「分かる人だけ分かればいい」なんて嘘

「仕事は金か、やりがいか」


とよく言われる。


初めてアルバイトをしたとき、就職したとき、40歳を越えた今も、このテーマはずっとついて回る。


林修先生は、


「好きなことは趣味でやれ。仕事は、お金をもらってやることだから、お金を払ってくれる人に対して、責任を取らなきゃいけない。こっちが好きか嫌いかなんて、どうでもいい」


と言っていた。


バランスだとは思う。


仕事だからといって、金100、やりがい0、のものは、なかなかできない。「100万やるからあいつ◯してこい」と言われてもできない。


だからといって、やりがい100、金0、だと、続けることはできない。「デビューさせてやるけど、一生賃金ゼロな」と言われたら厳しい。


ならば、金50、やりがい50が、ベストだろうか。


お金は経験と同様、蓄積される。今なら、SNSフォロワー数も蓄積される「資産」と捉えることができるだろう。


とすれば、金30~40、やりがい60~70あたりを維持しながら資産を蓄積させていけたら、一番いいのかもしれない。


状況によっては、100-0、または、0-100くらい振り切った方がいいときもあるだろうが、金40、やりがい60、あたりが平均値となる生活を送れていると、心身共に楽しい状態が続く。


クリエイティブにおいて、「分かる人にだけ分かればいいい」という、制作者の一つの考えというか、意向がある。


これは、一般的に、自信のなさから来る自己防衛手段としてよく使われる。言い訳であり、一人よがりな考え方とも言えるが、場合によっては、見る側も、制作者が広く浅く狙って作ったものより、本当にやりたいようにやったものを見たい場合もある。


松本人志さんは『一人ごっつ』を「深夜に10分くらいオ◯ニーしてもいいやろ。ティッシュで拭いてとまでは言わんから」と言っていた。


深夜の10分番組くらい、好きにやらせてくれと。松本人志さんや、サザンオールスターズ、宮崎駿といった、全国にファンを有する人による「分かる人にだけ分かればいいい」は時としてアリだ。


また、本当の意味でのオ◯ニーならば、人に見せる必要はない。自分一人で勝手にやって、自分で満足したりしなかったりを、家で一人で繰り返していればいい。林先生のいうところの、趣味。「やりたいことは趣味でやれ」


つまり、これも「自分がやりたいことをやりたいのか、誰かに評価されたいのか」という問題と、ぶつかることになる。


これは先の、「金とやりがい」の件と似ている。


「自分がやりたいことをやって、誰かに評価されたい」


というのが本音だろうが、それができる自信がないから、「分かる人だけ分かればいい」という、クリエイターがよく吐く言葉に繋がっていく。このセリフは誰が言うかによって変わる。無名の新人が言っても、説得力もビジネスにもならない。


私が現在連載中の小説は、構想しながら書いている段階なので、告知といった告知は、きちんとしていない。


見てくれたら嬉しいけど、自信を持って「見て!」といえるほどのイメージが固まってないから、あくまで試験段階であるという及び腰だ。


「鷺谷さんのカクヨムの小説を毎週見ています。面白いし大好きです」


というコメントをTikTokにもらった。このコメントが、いつまでも試験段階のままではいかん、という気にさせた。言葉は人を生かしもするし、殺しもする。


私も、「まだ試験段階で書いている状態だから、興味ある人だけ見れくれればいい」という、先の事例と似た状態であったのは事実だ。


結局我々はどこまで行っても、誰かに理解されたい生き物だし、称賛を受けたい生き物である。


承認欲求という言葉は、SNSの発達と共によく使われるようになったが、文明社会において誰しもに備わっている生理的な本能だと思う。


というわけで今日も書く。


誰かが楽しんでくれるように。反響を得られるように。

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