第九話 痛みに耐えながら決着へ

「ほぉ。あやつなかなかじゃなぁ。

 わしの弟子相手によぅやりおるわ」

「この声は! 磁場ばあさん! お久しぶりだぜ!」


 ナーランが見下ろす先に、紫色のローブをまとった小さい老婆が立っていた。

 ナーランはぎゅっとしゃがみ込んで、その老婆と握手をする。


「あのグネット君は、あなたのなんですか?」

「ああ、そうじゃとも。わしが若い頃から、秘密裏に、手ずから育てた、自慢の弟子じゃじょい」

「そうなんじゃじょいですか! どおりでお強いわけだ!」


 諦めないヒイラギを相手にしても、冷静沈着なマフィスを見て、ナーランは手を打った。


「そうじゃろうて、そうじゃろうて。

 ただ、あの若人も引けを取っておらんわい。

 あやつはおぬしらの弟子かぃ?」


 杖でヒイラギを指した後、線で結ぶようにナーランとオニキスへと杖を動かした。

 

「いや、アクロ君とはたまたま道で会っただけです!

 でも、何かこう光るものを感じたっていうのと、普通にいい子だったので、こうして応援しているんだぜ! あ、ます!」

「べつにわしへの言葉遣いなど適当でよいわい。

 成り行き、ということじゃろうが、それも何かの縁じゃじょい」

「はい! そうじゃじょいと俺も思うぜ!」

「……おい、動くぞ」


 オニキスがそう言うと、ステージ上のマフィスがゆらりと揺れた。

 姿勢をさらに前に倒して、足にもかなりのタメを作る。

 そして軽やかに地面を蹴ると、今までよりも数段速く、ヒイラギに肉迫する。

 ヒイラギは反応こそその速度に追いついているが、片足をやられたことにより防御の安定感を失っていた。

 どうにか高速の連撃を弾き切るが、しだいに表情から余裕が消えていっていた。

 それでもなお、目はまっすぐにマフィスを射抜き、木剣を手に構え続ける。


「おまえ、何のためにここまでする」


 発せられた言葉に、ほんの少しのいら立ちを感じる。


「この大会の先で、多くの命を守るために」

「守る……?」


 今まで何も変わらなかったマフィスから、殺気ではない激しい感情が伝わってきた。

 目には見えない力に圧倒され、割れんばかりに送られていた声援が、小さく小さく押さえつけられていく。

 身長はヒイラギとほとんど変わらないはずなのに、どんどん大きくなっていくように感じる。


 激情をぶつけられたヒイラギは、自分を鼓舞するように、左手で右腕を強く握る。

 両目に宿った殺意とはまた違う、今にも逃げ出してしまいたいと思わせる迫力だ。


「何が守るだ。お前は何もかもをぶち壊す。

 戯言を呼吸するように垂れ流す。

 善人かのように、聖人かのように振る舞う!」

 

 ついに、誰の目にも追えない速度でステージを駆けた。

 ヒイラギが正面に構えていた木剣に、すさまじい衝撃が発生した。

 その木剣がヒイラギの鳩尾みぞおちを強襲する。

 格好としてはつばぜり合いのようになっているが、力の差は歴然であった。

 ヒイラギは背中を強く地面に打ち付けると、そのまま数メートル吹き飛んだ。


 両者の木剣に、何本もの亀裂が走る。


「っぐ、がは、っはぁ、はぁ」


 肺から出ていってしまった空気を必死に吸いながら、体を持ち上げようとする。

 視界の周りが黒くかすんでいる。

 その中を、マフィスがゆっくり、淡々と近づいてくるのが見える。


(立ち上がらないと……!)


 気持ちはまだ折れていない。

 しかし、体が思うように動かない。


 マフィスは、苦しんでいるヒイラギを見下ろした。

 顔が下に向けられたことによって、ヒイラギの目とマフィスの目が合う。

 

 殺意。殺気。

 

 目の前が真っ暗になった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「お父さん! お父さん!

 今日も僕にを教えてよ!

 お父さんみたいに悪いやつを、えいやー! てやー! ってやっつけたい!!」


 幼い声に振り返った隻腕の男は、慈しみの笑顔を浮かべる。

 片手でその子を抱え上げると、優しい口調で話し始めた。


「アクロ。この前は一生のお願いっていうから教えたんだぞー?

 村の皆から色々なことを教わって、賢い立派な大人になるんじゃなかったのかー?」

「それも頑張ってるもん! さっきもねー、足し算ができるようになったしー、自分の名前も書けるようになったんだ!」

「おー! それはすごいな! そんなに頑張ってるなら、今日は特別に、教えてあげよう!」

「本当!? やったー!」


 幼い手を太い首に回してぎゅっと抱きつく。


 ――これは、在りし日の僕の記憶。

 ――炎に包まれる前の、穏やかで幸せな記憶。


 隻腕の男は優しくヒイラギを下ろすと、訓練用の剣を取りに行く。


「よし、じゃあ今日は防御の基本を教えるぞ。

 まずはこうして、武器を相手に向けて構える」

「こう?」

「完璧だ! そして、相手の攻撃が迫ってきたら……」


 ゆっくり、ヒイラギに向けて訓練用の剣を動かす。


「ぶつかる瞬間に――」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「――ぶつかる瞬間に、弾く」


 とどめを刺そうと振り下ろされていた木剣を、絶妙な角度をつけて弾き返した。


「父さん。最初に教える防御が弾きっていうのは、なんか違ったんじゃない」


 ゆっくりと、右足を使わないように、背中と鳩尾をいたわりながら立ち上がる。

 だらりと両手を下げて、うつむいたまま、うわごとをブツブツ言う。

 しばらくすると、左手で後ろを守るいつもの構えを取って、尋常ならざる決意がうねる瞳でマフィスを睨んだ。


「あなたの言う通り。なにかもをぶち壊す人間は確かにいる。

 だけど、命を張って、人々を守る人間も、必ずいるんだ」


 マフィスは弾かれた時の衝撃で、木剣を握る手がしびれていた。

 だが今はそんなことを気にしてはいなかった。

 

 目の前の男に、よくわからない感情を抱いたのだ。

 ほとんど勝敗が決した状況から立ち上がり、なおかつ完璧に攻撃を処理してきた。

 

 それに、マフィスだけが見えていた、うつむいているときのヒイラギの表情。

 

 容姿はまったく似ていないのに、マフィスはなぜか鏡を見ている気分になった。

 

 そんなヒイラギに対して、極限の集中を注ぐ。

 ――自分に対して、わからない感情をもたらすこの男との対決を、終わらせなければならない。


 そんなマフィスの考えなどつゆ知らず、ヒイラギは切っ先を真っすぐ突きつける。


「お待たせしました。決着といきましょう」

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