キリストは言いました

「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」


イエス・キリストはそう言ったという。


かつてビートたけしさんは、ニュース・ステーションに出演したとき


「平和を人々に訴えかけるなら、自分を死に追い込むくらいの覚悟がないとだめですよ。敵が来て、自分や家族が殺されても、黙って死んでいけますというところまで追い込んで言えることであって、自分が安全な位置から平和を訴えたってしょうがない」


と話していた。


私は気分転換に、近所の公園にタバコを吸いに行く。


木々の緑を目に入れながら、自然を感じて気持ちをリセットする。


ふと足元に目をやると、吸い殻が地面に点在している。


私はそれを拾い、自分の携帯灰皿に押し込んで帰る。


SDGsとか、地球に優しくなんて崇高な思いからではない。


下心だ。


神社にお参りに行くとゴミ拾いをするという信仰心の高い知人がいる。なにか良いことがあるかもしれないと。


なるほど、確かにそこに神様がいるなら、「うむうむ。立派な精神じゃ。こういう奴こそ元気に頑張ってほしいものだ」と、なにかご利益をくださるかもしれない。


なら、公園の吸い殻を集めるなんていうのは、「私がいるところだけでなく、こんなところでも。こういう奴は100万くらいやらんといかん」と思ってくれるかもしれない。


見返りを求めるその下心ごと見透かされているような気はするが、自分がよく行く公園だからキレイに越したことはない。


ある日、いつものようにそのベンチへ行って私は驚いた。


「タバコの吸い殻、ここに捨てないで!」


と書かれた小さな看板が立てられていたのだ。


このベンチを狙い撃ちするかのように立てられた看板。


若干の居心地の悪さを感じながら、そのベンチに腰を下ろしタバコに火をつける。すると、いつもは気にならなかった若い奥様方の視線が痛い。


「あいつよ。いつもタバコ吸い散らかしてこの公園を汚くしてるのは」


「いやよねー。だいたいこんな昼間からなにしてるのかしら。怖いわー」


「ああいう人がなにか犯罪を起こすに決まってるのよ」


みんなの心の声が聞こえてくる。


戦いは、こうして生まれていくのかもしれないと思った。


いや仕方ない。


自分があの奥さんだったら同じように思うはずだ。ここに吸い殻を捨てていく奴がいることも知っている。


だからといって、そいつらを叱ることもできない。自分も平気でポイ捨てをしていた過去は遡ればあるにはある。


平和とは、難しいものである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る