第六章 ‐ Ⅱ
どのくらい歩いただろうか。住宅地が疎らになり木々や畑が目立つエリア、開発の手がそれほど及んでいない街の外れ。人通りはほとんどなく、だからこそコルネイユ先生の尾行には細心の注意を払う必要があった。そんな中、遠巻きに視界へと飛び込んできた一軒の建物。クレインがぽつりと呟く。
「何、あれ……洋館?」
僕も全く同じ感想を抱いた。赤煉瓦造りの建物には蔦が這い回っており、時の流れに取り残されたような、どこか物憂げな雰囲気を漂わせている。夜と呼んで差し支えない時刻だが、洋館には一切の明かりが灯っていない。
コルネイユ先生はまさにその洋館へと向かった。正門の鉄扉を経て広々とした庭園の中へ入り、煙草を咥えたままいかにも重そうな木製の扉を両腕で開ける。そのまま彼女ひとりが通れるギリギリのスペースから、先生は洋館の中へと姿を消す。僕たちはその一部始終を付近の塀の影に隠れながら注視していた。
「あの家だな。寂れてはいるが随分と豪奢なものだな」
「ええ……人間の姿がないとはいえ、さすがに正面突破は難しいかしら。タカト、ホノカ、裏口を探しましょう」
確かにクレインの言う通り、入口からの侵入はリスクが高い。この屋敷の住人がコルネイユ先生とアルエット、そしてクローネだけとは限らない。第三者に見つかってしまう可能性を考慮すると、裏口を探すのが得策に思えた。
クレインの提案を受けたホノカは洋館を一瞥すると、その窓を小さく指さした。
「今は明かりが付いていないようだが、中から誰かが見張っているかもしれない。堂々と歩くのはリスクが高い。できるだけ隠れながら行くぞ」
辺りは憎いほど見晴らしがよく、電信柱くらいしか身を隠すものはない。それでも僕たちは、ホノカを先頭にこっそりと洋館の裏に回ろうとする。そのとき。
「……――?」
僕は確かに感じた。何者かの視線を。震えた背筋に、強張る身体。洋館の窓を見ても、相変わらず明かりは付いておらず、先程の視線の正体は分からず仕舞いだ。僕の歩みはクレインとホノカに比べ少々遅くなる。
「タカト?」
クレインが心配そうに声を掛けてくれた。ただ、もしかすると気のせいかもしれない。あの洋館にアルエットが居る。それは事実かも知れないが、彼女が見張っているとは限らない。
「あ、ううん。何でもないよ」
「そう? ならいいけど」
クレインとホノカはあの視線を感じなかったようだ。本当に勘違いだったのか、或いは僕だけに注がれたものだったのか、それは分からない。
ただ、僕の脳裏には昨日の放課後に姿を現したアルエットの翡翠のような瞳がフラッシュバックしていた。
洋館の裏口は驚くほど簡単に見つかった。裏庭への入口となっている簡素な鉄製の門の先には、片手で開けられそうなほどの木製のドアが取り付けられている。裏手にも窓はあったが、日当たりの都合からか正面ほどの数ではない。
「ここが裏口か。入ったら敵陣だ、用心しろ」
「ええ、分かっているわ。でも……なんだか、思い出すわね。アミナと戦った夜、学校に忍び込んだこと」
敵の本丸を目の前にして、クレインはほんの少しだけ穏やかな表情を見せた。そういえばあのときもこのメンバーだった。ミオリとヒメノが倒れ、ササコ先輩もまだ敵だと思われていた中、罠を承知で夜の高校へ出向いた。ササコ先輩がこちら側に寝返ったこともあり戦局をひっくり返したクレインは、見事アミナを討ち破った。あの日の記憶がまるで昨日のことのように鮮明に蘇る。
「ああ。私もそう感じているよ。今だから言えるが、あの夜はディカリアの三人を相手取らなければと内心不安だった。もしササコ先輩が敵方のままだったら……そんなことを今でも考えることもある」
「確かに、ね。先輩がこちらについてくれていなければ私も戦う術を失ったまま、あなたに全てを任せるしかなかったわ。タカトも、よく先輩と対峙して逃げ出さずにいたわよね」
「まあ、アミナやキララに比べれば話を分かってもらえそうだったし」
先輩ならばすぐには僕を斬らないだろうと根拠のない確信もあったような気がする。それが、結果的にディカリア勢力の殲滅という結果になった。
しかし、今この場に先輩はいない。コルネイユ先生とアルエットは執行兵ではなく、もちろんディカリアの残党でもない。ということは、ヒドゥンが姿を現す可能性は限りなく低い。そんな場に僕が付いて来て大丈夫なのか、今更ながらに疑問が湧く。
それでも、彼女たちの活躍をこの目で見届けたいと強く思う僕も、確かに存在していた。
「コルネイユ先生やアルエットは話を分かってもらえるような相手ではなさそうだ。タカトの命を真っ先に狙ってくる可能性も否定できない。彼女たちとの戦闘は極力避けて、クローネを解放することだけを考えよう」
「ねえ、ホノカ」
ホノカがヴァリアヴル・ウェポン「サトラ」を展開し、今まさに裏口の扉を開けようとしたとき。クレインが不意にホノカの名を呼んだ。
「なんだ、クレイン」
「この作戦もあなた発案だし、随分とクローネのことを可愛がるのねって思っただけよ」
クレインの口調は何処となく揶揄っているようも聞こえた。しかし、ホノカは少しだけ照れくさそうに頬を掻く。
「それは、まあ……お前も「先輩」って呼ばれて、満更でもなかっただろう? それに、もしクローネが生徒会のメンバーに入ってくれれば、もっと賑やかになる。そんな学園生活を想像してしまったんだ」
「ふぅん、あなたも丸くなったわね。でも、悪くないかも」
微笑みを交わすふたり。彼女たちにとっては執行兵の後輩であり、これから生徒会の後輩になる可能性もあるクローネ。どうして人間の世界に来たのか、まだまだ彼女の素性は分からないことが多い。
ただ、ひとつだけ確実に言えることは、僕もホノカの言葉には全面的に同意だということ。僕のことを先輩と呼んでくれるかどうかは分からないが、メンバーが増えた生徒会の未来を想像して、僕もクローネ奪還に向けてできるだけの協力はしたいと強く思った。
ホノカが先導しドアノブを回す。裏口は施錠されておらず、扉は簡単に開いた。
「――よし、作戦開始だ。行くぞ」
静かながらも芯の通ったホノカの言葉を受け、僕たちは洋館へと潜入した。
明かりの灯っていない洋館の内部は仄暗く、ひんやりと澄んだ空気に支配されていた。
武器を携えたホノカを先頭にゆっくりと進む。絨毯を踏む足音すら耳の奥で残響するほどの静けさ。その不気味さ故か、僕の背筋は強張ったままだ。
洋館の裏口を少し進むと、月明かりが微かに差し込む回廊へと辿り着く。微かな風が窓に嵌め込まれた古いガラスを揺らし、そんな音にすら過敏に反応してしまう自分に戸惑いを覚えた。
「どういうことだ……コルネイユ先生は確かにこの洋館へ入ったはずなのに、誰の気配もない」
ぽつり、とホノカが呟いた。この場にいる三人の意見を総括するような言葉。そこにあるはずの営みをまるで感じない。例えるならば廃墟だ。時の流れに置き去りにされ、誰の記憶にも残らなくなってしまった存在。
「全くね。学祭の催し物のお化け屋敷みたい」
「我が校の生徒もこのくらい本格的に作ってくれると、見応えがあるんだがな」
これは「本格的」の域を超えているんじゃないかという意見は野暮だろうか。作り物ではなく、ごく自然に存在している異質な物。幽霊の類が突然現れても逆に驚かないだろう。
多少の埃や黴臭さ、床に散らばった陶器の破片や蜘蛛の巣などを避けながら奥へ進む。回廊の終着点、つまり洋館の端に辿り着くと、昇り階段が目の前に現れた。西洋建築の様相を呈した、ゆるくカーブを描くようなそれの先には、深淵の闇が広がっている。
「これを上るしかなさそうね。それにしても、クローネは一体どこに――」
先の見えない暗黒に向かってクレインが呟いた瞬間だった。
「――あああああッ……!!」
デストロイエンジェル2 -宵闇の堕天使- 零時桜 @yozakura_zeku
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