私がこの人を尊敬する理由

『世界に一つだけの花』という歌がある。


2002年に発売されたSMAPの14枚目のアルバム『SMAP 015』に収録されており、2003年にシングルカットされると、ジャニーズ史上初となる200万枚を超える大ヒットとなった。


最終的には307万枚売れ、SMAPでもっとも売れた曲となったことはもちろん、日本中が知ることになった最後のヒット曲とも言えるかもしれない。


しかし、「世界に二つある花などない」という人がいる。


養老孟司先生だ。


私は養老先生が好きで、講演会にも足を運ぶ。


しかし、なぜ養老孟司さんが好きなのか、自分でも良く分かっていなかった。


そもそも、人が人を好きになるきっかけはなにか。


それはきっと、共感だ。


共感したときに人は、その人に好意を抱き、反感を抱いたとき嫌悪感を抱く。


養老先生が提唱する考え方の一つに、「同じ」という理論がある。


人はみな、小さいときは感覚の世界に生きていて、感覚で違いを感じ取る。しかし、成長するに従って、意識で違いを「同じ」にする。これができるのは人間だけだという。


数学で、A=Bという問題が出たとき、これを理解することが大人になるということであり、成長であり、人類の進歩とされてきたが、本当にこれが正しかったのだろうかと養老先生は言う。


実際、AはBではない。AはAであり、Bではない。しかし、意識がそれを「同じ」と認識する。しなければならない。


だから人は、なんでも同じにしてきた。日本人、埼玉県人、独身、負け組、なんらかのジャンルに入れて「同じ」にしてきた。


だからこそ、『世界に一つだけの花』というオンリーワン提唱歌がヒットした。


しかし本来、人はみんな違う。顔も形も考え方も全部違う。生まれつき人はみなオンリーワンという感覚的な当たり前がなくなって、意識で「同じ」にしてきた。


「花も葉っぱも一枚一枚全部違う。嘘だと思うなら、一度表に出てって見てみろ」と先生は言う。実際見てみると本当に違うから面白い。枯れかけのもの、筋の入り方、色、形、一見同じに見えても、全部違う。


つまり個性とは、生まれたときから備わっているものなのだ。私と同じ人間も、あなたと同じ人間も、この世に二つと存在しない、唯一無二である。


養老先生に言わせれば、幸せの定義も、健康の定義も、人によって違うのが当たり前という。血圧が140を超えると高血圧と診断され薬を出されるが、高血圧の基準値も人によって違うはずだと。


私は中学の授業で「A=B」という問題を見たとき、理解しようとした。みんなそれでやっているんだから、理解しなければならない。必死にみんなに追いつこうとした。


しかし、クラスで流行しているエンタメが全く分からないということが、多々あって、それだけは理解できなかった。なんでこんなのが流行ってるの、これのどこがいいの、なんなのこいつら。


これだけは、合わせようとは思えなかった。俺は少数派で、みんなと違うのかもしれない。俺がおかしいのかもしれない。でもそれでいい。これが分からないなんてありえない。


私が養老先生を好きなのは、意識的な「同じ」より、感覚的な「違う」の原体験がどこかにあったからなのかもしれない。


感覚的な「同じ」を感じて、好きになっていったのかもしれない。

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