第三章 - Ⅱ
放課後。今日も学祭の準備のため、僕たち三人は生徒会室へ集まった。ただ、学祭の話は一旦保留になり、すぐに別の話題にシフトすることになる。
「ねえホノカ。あのコルネイユとかいう女教師、どう思う?」
「お前が私に意見を求めるなんて珍しいな、クレイン。現状怪しい点はないと思う。実際、彼女がヴァリアヴル・ウェポンを携帯している確証もなかった。確かに普通の人間にしては奇抜だが、世の中にはああいう人間もいるんだろう」
「そうだけど、何か引っかかるのよね。執行兵ではないにせよ、私たちと無関係とも思えないというか。気持ち悪いわ、このモヤモヤした感じは」
用意した緑茶を啜った後、クレインは頭を抱えるような仕草を見せる。思考はかなりキッパリとしているクレインだが、こんな姿は珍しい。
「タカトも不自然なところは見受けられなかったんだろう? 少し変わった教師という認識で問題はないはずだ。もし我々に攻撃してくることがあれば対応するし、いざとなればササコ先輩の力も借りられる。お前が悩むことはないさ」
「悩んでいるとも少し違うのだけど。この微妙な感覚はきっと私にしか分からないわ。学祭の準備も順調だし、今日はこのまま――」
クレインはきっと「帰りましょう」と言いたかったのだと思う。タイミングよく、校内放送を告げるチャイムが響いた。
『二年A組竹谷タカト、至急化学準備室まで来るように。繰り返す、二年A組竹谷タカト……』
あろうことか呼ばれたのは僕の名前。それも、どうやら校内放送の声の主はコルネイユ先生だ。思わず肩が跳ね上がる。
「え、僕?」
「あら、ちょうどいいタイミングね。私も同行するわ、タカト。あの女教師の素性を暴いてファロトで串刺しに……」
「待て、クレイン。もし我々に無関係の普通の人間だったらどうする? 先行した思いだけで行動するのはリスクが高すぎる。ここはタカトに任せてはどうだ?」
ホノカの言うことは最もだ。以前のルーシャさんの仇討ちのときもそうだったが、クレインの行動力は両刃の剣になり得る。罠だったにせよ、ここは僕がひとりで話を聞いた方が良いはずだ。
「そうだね……クレイン、もしコルネイユ先生が僕たちの敵だったにしても、すぐには僕を殺しに来ないと思う。ディカリアの連中もそうだったし、それにここは学校の中だし。まずは僕がひとりで行くよ」
クレインに告げてソファから立ち上がる。彼女はまだ不服そうな顔をしていたが、生徒会長の椅子に座るホノカはきちんと送り出してくれた。
「くれぐれも気をつけてな、タカト」
「うん、行ってくるよ」
生徒会室の扉を閉じた後にふと思う。クレインにはああ言ったが、僕も彼女と同じく多少のモヤモヤを感じている節はある。それを自分で確かめに行くとなると、当然、幾ばくかの不安は募るものだ。
そして、コルネイユ先生に対して僕が感じていることがもうひとつ。彼女とは初めて会った気がしないのだ。それは、先日出会った純白の少女へ抱いたものと同じ感想。自分の中でその靄が拭えていない状況にある。
コルネイユ先生と一対一で会えば、その答えに少しでも近づける気がする。そんな確信を持ちつつ、僕は化学準備室へと向かった。
特別棟の三階、化学準備室の扉を開くと、様々な薬品の臭いがツンと鼻についた。一般的な教室の半分くらいの広さを持つ薄暗い室内の奥で、ひとりの女性教諭が簡素なパイプ椅子に腰を下ろしている。僕の姿を捉えた彼女のモノクル。コルネイユ先生で間違いはなかった。
「やあ。以外と早かったね」
「先生が至急と仰られたので……ところで、僕に何か御用ですか?」
正直なところ、僕とコルネイユ先生の接点は限りなくゼロに等しい。それなのになぜ僕を呼んだのか。特に課題などの存在も見当たらないところを見ると、クレインの言う通り本当に執行兵の関係者なのかもしれない。そう考えると自然と身体に力が入る。
「用……といっても、君と少しだけ話がしたくてね。ちょっと失礼」
彼女は何を思ったか、パイプ椅子から立ち上がって白衣のポケットから何かを取り出した。小さな箱、煙草だ。箱の底をトントンと叩いて一本取り出すと、さも当然のように反対側のポケットから取り出したライター。そのライターにどこか不思議な感覚を覚えながらも、慌てた僕はそんなことに構ってすらいられない。すぐに静止を促す。
「ちょ、先生! ここは学校ですよ。吸うなら外で――」
「いいじゃないか。これから大事な話をするのだから、一服くらいはさせてくれたまえよ」
紫煙を燻らせるコルネイユ先生。煙から発せられる匂いが薬品のそれと混じって、何とも不快な物に早変わりする。
それはそうとして、彼女の「大事な話」のくだりがどうしても気掛かりだった。いつ彼女の口から本題が語られるのか、緊張で嫌な汗が吹き出してしまいそうになる。
「ふー……やはりコレがないと落ち着かないな。私をこんなに虜にするのだから大したものだよ」
「大事な話って、まさか煙草の話じゃないですよね?」
「もちろんだとも。健全な青少年に大人の嗜好品の話をしてどうする? 私に非行少年を生み出すような趣味はないよ」
コルネイユ先生と会話をしていると、まるで雲を掴んでいるかのような錯覚を覚える。捕まえようとしても、ふわふわと指の間をすり抜け、霧散してしまう。そんな彼女の言葉や態度。暖簾に腕押し、という慣用句が思い浮かんだところで、彼女は煙と共に言葉を放った。
「あまり君を弄ぶつもりもないから、この辺りで本題に移ろうか。その前に、確かに君を呼んだのはこの私だ。そして君は実に律儀なことに、ひとりで物理準備室へやってきた。色々な手段が取れたはずだ。例えば帰宅したことにしてここに来ないこともできただろうし、或いは――」
先生のモノクルの下で、全校集会の際はあれほど眠そうだった瞳がきらりと光った。
「君の大切な「執行兵」の少女たちと来る選択肢もあったはずだよね」
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