第一章 - Ⅴ

 ――微かな、夜の風。それが何者かの到来だということは火を見るよりも明らかだった。 

 今まさにヒドゥンを仕留めんとするクレインは、いち早くその気配に気づいたらしい。

「ッ、何!?」

 バックステップから素早く盾を構え、臨戦態勢に移るクレイン。しかし、目的は彼女ではなかった。一陣の風となった何者かが向かった先は他でもないヒドゥン、それも動脈の集中する首筋。

 直後、何者かが宙を舞うようにヒドゥンへ接近する。月明かりの下、僕の瞳に映った一閃。まるで流れ星のような、一瞬の斬撃。

 瞬きの刹那、ヒドゥンは首から大量の血を吹き出し、苦しんでいた。何が起こったのかさっぱり分からない。唯一確かなのは、クレイン以外の第三者による攻撃だということだけ。

 その影の主が、ヒドゥンとクレインを分かつように、空中から地面へと降り立つ。

 ――軽やかな靴音と同時に姿を見せたのは、ひとりの少女。思わず、時が止まったかのような錯覚を抱いてしまう。

 夜の空に浮かび上がるような灰色の髪。それを一房、左側のサイドテールに纏めている。そんな頭髪とは対照的に、闇の中に紛れ込むような漆黒の衣服。きちんと止められた上着と金色のボタン、短めのプリーツスカート、黒いブーツから、高校指定の制服を想像させる。そんな中、右手に握られたナイフのような刃物。それが月明かりに反射して、僕の瞳に突き刺さるように飛び込んでくる。

 そして、その瞳が、クレインと僕を交互に見つめた。髪と同じ灰色の瞳。何処か幼さを覚える端正な顔立ち。クレインに劣らない白い肌。しかし妙なのは、美しい少女に対し恐怖を覚えてしまうこと。色のない無機質な表情。僕たちを見据える瞳が余りにも無感情で。障害とさえ認識していないような少女に、胸のざわめきを隠せない。

「え……っ」

 突然の乱入に驚いたのは僕だけではない。むしろ、ヒドゥンを追い詰めとどめを刺さんとしていたクレインの方が、この状況に驚きを隠せないようだ。乱入されたという事実よりも、その存在そのものに、明らかな動揺を見せている。

 漆黒の影が再び、ゆらりと動いた。クレインの殴打と少女のナイフにより、ヒドゥンは既に瀕死状態だ。首筋から絶え間なく零れる血液が、ヒドゥンの寿命がもう長くはないことを如実に表している。


「敵対勢力は、排除します」


 夜の澄んだ空気の中、少女の声が頭の中で反響する。決して大きな声ではない。機械のようで、特徴のないもの。それでも、僕の耳にははっきりと残った。

 ヒドゥンとの距離を詰め、少女はその場で跳躍する。空中で両腕を広げ、華麗な一回転を見せたかと思うと、勢いはそのままにヒドゥンの脳天へナイフを突き立てた。

 弱点を一突きされたヒドゥンは、そのまま絶叫を上げて悶える。間違いない。あのナイフから放たれているそれは、ヴァリアヴル・ウェポンの特徴的なものだ。だからこそヒドゥンに有効打を与え、その命を散らそうとしている。

 ヒドゥンの今際の際は呆気ないものだった。断末魔の叫びを最後に、その巨体が地面に倒れ伏し、いつものような光の粒と化す。僅か数十秒、僕が呆けている間にヒドゥンの処理は終わっていた。

 そう、それは戦闘ではない。一方的な蹂躙。あの灰色の少女に為す術なく倒されたヒドゥンが、逆に気の毒に思えるほどに。再び地面へと着地した少女。だが、一向に武器を納める気配がない。彼女は僕らに背を向けた状態から、くるりと後ろに向き直り、間髪入れずに突進を敢行する。狙いは、僕たちだ。

「タカトッ!」

 少女に対し素早く反応するクレイン。僕と少女の間に割って入ると同時に、ファロトの盾を構えて応戦する。先程ヒドゥンに見舞った美しい斬撃の軌跡。それを想起させるような少女の攻撃をファロトが受け止める。ヴァリアヴル・ウェポン同士が見せる壮絶な火花。夜の公園を彩るように散ったそれが、僕の瞳に焼き付くように咲く。

 攻撃が通じないと踏んだ灰色の少女は、再び距離を取ってクレインと対峙した。その表情は寸分も変わらない。逆に、少女の攻撃を受け止めたクレインは盾での防御を崩さないまま、キッと少女を睨んだ。

「あなたは誰? 何が目的? どうしてその服を着ているのかしら?」

「質問に答える必要はありません」

 動揺の渦中にいるらしいクレインとは、正反対の温度だった。飽くまでも平生を保ったまま、いつ首を斬ることができるのかを探るように、クレインの動向をジッと見つめる少女。

「その服で分かるわ。私たちが敵対する理由なんて――」

 沈黙ののち、気付いてしまう。記憶の断片から抜け落ちていた情報を、必死に再構築するように。それはクレインも同じだ。執行兵同士が争った出来事。思い出すと、昨日のことのように次々と頭の中に浮かんでくる。


 かつて、僕を慕ってくれた快活な少女。かつて、僕の事を信じてくれた静かな少女。

 かつて、僕の首を刈ろうとした狂気の少女。かつて、僕に恐怖を与えたアイドル少女。

 そして――。


「まさか、あなた……アミナが遺した種だというの?」

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