第一章 - Ⅲ
生徒会の仕事が終わり、僕たちは帰路につこうと廊下を歩いていた。ホノカとも途中までは同じなのでいつも三人で学校を出ることになる。ただ、今日は少し違った。
「おーい、生徒会諸君! ちょっと手伝ってくれ」
僕らに声を掛けたのはとある教師。どうやら学祭関係の資料を運ぶのを手伝って欲しいらしい。
「任せてください。タカトは先に校門で待ってて」
「え、でも……」
「案ずるな、タカト。君よりは我々の方が力持ちのはずだ。すぐに後を追う」
いくら執行兵とはいえ女の子たちにそう言われては面子が保てないが、資料が詰まった箱は丁度三つ。教師とクレイン、ホノカが力を合わせればあっという間に片が付く話だ。
「分かった。気を付けてね」
彼女たちの好意に甘えることにした僕は、ふたりと分かれて昇降口を出た。すっかり秋の空気に包まれている学校。所々に植えられた銀杏の木は鮮やかに色づき、アスファルトに金色の絨毯を作っている。クレインたちがこの世界に来て一年半、時の流れは早いものだ。もちろん、アミナを倒してから今に至るまでにも様々な出来事があった。それらを回顧しながら、いったいいつまで彼女たちと一緒に居られるのだろうという素朴な疑問が湧く。そもそも、彼女たちは歳を取るのだろうか。まだ分からないことが多い執行兵の存在。彼女たちの世界に行くことができたら、何かが分かるのかもしれない。
「まあ、そんなことはないかな」
今、ササコ先輩が調査中の「ゲート」だが、未だに何処にあるのか詳しいことは分かっていないらしい。そのためヒドゥンは現れ続けており、きっと何処かに新しい執行兵も現れる、とササコ先輩は断言している。それがアミナの遺した新世代のディカリアだった場合、戦いは更に熾烈を極めるに違いない。
こんなことを他の人間に話したら、いったいどんな反応を示されてしまうのだろうか。いよいよ頭がおかしくなったと、医者を紹介されても不思議ではない。それほどの非現実の中に、僕は存在しているのだ。
「さて、この辺で待とうかな……――え?」
正門から出て僅かに左側。そこだけ、明らかに空気の質が周りと異なっている。偏に、そこに佇むひとりの人物……恐らく、少女だろうか。彼女の存在が起因していると断言できた。特に日差しが強いわけではない。ただ、少女は何故か真っ白なレースの日傘を携えて、まるで西洋人形のような後ろ姿で、指先のひとつも動くことは無かった。背中から感じる雰囲気には、何処か緊張感すら覚える。傘の下からは、純白のワンピースとパンプスに包まれた足元が覗いている。もし、遠目からその姿を見たら「クレインだ」と直感してしまっても可笑しくはない。ただ、クレインは校内にいるはずだ。
もしかすると、ササコ先輩が話していた新たな執行兵……いや、そんな簡単に会えるはずがない。そもそも僕の存在を視認した段階で、襲い掛かってきても不思議ではないのだ。今はまだ後ろを向いているから、気付いていないだけ。少なくともクレインとホノカが戻ってきてから接触した方がと判断した僕は、出来るだけ目立たないようにその場を離れようとした。
しかし。
「――あら、ごきげんよう」
日傘がくるりと回ったかと思うと、純白の少女が振り返って、瞳と瞳が交差する。
その瞬間のことはよく覚えていない。ただ心臓が警笛のようにうるさく音を立て、同時に背筋が凍り付いたことは確かだ。
雪のような肌。それに劣らない白さを放つ、セミロングに揃えられた髪。そして、透き通った翡翠色の瞳。後ろ姿だけではなく正面から見た彼女も、まるで人形のよう。こうして見ると、瞳の色と髪の長さ以外は本当にクレインと似ている。でも、彼女はクレインではない誰かだ。これほど人間らしくない人間に出会ったことがあるだろうか。そして、人間ではないのなら、彼女は何者なのか。
――執行兵。脳裏を掠めた、ひとつの仮説。僕が思考を巡らせている間にも、言葉を返さないのを訝しく思ったらしい彼女は、口元にだけ笑みを張り付かせた。
「もしかして、私は貴方様のお知り合いにでも似ていまして? ふふ、お顔に書いてありますわ。お前は誰なんだ、って」
限りなくミステリアスな少女は、僕の頭の中で過ったことまでお見通しのようだった。クレインを知っているような口振りは、僕の仮説を確信に変えるこれ以上ない材料となる。
「そっ……そんなことは、考えてないよ」
「それはそれで悲しいような、複雑な感覚ですわ。ほんの少し、妬いてしまいます」
本当に微かだが、純白の少女は頬を染めた。そんな瞬間にも、彼女の正体を探っている自分がいる。
一見するとヴァリアヴル・ウェポンは装備していない。昔のササコ先輩のように隠しているという可能性も考えられるし、彼女が携えている日傘こそが武器なのかもしれないが、確たる証拠はもちろんない。僕の視線があまりにも彼女に突き刺さってしまったのか、彼女は少しだけ目を細めながら軽く自分自身の身体を抱くような仕草を見せた。
「そんなに私の身体を舐め回すように……随分と大胆なお方ですこと。でもお生憎様。私、出会ったばかりの殿方に身体を許すような軽い女ではございませんわ」
「ち、違……っ、それより、君は誰なの? この学校の生徒じゃないよね」
「ええ。私、とある人物を待っておりますの。もちろん、貴方様のことではありませんわ。そして、きっと貴方様のお仲間とも「今は」関係がないはず。だから、私と貴方様はただの他人ですわ。でも――」
少女は日傘を閉じる。少し影になっていた翡翠色の瞳が、より明るく色を帯びて、僕の瞳と交差する。
「貴方様が私のことを気にされたその瞬間から、もう赤の他人ではなくなってしまった。現にこうしてお話をしてしまっているのですから、貴方様も私のことが忘れられないはず。そして、それは私も同じ。うふふ、運命って、存在するのかもしれませんわね?」
話せば話すほど、彼女のことが分からなくなる。こんな感覚は初めてだ。あのヒトヨやキララ、アミナですら、彼女たちの人となりは理解したつもりだった。でも、この少女のことは、言葉を交える度に少しずつ沼に沈んでいくようで、違和感や不気味さを嫌でも覚えてしまう。
でも、そんな時間にもやがて終焉が訪れた。僕の背中から、声が響いたのだ。その声に僕よりも早く、少女が反応を示した。
「あら、貴方様のお仲間がいらっしゃったようですわね。ここで顔を合わせるのは少し不都合ですし、私の探し人ももう少し時間が掛かるようですから、私はその辺りで時間を潰します。それでは、またお会いしましょうね。素敵な人間様」
僕が引き留めるよりも早く、純白の少女はその場で踵を返し、ワンピースの裾を優雅に靡かせながら歩き去ってしまう。その後ろ姿を見つめるしかできない僕を他所に、彼女の姿はいつの間にか消えていた。
――少女の正体を知るのは、もう少し先の話になる。
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