第二章「ササコ」

第二章 - Ⅰ

 ふたりの少女と出会ったあの日から一週間ほど過ぎた土曜日の午後。僕はすっかり執行兵たちの集会所になっているホノカの家を目指して歩いていた。目的はひとつ、とある人物と会うためだ。今日、クレインとホノカは学祭の準備があるからと休日ながら登校している。僕はといえば、午前中にバイトが入っていたため生徒会への参加はしなかった。あのふたりが生徒会室で喧嘩をしていないといいけれど、と半ば心配になる自分もいる。

 それでも、クレインとホノカはいくつもの戦いを経て強い信頼関係を築いていることは僕が保証できる。彼女たちならばきっと大丈夫。学祭も成功に導いてくれるだろう。

 歩き慣れた道を行くと、ひとりの女性の姿が目に留まる。今日の探し人は、集合時間よりも早く僕を待っていた。


「あっ、タカトくん。何だかお久し振りになっちゃいましたね」


 僕を認めるなり小さく手を振りながら駆け寄ってきて、はにかむような笑みを覗かせる女性。

 彼女の名は哀原ササコ。僕にとっては高校の先輩であり、クレインたちにとっては執行兵の先輩に当たる。当初はヒドゥンと協力して人間界の破壊を目論む「ディカリア」という組織の一員であるとされていた彼女。しかしそれは仮の姿で、人知れずヒドゥンと戦い、確実にその数を減らしていた影の功労者だ。今は高校を卒業し大学へ通う傍ら、異界とこの世界を繋ぐ「ゲート」の調査をしている。

「こちらこそお久し振りです、ササコ先輩。お元気でしたか?」

「ええ、それはもう。タカトくんと会えなくてちょっぴり寂しかったくらいです」

 例え本心でなかったとしても、彼女にそう言ってもらえた事実が嬉しい。ダークブラウンの髪を一房束ね、肩に掛けるいつものヘアスタイル。今日の服装はベージュのウールコートに白のハイネックセーター、濃紺の膝丈スカート。秋らしく足元は黒のタイツとショートブーツでまとめている。メイクは彼女の魅力を最大限に引き出すようなナチュラルな物だった。そして、もう隠す必要のない耳飾り。彼女の持つヴァリアヴル・ウェポン「メリン」。髪の間から僅かに覗いたそれが、キラリと光を帯びる。

 今日はササコ先輩からのお誘いだった。もちろんクレインとホノカもいた方が良かったはずだが、学祭のことを伝えふたりで会うことが決まった。

「立ち話もあれですから、どこかに行きますか?」

「ええ、そうしましょう。またタカトくんのアルバイト先、行ってもいいですか? あのお店、結構気に入ってるんです。タカトくんがいないときにこっそりひとりで行っていたりもするんですよ」

「え、そうなんですか?」

「はい。おかげでマスターさんと仲良くなっちゃいました。タカトくんのこと、褒めていましたよ。自分の後輩くんが誰かの役に立っていることが分かって、私も鼻が高いです」

 後輩くん、と言われて何処となく照れくささを覚える。彼女は執行兵、当然人間ではない。また、今は同じ学校に通っているわけでもない。それでも、僕のことを後輩として扱ってくれるササコ先輩。きっと何年経ってもこの関係は続くんだろうな、と本気で思った。

 僕たちはごく自然に歩き出す。先輩のブーツが地面を鳴らす音が心地よい。身長は僕よりも少し低いくらいの先輩だが、改めて隣を歩いて見ると本当に華奢な身体だ。こんな細い腕の何処に、あの異形を屠る力があるのだろう。それはクレインやホノカも同じだが。

 アルバイト先のカフェまでの道程で一際目を引くのが銀杏並木だ。黄金色の葉がはらはらと落ち、冬支度を始める時期。銀杏の絨毯の上を歩きながら、先輩に問いかける。

「ササコ先輩、大学は楽しいですか?」

「ええ、もちろん。高校の頃とは違う仲間と出会えますから。タカトくんも進学予定なら、見聞を広めるいい機会だと思いますよ。って、人間ではない私が人間のタカトくんにこんなことを言うのはどうなんでしょうね」

「そんな、今更の話ですよ。僕も先輩から学ぶことは多いですし、人間も執行兵も関係ないのかなって」

「そうですか。私たちにとっても人間の協力者ができたことは心強いです。タカトくんが最初で最後になってしまう可能性は否定できませんけれど。そういう意味では、クレインさんの判断は正しかったということですね」

 クレインと初めて出会ったあの日。僕の記憶を操作しようと思えばできたはずのクレインは、それを放棄した。理由は僕が二日連続でヒドゥンに襲われたから。当時はクレインの姉、ルーシャさんの仇だと思い込んでいたホノカを探すために僕の記憶をあえて操作しなかったのだ。

 文字通りの生餌となった僕だったが、結果的にこうして今も生きている。あの出来事がなかったら、執行兵という存在も知らないままのうのうと過ごしていたに違いない。

「確かに、そうかもしれませんね。もしあの夜にクレインに出会わなかったら、こうしてササコ先輩の隣を歩いていることもなかったはずですから」

「私のことも、ただの生徒会長という認識だけで終わっていましたか?」

 ササコ先輩と視線が重なる。上目遣いでほんの僅かに首を傾げる彼女。その悪戯っぽい質問は、僕の心拍数を上げるには十分すぎる効果があった。

 ただの、なんてとんでもない。高校の正門前に立つササコ先輩のことが気になっていたのは事実だ。あの頃はまだ入学して間もなかったから、自然とそんな彼女の姿に惹かれていたのかもしれない。それを直接的な言葉で伝えることは、きっと今の僕にはできない。

「ササコ先輩のこと、ですか。ただの生徒会長なんて思えなかったです。僕にとっては、その……同じ高校に通う、少し気になる先輩、ですかね?」

 あまり上手く言葉を紡げなかった僕。それでも、僕の本心を伝えたつもりだ。

「気になるって、どんなところがですか?」

 保たれていた僕たちの距離が、重ねての質問と共に縮まる。ふわりと柔らかな、石鹸の香り。彼女が使っているシャンプーか香水かは定かではないが、一瞬にして僕は虜になってしまいそうになる。お互いの身体と身体が触れ、歩くペースも徐々に遅くなる。

 何か返答を、と考えれば考えるほど、言葉が浮かばない。

「えっと、その」

 そのとき。しどろもどろな僕の元から、温もりが離れていく。縮まった距離と歩くペースが元に戻ると同時に、ササコ先輩は微笑みと共に言う。

「ふふ、ごめんなさい。ちょっと意地悪が過ぎましたね。タカトくんの言いたいこと、何となくですが理解はしているつもりですから。これ以上タカトくんにべったりだと、クレインさんに怒られてしまいます」

 今この場にクレインはいない。きっと先輩は、僕とクレインの関係も考慮してそう言ってくれたのだろうと思う。気を使わせてしまったかな、と僕は苦笑する。

「でも、タカトくんに気になるって言ってもらえたのは素直に嬉しいですよ。だから、今のことはふたりの秘密ということで」

 そう。他愛のない会話の中の、ほんの一節に過ぎない。それでも、ササコ先輩と秘密を共有できたことは間違いない。

 銀杏並木を抜けると、目的のカフェはもうすぐそこだ。

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