第五章 - Ⅱ

 秋も深くなると、陽が沈む時間は格段に早くなる。すでに夜の気配が漂うグラウンドではサッカー部と陸上部が練習を進めており、彼らの声が遠くから聞こえてくる金管楽器の音色と重なる。吹奏楽部だろうか。学祭のオープニングセレモニーで披露する楽曲の練習をしているようだ。クレインたち執行兵と出会う前は筋金入りの帰宅部だった僕が、まさか生徒会に入って学祭を運営する側に回るとは思っていなかった。自分はイベントを主催するような華々しい存在とはかけ離れているとさえ考えていた。ただ、自分が以前抱いていたその先入観は、生徒会の仕事に携わった途端みるみるうちに氷解していった。むしろ、生徒会役員の方が泥臭く働いている。ササコ先輩の力があったとはいえ、全校生徒から選ばれた存在だ。生徒や教師陣から根拠のない信頼を抱かれている節もある。表舞台に立つその姿、特にササコ先輩やクレイン、ホノカのように容姿も端麗だと目を引きやすいが、同時に生徒の代表としての役割を全うしなければいけない責務も確かにある。そこが楽しくもあり、やりがいでもあるが。

 渡り廊下を通って特別棟まで来ると、先程まで聞こえていた生徒たちの声がぴたりと止む。特別棟で活動をする部活動もあることはあるが、その最たる存在である吹奏楽部は学祭に向け体育館での全体練習をしている様子で、他の部活動はそもそも音や声を出さなかったり毎日活動しているわけではなかったりで、棟全体を静寂が支配している。

「早く終わらせないと……ん?」

 生徒会関係の資料が収められている倉庫までの道の途中、僕はこれまでにないほどの違和感を覚えた。

 僕が向かうべき方向へ歩く、制服を纏ったひとりの女子生徒。その足取りは軽いようだが、後ろを向いているため表情は読めない。距離にして十メートル程だろうか、近くもなければ遠くもない。


 ――問題は、彼女がクレインと似た白銀の髪を持っていたことだ。それもクレインと同じ腰まであるロングストレート。印象的なニーハイソックスはそのままに、後ろ姿だけを捉えればクレインだと声を掛けてしまいそうになる。

 ただ、クレインは生徒会室にいるはずだ。僕よりも先に倉庫へ来ることができたのだろうか。彼女のことだから最短ルートを通ってここまで来たことも考えられる。僕に対する心配が先行して、先に様子を見に来てくれたのかもしれない。

 でも、この胸のざわつきはいったい何なのだろうか?

 クレインらしき人物が倉庫の前で立ち止まる。どうやら鍵が開かないらしい。鍵は僕が持っているため当然といえば当然なのだが、クレインがそのことを知らないはずはない。

 僕が既に中にいると考えた可能性も十分にあり得るので、僕は少しだけ小走りで彼女に近づいた。そして。


「クレイン、生徒会室にいたんじゃ――」


 彼女に声を掛けたそのときだった。

 ――突然、視界が暗転する。意識もだんだんと遠ざかっていく。気づいたときには、僕は倉庫の前に倒れ伏していた。何が起こったのかさっぱり分からないまま、僕は眠るように意識を手放していった。

 完全に意識を失う瞬間。見上げたその存在が、微かな笑みを浮かべたような気がした。


「ッ、ここは……っ、痛ッ――」

 埃とカビの臭いが鼻につく。開けていく視界を巡らせて、その場所が僕の目指していた倉庫だと気づく。ただ、いったいどうしてここにいるのだろう。自ら入った記憶は全くない。そして、首の辺りに感じる鈍い痛みが頭にまで伝播している。何者かに襲われ、ここに入れられた。そう考えるのが妥当だ。しかし、腕も足も拘束はされていないようだ。起き上がって膝を突き、立ち上がる。次の瞬間、グラグラと揺れる視界の隅、にっこりと笑う「彼女」の顔に背筋が凍った。


「ごきげんよう、素敵な人間様。手荒な真似をしてしまいましたが、お身体は大丈夫ですか? ふふ、私が言える台詞ではありませんけれど」


 セミロングに切り揃えられた白銀の髪と、翡翠色の瞳。僕を試しているかのような口調と眼差しに、あの日の記憶が蘇る。

「……! 君は――」

「そのお顔、私のことを覚えてくださっていたのかしら。またお会いできるなんて嬉しいですわ。ねえ、竹谷タカト様」

 小さな口が僕の名を紡ぎ出す。耐えがたいほどの悪寒の中、パズルのピースがまたひとつ、嵌まったような感覚に囚われる。クローネが話していた「アルエット」という人物。クローネを拾い、まるで駒のように扱った少女。そんな存在が、今、僕の目の前にいる。

 僕の名を知っていることについて、答えはとてもシンプルだ。彼女はコルネイユ先生と共にこの街に住んでいる可能性が高い。ならば当然、クレインやホノカ、そして僕の情報も割れているはず。

 それよりも奇妙なのは、この倉庫へと入る前、目の前の彼女をクレインだと錯覚した事実だ。確かに高校の制服を身に纏い、クレインと同じようなニーハイソックスを着用している彼女。それを抜きにしても、僕がクレインと赤の他人を見間違えるはずはない。それなのに――。


 僕はいったい、何をされたんだ?

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デストロイエンジェル2 -宵闇の堕天使- 零時桜 @yozakura_zeku

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