第二章 - Ⅳ

 店を出たところで、すっかり暗闇に包まれた空を見据える。思えば随分と長居をしてしまった。それだけササコ先輩の話は興味深く、また真剣に聞くべき内容だったということ。

「ササコ先輩。お会計、出してもらって本当に良かったんですか?」

 前に共に来た時も、確かササコ先輩に会計をしてもらった。何だか奢られてばかりだな、と思っていると、先輩が僕の瞳を覗き込みながら少しばかり胸を張った。

「いいんですよ。これでも私、タカトくんの先輩ですから。後輩くんは遠慮なんかしちゃ駄目です。奢られるのも特権、ですよ?」

「すみません、ご馳走様です。次は僕が出しますから」

「ふふ、次のことも考えてくれているんですね。嬉しいです。そうしたら、ミルクレープに生クリームとフルーツのトッピングもつけちゃいますね。あ、別のスイーツを頼むのもいいかもです」

 頭の中であれこれと想像をしているであろうササコ先輩。トッピングふたつ、スイーツ一品で二回分の奢りのお礼にはならないだろう。その辺りまで考えているのかなと思うと、あくまでも「先輩」としての面目を保ちたい彼女の思考が読めるようで、少しだけ愛らしく感じてしまった。

「それにしても、最近は肌寒くなりましたね」

 帰路を歩んでいた足を止めながら自らのコートの袖を伸ばし手を隠そうとするササコ先輩。暖かそうなウールコートとはいえ、この秋から冬へと変わる季節の寒さは堪えるものがあるはず。

「そろそろマフラーと手袋の季節ですね」

「ええ。人間界の冬は寒いので、防寒具は欠かせません。そうだ、タカトくん。今度、もしよかったら一緒に買いに行きませんか? 去年のマフラーがヒドゥンとの戦闘で千切れてしまっているのを思い出しました」

「そうだったんですか? でも、僕よりもクレインやホノカの方が適任だと思いますけど……」

 今でも偶にクレインと服を買いに行って、レディースを見ることもあるが、何となく気恥ずかしさは拭えないものだ。クレインとでさえそうなのだから、先輩と行きでもしたらきっと緊張してしまう。

 それでも、彼女は。普段滅多に見せない顔で。ほんの僅かに頬を膨らませて、言う。

「私はタカトくんと行きたいんです。もう、鈍いんですから。タカトくんの目線で見て欲しいのに」

「え、先輩?」

 ササコ先輩の瞳を、吸い込まれるように見つめてしまう。表情から、嘘を言っているようには思えなかった。僕をからかおうという魂胆も、見当たらなかった。先輩が本音でそう思ってくれているとすれば、こんなに嬉しいことはない。

 先輩の指先が、僕のコートの裾へと触れる。暗闇でも映える真っ白な指で、コートの生地を軽く掴む彼女。上目遣いで、自らの心情を言葉に変えていく。

「今日は久し振りにタカトくんと会えて、一緒にお茶を楽しめて、充実していました。でも、もっと埋め合わせをしたいなぁって。ですから次の予定、またふたりきりでは駄目ですか?」

「駄目なんてとんでもないです! むしろ嬉しい、というか……」

「嬉しい、ですか?」

 先輩との距離が一層縮まった。コートの厚い布越しでも伝わる、先輩の温もりと柔らかさ。特に、クレインでは遠く及ばないふたつの膨らみが、僕の胸へと軽く押し当てられて、どう反応すればよいか本当に分からなくなる。

 このまま、先輩に触れてもいいものか。

 過るのはもちろん、クレインの表情だ。ここで先輩に触れたら、僕はクレインを裏切ることになってしまわないか。それでも、抑圧された理性が崩壊してしまうのも時間の問題だ。自分の中の天使と悪魔が言い争いを繰り広げていた、そんなとき。

 不意に、先輩が僕の身体から離れた。あまりにも一瞬の出来事に、思考が追い付かない僕。ただ、先輩の瞳が大きく見開かれていたのは酷く印象的だった。

「ササコ、先輩?」

「……タカトくん、ヒドゥンの気配が濃いです。恐らくは、この先の公園ですね。気を付けて――ッ!?」

 ササコ先輩が最後まで言い切る前に、何かを察知したのか僕の肩を掴むと、そのまま地面に押し付けるように力を加えた。瞬間、頭上を通り過ぎたのは一陣の風。その風の正体は、かつてアイドル少女、キララと共に現れたヒドゥンと同じ人型。右手には禍々しい漆黒の剣が握られており、瞳だけがぎらりと光って僕たちを見据えている。ササコ先輩が反応してくれなければ、僕の首は簡単に斬り落とされていただろう。冬に近い秋、寒さに身を震わせるはずが、背中に一筋の冷や汗が零れてしまう。

「ヒドゥン……!」

「危ない所でしたね。ホノカさんが刃を交えたと言っていましたが、あれがコハク型ですか。こうして対峙するのは初めてです。タカトくん、これを」

 コハク型を睨みつけるササコ先輩は、自分の小さな荷物とウールコートを僕に手渡した。

 先輩の体温が仄かに感じられ、こんな状況にも関わらず胸が高鳴ってしまう。だが、ピンク色の思考を繰り広げている時間はない。僕はすぐにコハク型の弱点を、彼女へ教えた。

「先輩、コハク型の弱点は左胸です」

「情報、ありがとうございます。すぐに終わらせますから、タカトくんはそこに居てくださいね」

 ササコ先輩が耳からピアスを外すと、あの独特の眩い光が辺りを包み込み、先輩の武器であるヴァリアヴル・ウェポン「メリン」が姿を現した。一見、古い樹木を使用した杖のように見えるその武器の内部には、鋭い刃が隠されている。

 コハク型はササコ先輩を敵だと認識し、武器である剣を構えた。そんなヒドゥンにまるで臆することもなく、杖を片手で持ったまま、ヒドゥンへ歩み寄る先輩。そしてあろうことか、彼女はヒドゥンに話しかけ始めた。

「ヒドゥンさん、よーく聞いてくださいね」

 後ろ姿からでは彼女の表情は見えないが、語り口調はまるで子供を相手にする母親のようだった。もちろん、ヒドゥンが聞く耳を持つはずがない。とはいえグルタ型のように本能だけで動くわけではないコハク型は、ササコ先輩が何をしてくるのか見極めようと様子を覗っている。

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