第四章 - Ⅵ

「――ん、んんッ……ここは?」


 ホノカの傍らで横たわっていた灰色の少女が目を覚ます。その場にいた全員が彼女へ注目の視線を投げた。まだ頭がふらつくのだろうか、右手で軽くこめかみを押さえつつ周囲を見回す。彼女に対しいち早く行動したのはホノカだ。すぐにネックレスを刀へと変化させると、少女へ刃を向ける。

「タカト、気を付けろ」

「うん、でも……」

 ホノカに促されるように彼女の背後へと回るが、どうやら様子がおかしい。先程のような殺気を少女から感じないことに加え、その瞳には僅かながら光が戻っているように見受けられた。刃を向けられても、灰色の少女は自分の身に起きたことを整理するので精一杯の様子だ。

「ちっ……面倒だね。クローネ、そろそろ家に帰るよ」

 クレインともう一度距離を取ったコルネイユ先生の顔が歪む。クレインとの戦闘時すら自信に溢れていたコルネイユ先生が、初めて見せた表情。まるで彼女の想定外の事態が起こっているようだ。

 クローネと呼ばれた少女はその場からよろよろと立ち上がるが、コルネイユ先生を見据えるなり目を見開いてびくんと肩を跳ね上げた。

「あ、なたは……ッ、い、嫌、私は帰りません。帰ったら、まッ、また――」

 どこか恐怖に怯えるように目を見開く少女。その一部始終を見ていたホノカは、咄嗟にサトラの切っ先をコルネイユ先生へと向け直す。

「先生。この執行兵は怯えているようだが? もし彼女が先生の味方でないのなら、状況は一転することになるな。さすがの先生でも、クレインと私のふたりを同時に相手取るのは厳しいはずだ」

 艶めかしいばかりに光る刀身。一瞬目を細めたコルネイユ先生は、大きく息をつく。

「……ふぅ、やはり十分ではなかったようだ。我が妹もなかなか甘いところがあるから、きっと手を抜いたんだろうね。本気で洗脳して玩具にすれば、こんなことにはならなかったのに」

 我が妹、洗脳。またもよく分からない単語が並ぶ中、灰色の少女だけは尚も身体を震わせる。彼女の洗脳をしているのはコルネイユ先生ではないということだろうか。その真意はまるで読めない。

「まあいいさ。どちらにせよ、近い内にまた相まみえることになる。そのときまでにクローネを手懐けられるといいね。君たちにはまず無理だろうけれど」

 ホノカの言う通り分が悪いことを察したのか、コルネイユ先生は展開した武器を元のライターへと戻し、白衣のポケットへ仕舞う。それとほぼ同時に、対峙していたクレインに踵を返そうとした。

「な、待ちなさいッ、片眼鏡!」

「先生のことは敬いたまえ、三回目だよ」

 クレインの静止も厭わず、白衣の裾が闇夜に翻る。ヒールでアスファルトを叩きながら、先生は消えていった。


 クレインとコルネイユ先生の戦闘から少し経って、僕、クレイン、ホノカ、そして灰色の少女は、ひとまずホノカ邸に向かうことになった。記憶の混濁が見て取れる少女をその場に放っておくわけにもいかず、ホノカが提案したのだ。クレインも渋々ながら同意し、僕も少女の話を聞いてみたかったので首を縦に振った。

「……で、単刀直入に訊くけれど、あなたはいったい何者なの?」

 家に着くなりソファに腰を下ろしたクレイン。対面に座った灰色の少女を、半ば睨むように見つめる。おずおずと顔を上げた少女。クレインの視線を受けて僅かに委縮するように肩を竦める。

 灰色の髪をサイドテールに結わいて、瞳も同じ黒とも白とも取れない不思議な色。服装は初めて会ったときと同じ、クレイン曰く「研修生時代の制服」だ。黒を基調として金色の装飾が印象的な衣服。短めのプリーツスカートの上で、少女は硬く拳を握る。


 そして、コルネイユ先生も口にしていたその名をゆっくりと呟いた。


「私は……クローネ、っていいます。何者かと訊かれると、少し返答に迷いますけど」


 灰色の少女、クローネ。かつてクレインと激しい戦いを繰り広げた張本人だ。あの夜とはまるで別人のような態度。コルネイユ先生が放った言葉も総合すると、全て合点がいく。

「そう。なら無理に答えなくてもいいわ。その様子だと、私と戦ったことも覚えていないようね」

「覚えていません、すみません。えっと……」

 クローネはどうやら僕たちの呼び方を困っているらしい。それはそうだ、例え刃を交えた仲であってもお互いの名前は知らない。そもそも、クローネに記憶はない様子だ。クレインは目を閉じながら小さく息をついて、その青い瞳を再びゆっくりと開く。

「私はクレイン。執行兵よ。こっちの人間がタカトで、キッチンに居るのがホノカ。覚えられた?」

「えッ、人間……!? どうして、人間が私たちのことを?」

 クレインの質問に答えられないほど、クローネにとって僕の存在は稀有に映ったらしい。彼女の瞳がまるで不審者でも見るように細められて、僕は思わず萎縮してしまう。

「それには一言で語れないくらいの経緯があるのだけど、簡単に言えばタカトに対しては記憶の操作を放棄しているのよ。昔は人間サンプルのひとつくらいの認識だったけれど、今は立派な仲間。ヒドゥンを狩るために一緒に戦ってもらっているわ」

「ヒドゥンを……?」

 尚も訝し気な視線を向けるクローネ。当たり前といえば当たり前の話なのだが、クレインたちの存在に慣れ切った僕は自分が受け入れられていないこの状況がどこかむず痒かった。クレインの代わりに、僕が口を開く。

「うん。僕はヒドゥンの弱点を見ることができるんだ。その箇所をクレインたちが的確に攻撃すれば、効率よく奴らを倒せる。最も、最近は少なくなってるけどね」

「そんな話、聞いたこともありません。確かに、執行兵の研修中に効果的な部位などは教わりましたが……」

「無理もないわ。恐らく、教官殿たちをはじめとした上層部もタカトの情報は掴んでいないはず。もしゲートの調査が進んで、私たちの世界と行き来が可能になったら報告しに行くつもりよ。果たしていつになるかは分からないけれど」

 クレインの言葉を受けたクローネはそれ以上何も言うことはなかった。とはいえ、僕が認められたかというと怪しいところだ。

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