第一章 - Ⅴ

「お話だけで引いてくれるなんて思っていませんよ? でも私、今とっても、とーっても怒っているんです。誰だって怒りますよ、いい雰囲気の所に乱入されたら。それもあろうことかヒドゥンですよ、ありえません」

 彼女は何を言っているのだろう。一向に戦闘態勢に入らず、自らの感情を吐露し続ける先輩。意思を持って行動すると言われるコハク型も、先輩の行動には動揺を隠せない様子だ。

「せっかくタカトくんと次に会う約束もしようとして、いいお返事がもらえそうだったのに。いいお返事がもらえたら、次にどんな服を着ていこうか、どんなお店に行こうか、どこでお茶しようか悩んで、悩む時間も楽しいなぁって思いながら準備ができたのに」

 ヒドゥンに迫るごとに、語気が強く鋭くなる先輩。その距離はもう、刃を交えられる程に近い。言葉は分からずとも先輩の威圧感に耐えかねたのか、コハク型はついにその刃を振り上げ、先輩に向かって一撃を加えようとする。さすがはホノカと斬り結ぶだけあって、コハク型の動きも素早い。

 しかし。


「――そんな時間を奪ったあなたには、地獄で償ってもらいますよ。ああ、まだ殺して差し上げませんけれどね?」


 ササコ先輩の神速の抜刀に、ヒドゥンが付いてこられるはずがない。実際、僕もその斬撃を目で追うのが精一杯だ。確かに二度、メリンが振るわれた。その刃の軌跡は、あまりのスピードからか遅れて目に焼き付くように浮かび上がる。

 そして。コハク型と正面で対峙していたはずの先輩は、微かな風と共にいつの間にか奴の背後に。先輩の姿を見失ったコハク型が、自身の身体の変化に気づく。

 ――コハク型の振り上げられた右腕と、大地に付いていたはずの左足が、文字通り消失している。いや、違う。一瞬のうちに斬り飛ばしたのだ。片足を失いバランスを崩したヒドゥン。しかし、弱点を潰していないからか、その場に倒れ伏しても藻掻くように、残った左腕で得物を再び手に取ろうとしている。そんな腕にメリンの鞘を打ち付けながら、背筋が凍るほど冷ややかな声で先輩は放つ。

「いい気味ですね、ヒドゥンさん。痛いですか? 痛いですよね? それでも私の心の痛みに比べたら序の口ですよ?」

 あの狂人ヒトヨとは違ったベクトルの恐ろしさを感じる僕。あの先輩が、何かを甚振る様子を見るのは初めてだ。ぞくり、と心の奥底に芽生えた何か。自分が決してそんな被虐趣味の持ち主だとは思わないが、ホノカでも苦戦したコハク型をこうも簡単に無力化できてしまう辺り、先輩の実力は底知れない。

「ヒドゥンさんが自分の愚かさを認めてどうしても許して欲しいと懇願するのでしたら、今すぐに楽にしてあげますけれど。そうでないなら、左腕と右足を順番に斬ってから首を落として、最後に心臓を貫いて差し上げますよ。さあ、どうします?」

 かつてのディカリアはヒドゥンと意思疎通が図れる存在とのことだったが、ササコ先輩はその方法を知っているのだろうか。いずれにせよ、ヒドゥンが応える素振りはない。ササコ先輩の言葉には耳を貸さないばかりか、視線も合わせないようにしながら武器を探そうとしている。

「……はぁ、言葉が通じなければどうしようありませんね。この行き場のない怒りを押し付けるにはちょうどいいと思っていたのですが、あまりタカトくんを怖がらせてしまうわけにもいきませんし。では、さようなら」

 先輩が溜息と共にメリンを逆手に持ち、そのままヒドゥンの心臓へと刃を突き立てようとしたとき。ヒドゥンは、最後の抵抗をとばかりにメリンの突きを転がって避ける。そして、左手で自分の斬り飛ばされた右腕を探り当てると、そのまま左手で武器である黒い剣のような物を先輩へ向かって投げつけた。

「先輩ッ!」

 思わず叫び声を上げてしまう僕。しかし、ヒドゥンの最後の一撃が先輩に届くことは無かった。驚くほどの反射神経で投げつけられた剣の軌道を読み、それをメリンの鞘で弾き返したのだ。

「……!?」

 これにはコハク型も驚きを隠せない様子だ。弾かれた剣は回転しながらヒドゥンへと迫り、腹の辺りに突き刺さる。今度こそ地面に固定されて動けないヒドゥン。改めて、メリンを手にした先輩が奴へと近づく。

「あらあら、随分と往生際が悪いんですね。というか、私に投げてよかったんです? タカトくんに投げた方が、まだ一矢報いれる可能性はあったと思いますけれど」

 先輩の言葉に背筋が凍った。確かに、今の僕は無防備な状態。不意打ちのようにヒドゥンの武器を投げられては回避しきれなかったかもしれない。それだけ、ササコ先輩に対する殺意が芽生えていたということだろうか。ヒドゥンは例のごとく、何も語らない。

「そんなことをあなたに言っても仕方がないですね。そもそも、アミナでもなければあなたたちの言葉を理解できないですし。それでは、今度こそさようなら」

 冷ややかにヒドゥンを見下すササコ先輩は、ヒドゥンに近づいてメリンを抜き放った。鈍色に輝く刀身。触れていないのに、その刃は酷く冷たく映った。

 先輩がメリンを迷うことなくヒドゥンの左胸に突き立てる。弱点を穿たれたヒドゥンは何度か痙攣し、やがて力尽きて光の粒と化していった――。


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