書を持ったマルヴィナが答えた。

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