第二章 - Ⅲ

「そのヒドゥンは、どうして僕を殺しに来ないんでしょうか」

「まだタカトくんを見つけられていないだけかもしれません。奴らは感覚で動いている節がありますからね。ディカリアという協力者がいなくなった今、自分の嗅覚を頼るしかないヒドゥンが突然タカトくんを襲う可能性は低いでしょう。襲ったとしても、クレインさんやホノカさん、それに私もいます。ご心配には及びませんよ」

 ササコ先輩の言葉は心強い。ディカリアを退けた彼女たちならば、ヒドゥンの存在もきっと恐れるに足りないはずだ。そんなとき、僕は数日前に出会ったあの灰色の髪の少女を思い出す。あのことは当日にクレインからホノカに伝えた。きっとササコ先輩にもホノカ経由で伝わっているはずだ。

「ありがとうございます。あの、ササコ先輩」

「ん、どうかしましたか?」

 小さく首を傾げる彼女。どのように切り出そうか、どんな風に話そうか。灰色の少女と会った日の夜のことを、出来る限り鮮明に思い出そうとする。

「話は変わるんですが、数日前クレインとヒドゥンを狩りに行ったときに……その、執行兵らしき女の子と出会ったんです」

 ササコ先輩の優しい眼差しが、緊迫感を孕んだものへ変わっていく。

「ホノカさんから少しだけ聞きましたが、詳細はぜひ、当事者であるタカトくんの口から聞きたいです。経過を詳しく訊いてもいいですか?」

「はい。最初はグルタ型とクレインが戦って、もう少しでとどめをというところでその女の子が乱入してきたんです。灰色の髪で、僕らよりも年下に見えました。彼女は弱ったグルタ型をあっという間に倒して、クレインと交戦したんです」

「妙ですね。もし、仮にアミナの遺志を継ぐ者だとしたら、ヒドゥンとの戦闘は矛盾が生じます。となると、執行兵……それもクレインさんたちの下の代ということになるでしょうか。私たちの故郷では既に後続の執行兵が養成されていても不思議ではありませんから」

 確かに、あの少女はクレイン曰く執行兵の養成校で支給される制服を身に纏っていた。ササコ先輩の読み通り、クレインたちの後輩で間違いなさそうだ。

「それで、タカトくんがその子を執行兵だと感じた理由はなんでしょう?」

「女の子が持っていた武器です。あの特徴的な光はヴァリアヴル・ウェポンのものなのかなと。武器は黒いナイフでした」

「なるほど……そもそもなぜクレインさんを襲う必要があったのか、そこから既に謎です。とにかく、そのような存在が現れたという事実には気を配らなければいけませんね。私も、ヒドゥンを狩る過程でその執行兵が現れた際には、すぐにタカトくんに連絡します」

 あの灰色の少女がクレインだけを狙うとも限らない。ホノカやササコ先輩が「敵対勢力」として命を狙われる可能性ももちろんある。彼女たちが灰色の少女に負けるとも思えないが、不意を突かれてしまえば傷を負わされることもあるだろう。警戒するに越したことは無い。

 そこで、注文の品が到着した。運んできたのは店長ではなくバイトの同僚だ。あまりシフトが被ることは無いので彼は僕に軽く会釈をした後、すぐに立ち去った。

「お堅い話はこの辺にして、いただきましょうか。私、ここのミルクレープが大好きなんです。初めていただいたのがタカトくんと一緒に来たときでしたよね、あれから欠かさずに食べている気がします」

「そうだったんですね。そんなに気に入ってもらえると僕も嬉しいです」

 互いに笑顔を交わしながら、先輩はカフェラテを、僕はオリジナルブレンドをブラックのまま味わう。バイトの休憩時間などに飲むこともあるが、ササコ先輩と一緒だとまた違う味わいになるというものだ。ササコ先輩はカフェラテもそこそこに、ミルクレープに手を付け始める。自分で言っていた通り、フォークを口に運ぶ姿は実に幸せそうだ。

「んーっ……美味しいです。ここのお菓子、マスターさんの手作りなんですか?」

「そうですよ。僕らはあくまでも飾り付けとか、ホールで接客とか、皿洗いとか。提供する品はほとんど店長が作ってますね」

「ふふ、今度お礼を言っておかないと。甘すぎないのがちょうどいいんですよね」

 そう言いながらフォークを動かす先輩は、もうすっかりこの店の常連客らしい。そんな彼女の姿を見つめていると、ぱちりと視線が合ってしまう。

「ん、タカトくん? 私の顔に何かついていますか?」

「あ、いえ。すみません、ジロジロ見ちゃって」

「タカトくんになら、いいですよ。大学でも男性に話しかけられる機会はありますけれど、彼らってどうしてあんな下心を丸出しにした視線で見てくるんでしょうね? その点、タカトくんには邪な感情が一切見当たらないので安心です」

 クレインと同じように、ササコ先輩も僕のことを男として認識していないらしい。それより、やはり大学でもササコ先輩は人気者のようだ。当然、彼女に強引に手を出そうものならば、人間を軽々と超越するその力で圧倒されてしまいそうだが。

「なんだか、クレインたちからも同じように思われてるような気がします」

「それはタカトくんの個性、いいところですよ。少なくとも、私は素敵だと思います。タカトくんの前だと、なんだか安心できますし。そうだ、クレインさんたちと一回、温泉に行ったと聞きました。今度私とも行きませんか? ……混浴でも構いませんよ?」

「……えっ!?」

 まさか先輩の口から「混浴」なんて言葉が出るとは夢にも思わなかった。カップを両手で持っているせいか、少しだけ強調されているニットに包まれたふたつの膨らみ。ササコ先輩の露になった四肢や上気した肌を想像してしまい、思考が追い付かなくなる。

 しかし。次の瞬間、ササコ先輩はくすくすと小さく笑みを零した。

「なんて、ちょっと言ってみたかっただけです。タカトくんがどんな反応をするかなって」

「かっ、からかわないでくださいよ。まあ、本当に行けるなんて思ってないですけど」

「本当に行っちゃったら、それこそクレインさんと大喧嘩になりそうですね。当然、私が勝つでしょうけれど」

 ササコ先輩の実力は折り紙付きだが、あのアミナを破り、数々のヒドゥンを屠ってきたクレインも負けてはいない。無論、ササコ先輩の訓練を受けているホノカもだ。本当に頼もしい仲間だ、と改めて思いながら、僕の思考はあの灰色の少女へとループする。

「あの灰色の髪の執行兵は、また僕たちを襲ってくるでしょうか」

「それは分かりませんね。ともあれ、ヒドゥンを狩ったということはディカリアの構成員ではないということです。その点は安心してもいいと思います。後は、彼女の武器ですね。こういうときにあの方々が居れば、心強いのですが」

 最後に残ったミルクレープをフォークで突きながら、彼女は不意に別の存在を示唆するような言葉を放った。

「あの方々? えっと、誰なんですか?」

「私たちの世界にいる、ヴァリアヴル・ウェポンの開発者の姉妹です。アミナやルーシャと一緒に武器を開発した功労者として知られています。私は直接会ったことはないんですけどね」

 今まで意識すらしてこなかった彼女たちの武器。当然空から降ってきたとか、自然に湧いてきたとか、そんな非現実的なことはなく、開発者がいたのだ。それも今は亡きアミナとルーシャさんが協力して生み出したモノ。その姉妹は、どんな気持ちで今も生きているのだろうか。

「なるほど。確かに開発者に訊けば、あの女の子の武器についても分かるかもしれませんね」

「ええ。とはいえ彼女たちは執行兵ではないので、恐らくこちらの世界に来ることはないでしょう。あとは本人を無力化して、直接訊き出すしか方法はなさそうですね。最も、それができたら苦労はしなさそうですが」

 ササコ先輩が小さく肩を竦めると共に、例の灰色の少女についての話は終わった。その後は、他愛もない雑談。ササコ先輩については分からないことが多かったが、今日の打ち合わせで少しは彼女を知ることができたような気がする。そんな楽しい時間はあっという間に過ぎていき、気付けば午後六時を回っていた。

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