第二十話 優しさに触れて過去へ
「結局、また僕は誰も守れずに、むしろ守られたってことか……」
医療室に用意された清潔な寝床で目が覚めたヒイラギ。
右腕を目の上に置いて、何かがにじむ声色でつぶやいた。
暗くなった目の前に、今までの不甲斐ない光景が浮かんでいく。
「森林鬼ごっこでは暗殺者の人たちに負け、スリークさんには一瞬で倒され
命を守らなくちゃいけない場面では、何も貢献できなかった……」
新参大会で優勝して、自分が気付かないうちに調子づいていたのかもしれない。
白銀の剣と自分の力があれば、なんだって守れると勘違いしていたのかもしれない。
無力さに打たれると、月明かりの平原でオニキスに言われたことを思い出した。
「『実力が伴わないと、理想は語られるだけの妄想』か……」
「ヒイラギさん。目が覚めたのですね」
柔らかい綿を当てられているかのように感じる優しい声。
腕の隙間からその声の主を探す。
ヒイラギの足元のほうに、医療従事者が身に着けるきれいな白い衣服姿の女性が立っていた。
グレージュ色で猫っ毛の彼女は、その手に空っぽの花瓶を持っていた。
ヒイラギの記憶には似たような姿の女性がいた。
「……あなたは、ソフルトさん……?」
名前を呼ばれた彼女――ソフルトは、たれ目を一瞬大きく見開く。
そこからすぐにほほ笑みを
「覚えてくださっていたのですね。
ヒイラギさんは大勢の命を救っていますから、失礼ながらひとりひとりの顔は覚えていないかと思っていました」
ヒイラギの額にそっと手を乗せる。
少しひんやりとした感覚に、自分の体が少し熱っぽいことに気が付いた。
ヒイラギは目の上に置いていた腕をそっと下ろした。
「僕はそんなに人を守れていませんから。もちろん覚えていますよ。
守ることができた数少ない人なんですから」
弱音ともとれる言葉で会話をつなげた。
額に当てていた手をふわりと離すと、少しだけ目線を反らすソフルト。
小さく息を吐くと、眉毛を下げて目線を戻した。
「そんなことないです。いいですかヒイラギさん。よく聞いてくださいね」
寝床の横にしゃがんで、目線を合わせようとしないヒイラギの横顔を見る。
「今回ヒイラギさんたちが必死に戦ってくださったお陰で、劇団員の方々はひとりも欠けることなく、無事にこのノデトラム公国に到着することができました。
これだけで、20人近くの人々を守っています」
指を2本立てもう一方では丸を作る。
「そして劇団員の皆さんは、ここで劇を披露します。
その劇は感動的で、きっと多くの人の心を動かすでしょう。
傷心している人を癒すかもしれません。生きるための目標になるかもしれません。
ヒイラギさんたちが守った命は、さらに多くの命を守り、救うことに繋がっていくんです」
そこまで丁寧にゆっくりとした口調で語ったソフルトは、懐かしむような、照れたような表情に変わる。
「あの日、私を助けてくださったことでも、ヒイラギさんは多くの人々を守っていますよ。
ほら、こうして医療に携わるようになって、これでも大勢の患者さんを看てきましたからね」
雨上がりの空に虹がかかったような、はにかむ笑顔をヒイラギに向ける。
そこで、まだ目が合わず何も話さないヒイラギを見て、なおさら恥ずかしくなったのか、かわいらしく咳ばらいをする。
「と、とにかく私が言いたいことはですね。
……ヒイラギさんは、多くの人を守っています。
今回は、何か落ち込んでしまうような結果だったのかもしれません」
ほんの少し間をあけて、しっかりと息を吸う。
「そうかもしれませんけど、ヒイラギさんが守った命がいることは、忘れないでほしいです」
優しい響きだった。
――傭兵についての話を聞いたときに思ったこと。
自分以外が守れる命も、自分にしか守れない命も、誰にも守れない命ですらも守れる守護者になる。ということ。
――故郷が燃やされたあの日に刻み込まれたこと。
もう誰も目の前で命を失ってほしくない。ということ。
命を守ることだけしか見ていなかった。
その先のことなんて思ってもみなかった。
守った命が別の命を守ることに繋がっている。
守った意味がその先にある。
それを考えると、少しだけ心が楽になった。
……でも、
(もし、”武器狩り”の命を守っていたら、その先に何が起きただろうか……)
不意にそう思った。
(悪人と呼ばれる人たちの命も守ったとして、その先でその命が他の命を奪ったとしたら、僕は……)
楽になった心が、今度は別の考えで縛られる。
思いを伝えたあと、眉間にしわを寄せて眠ってしまったヒイラギを見て、ソフルトはゆっくり立ち去った。
できることは、もうない。
守ってもらった恩返しもできない自分を情けなく感じて、早歩きで薄暗い廊下を進んでいった。
――理想と現実と実力。
――初めての依頼で得たもの。
――優しい言葉によって知ったこと。
頭の中がぐちゃぐちゃになり、いつの間にか周囲は真っ黒になっていた。
体も浮遊しているようであり、しかし地に足をついているような、不思議な感覚だった。
戸惑っていると、黒一色だった空間に別の色があらわれた。
それは白銀色の剣。
(命を守りたい理由を思い出しなさい)
ソフルトのものとは違う、体を包むような声音。
その声に導かれるように記憶の底から浮かび上がったのは、炎に呑まれる前の村の姿だった。
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