カッコいい人の共通点はいつの時代も同じ
拙著『ブルーハーツを聴かずに親父は死んだ 第43話 公開処刑』でも出てくるが、その昔、CDが異様に売れた時代がある。
要因は様々だが、一つ言えるのは、「CDをたくさん持っている=かっこいい」という概念が、少なくともあの時代にあったということが、理由として挙げられる。そのため、こぞってみんなCDを買った。ステータスだから。
文明社会はいつだって、「かっこいいか、ダサいか」を最終的な判断基準として進化してきた。ビジネスも文化もお金も、仕事もプライドも恋愛も、全ては、「かっこいいか、ダサいか」によって最後は決まる。
「かっこいいか、ダサいか」は一夜にして反転してしまうこともあるほどに曖昧で、そのラインは、淘汰されるように振り分けられていく。無投票の民主制によって。
1991年、草津国際スキー場がルーツともされる“ショートスキー”は、その名の通り短いスキー板をつけて滑るスポーツで、ファンスキー、スキーボード、ミニスキー、スノーブレードなど、形状や長さによって様々な名称があるが、このことを知っていても、「カッコいい」とは、あまり思われない。
私がスノーボードを始めた25年前、スキー場はスノボー4割、スキー4割、ショート2割くらいの割合で、ここからショート人気も上がってくるかと思われたが、現在はスノボー5割、スキー5割で、ショートは1割にも満たない。
雪の上をうまく滑ることがかっこいいなら、ショートスキーでもかっこいいはずだった。
しかし、大衆がそれを選び続けなかった。ショップでもほとんど見かけなくなった。
短い板で滑るショートスキーは、極端に言えばブーツで滑るようなもので、確かに雪の上を滑ることだけが目的なら、ソリでもなんでもよくなってしまう。
なにをカッコいいと感じるか、価値観は自由であっていい。学校で学ぶことがダサいと感じ、横道にそれる者が多かった時代もある。
しかし今、短ランボンタンでリーゼントでツッパってる高校生はいない。
なぜか。
モテないから。
なぜモテないのか。
ダサいから。
スノーボードを始めた当時18歳の私はモテたい盛りで、ドラマ『協奏曲』の木村拓哉ばりに白タオルを巻き、サングラスをかけ、我こそはこのスキー場で一番かっこいい男ぞと、滑り散らかしていた。
親が新潟でペンションを経営している、プロボーダーの友人がいる。彼にスノボーのより詳しいことを教わろうと電話したとき、こう言われた。
「頭にタオル巻いて滑るとか絶対止めた方がいいよ。上手いボーダーほど安全面を理解してるから、ちゃんと厚手のニット帽を被ってる。サングラスなんかもってのほかで、転んで割れたら大怪我するから、上手い人はちゃんとゴーグルをつけてるよ」
“我こそはこのスキー場で一番かっこいい男ぞ”
どうすればこの過去を取り消せるのか。
無知蒙昧、厚顔無恥というのは、成人式で暴れる輩の如く、この概念がダサいというのは、全時代共通のようだ。
無知蒙昧、厚顔無恥が全自体共通で絶対的にダサいとすれば、その逆は絶対的にカッコいいという答えが見えてくる。
ダサい過去はもう消せない。ならば未来に期待を抱こう。未来のカッコいい自分を迎えに行こう。慌ただしく変わる「カッコいいか、ダサいか」の境界線において、絶対的にカッコいい正解を掴めるのは大きい。
無知蒙昧、厚顔無恥の反対を考えていけばいいのだ。最低限の知識と、安全面の配慮。無茶するだけのYouTuberと、テレビの枠組み内で面白さを生み出せる芸人のような違いだ。
現在、スノボーの主流は、ニット帽でもなく、ヘルメットに変わりつつある。センスある人こそヘルメット。やはり、最低限の知識と安全面の配慮は、無視できない。
グラウンド・トリック、略してグラトリと呼ばれる、板を回転させたりする技術が、スノボー界で一昔前から大流行し始めた。メーカーは、その潮流に合わせて初心者でも簡単にグラトリが楽しめる形状の板を、次々と発売した。
やがてスキー場は、グラトリ族一色となった。
グラトリは、簡単な技なら誰でも体得できるため、スノボーにさほど慣れていない人でも、板をクルクル回転させる。させやがる。
ベテランのグラトリ族は、人に迷惑をかけないよう周囲に注意を払いながら回転させる心得があるが、下手なグラトリ族は、基本の技術もないから、闇雲に板を振り回すことしかできない。そもそもスキー場のマナーもあまり知らない。
そのため、急にそいつらが現れたときは、自分から転んでブレーキをかける。未来のお前を想像してこけた者がここにいるいるとは露知らず、奴らはゲレンデを我が物顔で下手くそなグラトリをやってやがる。
この野郎。ゲレンデは、お前ら迷惑グラトリ野郎だけのものじゃないぞ。
…しかし、私だけのものでもない。
迷惑グラトリ野郎にも楽しむ権利はある。社会は共同生活だ。
しかし最近、これが少しずつ変わり始めた。
迷惑グラトリ野郎はダサいという概念が、少しずつ生まれ始めた。
無知蒙昧、厚顔無恥が絶対的にダサいなら、回りの安全を配慮しない迷惑グラトリ野郎がダサいとされるのは、時間の問題だった。言うなれば、白タオルにグラサンで滑るバカ。恥ずかしいの極み。絶対抱かれたくないレベル。
今再評価されているのが、カービング族だ。
元々スノボーは、カービングターンができる者がカッコいいとされてきた。板の裏が見えるほどにエッジを立てて綺麗に滑る技術で、例えカービングしやすい板を使っても、これは一朝一夕で真似できない。
そこにグラトリブームが来たことで、カービング族はスキーヤーと共に、おっさんが好む時代遅れのレッテルを貼られかけたが、カッコいいの概念は多少時代に揺さぶられることはあっても、必ず元に戻る。
カッコいいものはいつだってシンプルで、最低限の知識と、安全面(周囲へ)の配慮。
これさえ覚えておけば、いくら時代が変わっても、「カッコいいか、ダサいか」に振り回されることはない。
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