第五章 ‐ Ⅶ

 彼女が本当に訊きたかったのはここからだ。どのようにして、僕がクローネの情報をアルエットに明かしてしまったのか。正直、話し辛さはある。クレインがどういう反応をするのか、僕にも分からない。

「えっと……多分、気絶させられたんだと思う。気が付いたら倉庫の中にいて、そこにはアルエットもいたんだ。コルネイユ先生から聞いたのかは分からないけど、僕の名前も知ってた。それから――」

「それから?」

「……色々と、触られた」

 クレインの眉がピクンと動いた。狭い倉庫の中、種族は違えど僕とアルエットは男女。そんな状況で「触られた」なんて言葉を出せば、行きつく答えはひとつだけだ。もちろん触られたと言ってもそれ以上のことをしたわけではない。ただ、クレインの琴線を大きく揺らしたことは確かだった。

 証拠に、氷の刃のような彼女の言葉が、胸に突き刺さらんとばかりに飛び込んできた。

「つまり、あなたは私に擬態したアルエットに迫られて、身体を触られて、まんまと情報を渡したわけね?」

 普段よりもずっと低いクレインの声は、圧倒的な威圧感と共に僕の耳の奥へと響く。彼女の言っていることは一字一句間違いなく正しいのだが、身体を触られたと聞いたところで彼女がどれだけの想像をしたのかは分からない。焦りが最高潮に達して、何とか彼女に伝えようと声を荒げる僕。

「そ、そう、だけど……本当にそれだけだから!」

「それだけ? その「それだけ」があったから、クローネは攫われてしまったのよ?」

 クレインの言葉にそれ以上返せない僕は、俯きつつ視線をクレインから外した。クローネの情報を簡単に渡したことは責められるべきだし、僕だって十分に反省はしているつもりだ。そんな心中を察してくれたのか、クレインは僕の顔を上目遣いで覗き込む。

「この場で議論を重ねても、あなたがいくら言い訳をしても、クローネは帰って来ないわ。それに、アルエットが何をしてくるか分からない状況で、あなたの命が助かったこと。あなたが今こうしてここに立っているのもまた事実よ……本当に、無事でよかったわ」

「クレイン……」

 温かい彼女の声を聞いて胸の奥がじんわりと熱を帯びる。このまま責め続けられたら身が保たないところだった。しかし、次の瞬間。唐突に伸びた彼女の腕が、僕の肩を掴む。

「え?」

 気づいたときには、僕は付近の電柱に身を委ねていた。肩を掴まれて押し付けられた背中から感じるひんやりとした冷気。そして、どこか顔を赤らめた目の前のクレイン。どういう反応をしたらよいか分からず、僕は固まる。

「それはそれ、よ。アルエットに、どこをどこまで触られたの?」

「え、ええっ?」

「早く答えなさい。答えないと串刺しにするわよ」

 物騒な物言いだが、そんな彼女は先程のアルエットを想起させるように、僕へと身体を密着させようとする。こんなところまで似ているのか、と思う隙もなく、彼女の柔らかい身体と心地よい体温が僕へとしな垂れかかる。アルエットのときに感じた恐怖は皆無だが、いかんせんこの体勢は心臓に悪い。お互いの心の音が聞こえてしまいそうな距離、クレインは僕の返答を待つ間に肩の手を二の腕に滑らせる。

 毎日背中を合わせて眠っているとはいえ、こうして改めて触れられるとどうしても恥ずかしさが募る。電柱の冷たさを忘れるほど火照る身体。すぐ側にいるクレインを見据えると、不意にその視線が合う。宝石のような青い瞳がきらりと光って、幻想的に映る。

「え、と……あ、足で僕の足を挟んで……」

「足で……? それ、あなたの欲望じゃないわよね?」

 そうは言いつつもニーハイソックスに包まれた足で僕の太股を挟み込むクレイン。その瞬間に感じる素肌の感覚。人通りが少ないとはいえ、路上でこんな姿を見られたらどうなってしまうのだろう。そんなスリルさえも、緊張を助長するエッセンスとなり得た。ぎこちないながらも身を寄せるクレインは、その息を次第に荒くしていく。

「は、ぁっ……これ、すごく恥ずかしいわ。それで、終わり?」

「いや、その……太股を、何回か触られたかな」

「随分と深いところまで許したわね。こんな感じ、かしら」

 するりと伸びたクレインの指が、先程のアルエットと全く同じ箇所に触れ、ゆっくりと撫でる。思わずぴくりと反応してしまう僕。

「クレ、イン……」

「ねえ、次は?」

 彼女の声もだんだんと艶っぽくなり、身体を揺らすたびに彼女の控えめな胸が肋骨の辺りに当たる。互いに一番近い距離で触れ合っている状況、今夜は眠れそうにない。

 きっと彼女は、アルエットに対し何か思うことがあるに違いない。自分と似たような容姿を持った存在が僕にしたことをなぞるように。

「ッ……も、もうこれ以上はされてないよ」

「本当? じゃあ、こんなことは?」

 そのとき。クレインと視線の高さが揃う。彼女が背伸びをしたのだ、と思ったときには、僕の唇は彼女によって奪われていた。

「――ん、ッ……」

 触れるだけの短いキス。初めてではないにせよ、触れたその箇所から全身に波及するように、熱が広がる。寒空に晒された彼女の唇は、少しだけ冷たかった。

 キスを終え、彼女は名残惜しそうに、ゆっくりと僕から離れる。身体を寄せ合っていた時間は短い。しかし、気を抜いたら足がもつれてしまいそうな程、頭の中の整理が追い付かない。

 そして、彼女は言い放つ。


「――こうしてあなたに触れられるのは私だけ。アルエットはもちろん、ホノカとも、ササコ先輩とも、絶対に許さないわ」


 夜の闇が支配する空間でも、彼女の朱に染まった頬を隠すには適さないようだ。

 そんな顔を見せまいと踵を返すクレイン。彼女が一歩を踏み出すと共に、その綺麗な銀色の髪と手首の腕輪が揺れる。

「ちょ、待ってよ!」

 僕も急いで後を追う。クレインの唇が触れた箇所は、未だに温かさが残っている。

 

 コルネイユ先生、そしてアルエット。彼女たちの影は色濃くなるばかりだが、クレインを始めとした頼もしい仲間がいれば大丈夫だ。

 僕はそう、強く確信した。

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