第五章 ‐ Ⅵ

 クレインと共にホノカの家を出ると、秋というよりも冬に近いような冷たい風が頬を撫でた。僕たちは会話もなく歩き出す。歩調は、自然と彼女に合わせていた。いや、彼女が合わせてくれているのかもしれない。誰もいない夜道に、ふたりの靴音だけが響いている。

 何か話しかけなければと心の中では思っているが、どうしても脳裏を過るのはアルエットのこと。初めて出会ったあの日、クレインやホノカにその存在を隠した。そして、今日。再び姿を現したアルエットに対し、クローネの居場所を教えてしまった。それも、倉庫の中でおおよそ言葉では言い表し難い行為の末に。一歩間違えていれば、どこまで進んでいたのか分からない。本当の意味で、僕は身体を弄ばれてしまっていたのかもしれない。

 もちろんその行為自体もクレインには伝え辛い。しかし、何よりも障害になってしまっているのが、クレインとアルエットの容姿が酷似している事実だ。髪の長さ、目の色、性格などはまるで違う。けれど、その白い髪は遠目から見ればクレインだと錯覚してもおかしくはないほどだ。今日の倉庫前での出来事。あれは本当に、ただ単に僕がクレインとアルエットを見間違えただけなのだろうか。それとも、アルエットには僕に作用できる手段があって、それを行使されたのだろうか。ひとりで考えていても、答えらしい答えは浮かばない。

「……ねえ、タカト」

 家までもう少しといったところで、クレインに文字通り袖を引かれた。彼女の方から話しかけられるとは思っていなかった僕は、不意の出来事に驚きを隠せない。

「ッ、な、何?」

「何? じゃないわよ。私に言うべきこと、あるんじゃないかしら」

 クレインと視線を交わす。月の明かりが彼女を照らし、同時に吹いた微かな風が白銀の髪を揺らす。その一本一本がふわりと風に靡き、幻想的ともいえる雰囲気を創造している。

 僕の口は重いままだ。どこまで話したらいいのか、自分でもよく分からない。

 それでも、少しでも彼女のためになるのなら。僕はぽつりと言葉を落とし始めた。

「えっと……クレイン、改めてごめん。結果的に、君やホノカの手を煩わせることになって。これも僕がアルエットにクローネの情報を教えたせいだ」

「ええ、それは分かっているわ。でも、私が本当に訊きたいのはそこじゃないの。タカトがいつアルエットと会って、どういう方法で情報を開示したのか……あなたの口から聞かないと納得ができないわ」

 彼女の青い瞳は確かな意志を僕にぶつけてくる。是が非でもアルエットの話を聞きたい。そんな意志だ。謝罪の言葉だけで逃れるわけにはいかない。僕は決意を新たにする。

「分かった、全部話すよ。最初に彼女と会ったのは、クレインの言った通り君たちが先生の頼まれごとをしていたときだった。校門の前で誰かを待っていたみたいだったけど、今考えるとあれはコルネイユ先生を待っていたんだね」

「でも、あのタイミングでは片眼鏡はまだ着任していないわ」

「そうだけど、クレインやホノカの素性を探るために潜入していたとしてもおかしくないかなって。あくまでも僕の考えだけどね。そのときはお互い名乗らずに別れて、それで終わりだと思ってた」

 そういえばあの後、クレインから「後で何かあったら許さない」と言われたのを思い出す。もちろん彼女からの非難は受け入れる覚悟はあるが、今は自分の身に起こったことを全て話すべきだ。

「でも、今日……生徒会の倉庫に行ったら、君がいたんだ」

「えっ、私? 私はホノカと生徒会室にいたわよ?」

 クレインは出るはずのない自分の名にキョトンと呆けたような顔を見せる。ただ、僕に言わせればそうとしか言えないのだ。

「そうだよね。実際、倉庫の前にいた君は君じゃなくて、アルエットだったんだけど」

「……あの女と私を見間違えたってこと?」

 明らかに不機嫌そうな表情を浮かべるクレイン。ほとんどその通りなのだが、ひとつだけ弁明したい点がある。

「えっと、まあ、そうなんだけど……本当に、クレインそっくりだったんだ。髪の長さも、身長も。君とアルエットは確かに似てるけど、あのときはクレインにしか見えなかった。それこそ、記憶を操作されたのかって思うくらいに」

 そうだ。彼女たちは人間の記憶を操作することができたはず。その能力を使えばクレインの幻影を見せることも可能なのだろうか。しかし、僕は既にクレインの強力な記憶操作を受けているため、何人たりとも僕の記憶を操ることはできないはず。

「妙な話だけれど、あなたが実際に体験したことならば信じるしかないわね。そうね、可能性があるとすれば――」

 クレインは僕から僅かに視線を外し、微かな間の後言葉を紡ぐ。

「人間には、色々と個性があるわ。勉強や運動が得意だったり、苦手だったり。容姿も、思想も、体格も、性格も。何もかもが違って、誰にでも何かしら秀でたものがある。それは、私たちも同じなのよ」

 彼女たちもまた、僕たちと同じ自らの意思を持った存在だ。端的に言ってしまえば異世界の存在なのだけど、きっとその本質は人間と変わらない。

「個性?」

「ええ。私たちは人間に対して記憶を操作することができるわ。それはどんな執行兵も執行兵ではない存在も共通して持っている能力。あなたも知っている通り私は他の執行兵では上書きできない強力な記憶操作を施すことができるわ。これは私の個性であって、人間で言うところの頭脳や身体能力が優れていたりするのと同じ理屈よ」

 本当にぼんやりとだが、クレインの言いたいことが分かったような気がした。ただ、僕は口を挟まずに相槌だけを打つ。

「それを前提として、私の考えなのだけれど……アルエットは、恐らく私たちの世界の住人にも通用するような、そして人間にも作用する記憶操作を行うことが可能なのよ。私が記憶操作を施したタカトに効くのだから、そうとしか考えられないわ」

「つまり、アルエットはクレインよりも強力な記憶操作が行えるってこと?」

「それは微妙なところね。あなたの視覚に作用したということだから、私とは別のベクトルで記憶操作ができるのかもしれない。まあ、それはこの際関係ないわ。もう起こってしまったことだから、いくら仮説を並べても仕方がないもの」

 代わりに、クレインはずいっと僕に顔を近づけてくる。彼女と自然に視線を交わすことになり、その美しい顔立ちを間近で見据えてしまう。

「クレイン?」


「私に擬態したアルエットに、その後どうされたの?」

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