第十話 傷だらけのふたりは医療室へ
無傷のマフィスとボロボロのヒイラギ。
異様な圧迫感を放つマフィスと、静かな存在感を示すヒイラギ。
対極なその対決も、終わりの気配がただよい始めた。
観客は誰ひとりとして声を出すことなく、固唾を呑んで見守っていた。
静かな時間の中に、ヒイラギの浅く速い呼吸音だけが音を刻む。
とどめの一撃は弾いたが、ヒイラギの体力と精神は限界に近かった。
右足からは激痛が届き、背中と鳩尾も心臓の鼓動とともにズキズキ痛む。
さらに、真正面から受けたマフィスの殺意で心を蝕まれている。
それでも立っていられるのが、自分でも不思議だった。
「……そうだな。決着をつけよう」
マフィスは限界まで足を曲げて、前傾の姿勢にする。
深く息を吸って、静かにそれを吐いた。
ヒイラギは、右足を前に出し、左手で後ろを庇う構えのまま、突きつけていた木剣を寝かせる。
誰かの汗が、乾いた地面に落ちた。
風を切り、ヒイラギめがけて飛び出す。
マフィスの狙いはヒイラギの木剣。
強くそこに打ち付けると、木剣に沿ってヒイラギの指を狙う。
ヒイラギは衝撃に耐えられず体勢を崩すが、手首をひねってマフィスの木剣を剥がす。
そこまで予想済みだったマフィスは、ヒイラギの右足の同じところを、勢いを乗せた木剣で迷いなく殴打する。
「…………!!!!」
もはや声にもならない痛みに、ヒイラギの顔が大きく歪む。
泣き出しそうなその顔から、ふと、笑みがこぼれた。
「そう、ですよね。あなたは一度狙った場所を何度も狙ってくる……。
そうして弱らせたところを……急所を狙って仕留めるんですよね……!」
右足にめり込んだマフィスの木剣めがけて、すでに振り上げていた木剣を叩き込む。
もういちど、右足が砕かれたような痛みを感じる。
だが、実際に砕けたのはマフィスの木剣だった。
マフィスは飛び散る木片に唖然として、一瞬動きが止まる。
いや、それに驚いたというよりは、自分の足を囮にしたヒイラギの行動に驚いたのかもしれない。
その様子を見る余裕もないヒイラギは、自身の木剣をありったけの力を込めて握った。
歯が軋むほど食いしばり、その右足で大きく踏み込み、全力の一撃を放つ。
それはマフィスの顎と鎖骨に直撃し、力強く握られた木剣は破片を飛ばしながら折れた。
全身全霊をもって振り抜いたヒイラギは、そのまま地面に倒れこむ。
その横で、マフィスはふらふらしながらも、倒れまいとして踏ん張っていた。
「お、れは……。言わ、れたことを……。成し遂げて、い、な……」
崩れるように膝をつき、受け身を取ることなく倒れた。
誰も言葉を発せずにいた。
だが、司会者だけは顔を振って自らの役割を思い出す。
「り、両者! 倒れました!!
この場合! 先に立ちあがったほうが勝者となります!
一定時間経っても立ちあがらなかった場合は――」
そこまで言って、言葉を飲み込んだ。
ボロボロの体を無理やり動かして、立ち上がろうとする姿が見えた。
地面にこぶしを立てて、上体を起こしていく。
そして、泥沼から這い上がるようにして立ちあがる。
ふらついて、また倒れそうになるのをどうにかこらえて、左手を横に突き出した。
限界を迎えてもなお、まだ見ぬ誰かを守るように。
「し、勝者! 勝者は!! ヒイラギ・アクロ!!!
今回の新参大会の優勝者は!! ヒイラギ・アクロです!!!」
一瞬の間。そののちに沸き上がる盛大な拍手と、地面が揺れるほどの大歓声。
それを全身で浴びたヒイラギは、安心したようにあお向けに倒れたのだった。
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会場に設置されている医療室。
マフィスの殺気にあてられた者たちは、すでに回復して出ていった。
大会の参加者たちも、一部の者を除いて去っていた。
「まさか決勝じゃなくて、医療室でおめえと会うことになるとはな!
やっぱり、人生何が起こるかわからねえもんだな。デッパフ」
「まったくだな、ドーム。実際にこうなっているんだからな」
医療室を出てきたばかりのデッパフとドームは、人生の奥深さについて語りながら歩いて行った。
大男がふたり出ていったことによって、医療室が一気に広くなった。
現在医療室にいるのは、決勝戦を終えたヒイラギとマフィス。
その付き添いとしている、ナーランとオニキスと磁場ばあだった。
あのあと、ふたりはすぐに医療室に運ばれ、適切な処置を受けると、そのまま眠っていた。
磁場ばあはマフィスの手を握りながら、小声でナーランと話す。
「本当に、すごい戦いじゃったわい。
ここまでできる若人がいるんじゃ。わしもそろそろ引退じゃじょいて」
ほっほと微笑み、握っている手をさする。
「磁場ばあさんは生涯現役でいてくれないと困るぜ。
まだまだみんな、磁場ばあさんを頼りにしているぜ。
もちろん、俺もね!」
少し大きくなった声に気づいて、手で口をふさぐ。
「そう言うてもらえるかぎりは、現役でいるとするかのぅ。
まだまだ、ボケるわけにもいかんしのぉ」
穏やかに寝息を立てているマフィスを見ながらそう言う。
「それはよかったぜ。
じゃあ、これ以上邪魔するわけにもいかないし、俺たちは一度帰るぜ。
アクロ君も、しばらく眠ったままだろうってことだったしね。
起きたときのために、元気の出るものを用意しておかないと!
あと、あの第一位のドライとの戦いもあることだし!
応援しにいくためにも、依頼をこなさないとだぜ!」
色々考えていることをそのまま口走ると、ドドドドドと足音を立てながら出ていった。
その後ろを、自分の歩調でオニキスが歩いて行った。
やかましかったナーランもいなくなり、ようやく医療室が静かになる。
辺りにだれもいなくなったことを確認して、磁場ばあは優しい表情で何かを待つ。
「ばあ様……。俺、ばあ様の言いつけ、果たせなかった……。
優勝してスリーク・ドライと戦わないといけなかったのに……。
ごめんなさい……」
天井を見つめたまま、消え入るような声で謝った。
磁場ばあはしわしわの手で、割れ物を扱うかのように頭をなでた。
「いいんじゃよ。むしろ、わしが謝るべきじゃじょい。
おぬしにとって、傭兵だらけのここは、苦しかったじゃろう」
「……確かに嫌だった。どいつもこいつも善人面で。
俺たちにしたことなんて、誰も知らない顔をしていて」
遠くの方から、がやがやと騒ぐ人々の声が聞こえてくる。
「でも、決勝戦で戦ったあいつは、何か変だった。
俺とまったく違うのに、どこか同じで。
あいつの言葉は、受け入れられるものじゃなかったけど」
言葉にするか迷ったが、手に触れる温もりに後押しされるように続けた。
「……すべての人間が、傭兵が、悪ではないのかもしれない。
ほんの少しだけ、そう思った……」
磁場ばあは、静かに涙を流す。
「そう、か……。少しでもそう思ってくれたのなら……。
わしも元気になるってもんじゃ……」
マフィスは磁場ばあの方へと顔を向ける。
温かい手を動かすと、涙にぬれるしわしわな顔へ沿わせる。
前髪の隙間から見えたその目には、殺意の炎は灯っていなかった。
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